1.丘陵の街へ


 青々と広がる丘陵の中に、ルアードの街が見えてきた。
 乗合馬車の幌から顔を出して、ユーリは近づいてくる街を眺めていた。
あまり大きな街ではないが、遠くから見ても綺麗な建物が並んでいるのがわかる。

 涼やかな風が、ユーリの長く編まれた明るい蜜色の髪をなびかせた。
緑と花の匂いがする。景色も空気も、故郷のものとはずいぶん違う。

(初めて来る場所って、なんでこんなにわくわくするんだろう?)

 ユーリは馬車の他の乗客達に気取られないよう、
頬杖をついて、こっそりと笑顔を浮かべた。

 馬車はルアードを中継地点に、大都市サンドリタまで向かうことになっている。
 ユーリもサンドリタへ行くつもりだった。冒険者になるという夢を叶えるために。

 この世界には、冒険者と呼ばれる人々がいる。
彼らはその剣の腕や魔法の力で未開の地へ挑んだり、魔物を退治したり、
古代の遺跡から宝を探し出したり……。
時には街の便利屋のような仕事もこなしながら、暮らしを立てている。

 そんな人々が集う寄合所――ギルドを兼ねた、『冒険者の宿』を持つ街も少なくない。
 サンドリタは歴史のある港町で、世界中から人や物が集まってくるという交易都市。
ともなれば、冒険者の宿も仕事もたくさんあるだろう、という思惑で、
彼は北の辺境・アイズホルム地方の小さな田舎村から、はるばる旅をしてきたのだった。

 ――と、突然、馬のいななきと、続けて御者の小さな悲鳴が聞こえてきた。
がたん、と馬車が大きく揺れて、止まった。乗客達がざわめく。

「な、なんだ!?」

 ユーリが馬車の前方に視線を向けると、行く手に何かが立ち塞がっていた。

 緑色の肌の、小鬼のような姿をした魔物――ゴブリンだ。
一匹、また一匹と、周囲の茂みから現れて、馬車は五匹のゴブリンに囲まれてしまった。
ゴブリン達はそれぞれ棍棒や粗末な石斧、刃こぼれした剣などを手に、
ニタニタと下卑た笑みを浮かべている。

 魔物は森や山の奥、洞窟や迷宮などに棲息していることが多いが、
時折こうして街道に現れて、旅人や馬車を襲うこともあるのだった。

 馬は怯えた様子で、御者も馬をなだめようとしながらも、手綱を握る手が震えている。

 ユーリは反射的に馬車から飛び出した。
走りながら腰の剣を抜き、一番近くにいたゴブリンに蹴りを叩き込んだ。
ぐらりと体勢を崩した相手の後ろにいたもう一匹を斬りつけて、
蹴りを受けてうずくまっているゴブリンも返す剣で斬り捨てる。

 ゴブリン達は動揺したようだったが、すぐに怒りの形相でユーリを睨みつけた。
 一匹が棍棒を振りかぶって、ユーリに飛びかかってくる。
剣で受け止めようとユーリが身構えたとき、
空気を裂く音を立てて飛んできた短剣が、ゴブリンのこめかみに突き刺さった。
ゴブリンの体ががくんと倒れて、地面に転がった。

 短剣は、馬車の方から飛んできたようだった。
ユーリがちらりとそちらをふり返ると、

「なかなかやるじゃん。出遅れちまった」

 馬車の陰から、若い男が顔を出した。不思議な青い色の髪が風にさらりと揺れる。
 黒い外套はいかにも旅衣のようだが、
腕輪や耳飾りを光らせて、バンダナにも装飾を巻き込んでいる。
少し派手な雰囲気だ。

 男は指の間に短剣を挟んだ手をひらひらと振って、
ユーリに気さくそうな笑顔を見せた。

 その隣に、赤毛の少女が歩いてきて、ため息をつきつつ肩をすくめた。

「ちょっと……というか、完全に油断しちゃってたわね。
 必要なさそうな気もするけれど、一応助太刀するわ」

 長い睫毛に縁取られた、大きな緑の瞳が可憐な印象の少女だ。
しかし、少女がすらりと抜いたのは、ユーリの剣よりも大振りな長剣だった。
身にまとっているのも、コルセット風の女性らしい型ではあるが、
しっかりとした革鎧のようだ。

 少女は長剣を両手で構えると、地面を蹴って駆け出し、
剣をひと振り唸らせて、残った二匹を斬り伏せてしまった。

「おお、すげえ」

 ユーリが思わずそう呟くと、少女はわずかに口角を上げて、

「あなたもね」

 と、剣についたゴブリンの血を振り落としながら言った。

 わあっ、と馬車から拍手と歓声が上がる。
御者と乗客達が、助かった、ありがとう、と口々に言いながら、ユーリ達を取り巻いた。

「あんたたちは冒険者さんかい?」

 乗客のひとりにそう訊ねられると、少女と男は当たり前のように頷いた。

「ええ。あたしは『妖精のとまり木亭』のフィオナよ」
「同じく、シェベットだ。
 みなさん、お困りの際はうちの宿をぜひよろしく」

(冒険者!)

 ユーリはどきりとして二人の顔を見た。

(今の戦いぶり、ただの旅人じゃなさそうだとは思ったけど、どうりで――!)

 馬車から眺める景色に夢中になって、
乗り合わせた人達とあまり会話をしなかったことを、ユーリは少し後悔した。
憧れの冒険者が、こんなに近くにいたなんて。

 周りの人々は「やっぱり」とか「ああ、あの宿の!」とか、
二人を囲んで嬉しそうに話している。
ユーリはその宿の名前を知らなかったが、もしかすると有名なところなのかもしれない。

「――あなたは?」

 フィオナと名乗った少女が、ユーリの方を見た。
二人に見とれるようにぼうっとしていたユーリは、声をかけられてはっと我に返った。

「あ、ああ……俺は、まだ冒険者じゃないんだけど」
「『まだ』?」
「うう、はい。これから宿を探しに行くところで」

 本物の冒険者を前にすると、なんだか気恥ずかしくて、ユーリはもごもごと答えた。
黒い外套の男――シェベットが、嬉しそうな表情を浮かべた。

「おっ、後輩候補! 名前は?」
「ユーリ」
「ユーリか、あのさ……」

 シェベットが何か言いかけたとき、御者がみんなを呼んだ。
どうやら馬も落ち着きを取り戻したようで、そろそろ出発するらしい。
 ゴブリン達の死体は、ひとまず街道の外側へ移動させておいた。
「ルアードに着いたら、警備隊に知らせとくよ」と、シェベットが言った。


 馬車が再びルアードを目指して動き出すと、
ユーリの隣にフィオナとシェベットが座って、声をかけてきた。

「ユーリはルアードで降りるの?」
「いや、サンドリタまで行くよ。
 大都市なら、その、初心者にも回してもらえるような仕事があるかなって」

 ユーリが答えると、二人はなにやら顔を見合わせた。
それからまたユーリの方へ向き直り、

「ルアードにも冒険者の宿が……俺達の宿があるんだぜ。来てみないか?
 その腕なら、じゅうぶん仕事もらえるよ」

 一瞬、ユーリは何を言われたのかわからなくなって、
ぽかんと口を開けてしまった。

「サンドリタに宿の目星がついているなら、無理にとは言わないけれど……」

 フィオナはそう言って、まだ何か言葉を続けたそうにしていたが、
少し考えるように視線を逸らして、口をつぐんだ。
そんなフィオナをシェベットがちらりと横目で見て、

「そうじゃないならさ。よかったら、俺達と一緒に仕事しようぜ」

 彼女の言葉を引き継ぐようにそう言った。
フィオナは目を逸らしたまま、かすかに頷いた。
あまり表情の変わらない少女だが、どうやら少し照れているらしい。

 思いもよらない誘いに、ユーリの頭は真っ白になって――
しばし間を置いた後、やっとのことで、ゆるゆると両腕を上げた。
二人の手を片方ずつ、しっかりと握って、ぶんぶんと振った。

「よろしくお願いします!!」


 ルアードは、煉瓦の色合いが暖かな、どこか可愛らしい雰囲気の建物が多い街だった。
 馬車は石畳の広場に止まった。
小さな市が立っていて、人々が行き交い、品物をやりとりする声で賑わっている。

 ユーリはフィオナ達に続いて馬車を降りた。
この街の冒険者の宿へ行ってみることにしたと御者に伝えると、
御者は馬車賃の差額を快く返却してくれた。

「さっきは本当にありがとうございました。良い冒険を」

 笑顔でそう言われて、ユーリはなんだかとても嬉しくなって、銅貨を握りしめた。

 御者に見送られながら、三人で広場を後にしようとしたとき、
シェベットがはたと立ち止まった。

「そうだ。さっきのゴブリンのこと、警備隊に知らせないとな」
「ああ、そうだったわね。詰所へ行きましょうか」

 フィオナが方向を変えようとすると、
シェベットはそれを制止するように「いや」と手を上げた。

「俺が行ってくる。二人は先に宿に戻っててくれ」
「わかったわ」

 シェベットは黒い外套を翻し、さっき馬車で通って来た、
街の入り口に続く道の方へと走っていった。
人々の間をするすると抜けて、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。

「足、速いなあ……」

 ユーリが感嘆交じりに呟くと、

「彼、元々は盗賊ギルドの構成員なの。今は冒険者も兼業してるけど」

 と、フィオナが言った。ユーリはなるほどと頷く。
あの素早さも先程の短剣の技も、確かに盗賊のものらしい。

 盗賊ギルドは、街の盗賊達を束ねる組織。
彼らの技術や広大な情報網が冒険の助けになることは少なくないというし、
冒険者達とは切っても切れない関係だ。
シェベットもギルドと宿とを繋ぐ重要な存在なのだろう。

「それじゃあ、行きましょうか」
「ああ」

 『妖精のとまり木亭』は、大通りから一本横道へ入ったところにあるという。
 その昔、妖精と恋をした男がひらいたという、
おとぎ話のようないわれのある宿なのだと、道すがらフィオナが話してくれた。

「見えてきたわ。あそこよ」

 フィオナが指さした先に、木と煉瓦造りの建物があった。
植物の蔓のような模様と、翅を持つ少女のシルエットが装飾された看板が、
通りにせり出すようにかけられている。

(『妖精のとまり木亭』……)

 建物に近寄って、ユーリは看板の文字をゆっくりと目で読んだ。
辺境の田舎村で育ったユーリはあまり学がなく、読み書きは少し苦手なのだった。

「ちょっと、少女趣味な店だけれど。
 ちゃんとした冒険者の宿だってことは保証するわ」

 そう言ってフィオナが扉を開けると、
内側に取り付けられていたベルがカランカランと高く鳴った。

 多くの冒険者の宿がそうであるように、妖精のとまり木亭も一階は酒場になっていた。
 窓がいくつも取り付けられていて、明るい雰囲気の店だ。
客の中には、冒険者ではなさそうな人の姿も見える。
 料理と、かすかにお酒の匂いもする。
ユーリはふと空腹を感じた。気がつけば今日は朝早く、
馬車に乗る前の待ち時間に保存食の堅パンと干し肉をかじったきり、何も食べていなかった。

「おかえり、フィオナ」

 奥のカウンターの中から、低く優しい声がした。
 ふわふわとした金色の髪の、眼鏡をかけた男の人が立っている。
どうやら、この人がこの宿の主のようだ。

(冒険者の宿を経営している人は、引退した元冒険者が多いらしいけど……)

 この人もそうなのだろうか? ユーリには判断がつかなかった。

「ただいま、マスター。無事に済んだわ。シェベットもすぐ戻ってくる」
「それはなによりだ。お疲れ様」

 フィオナの言葉を聞いて、マスターは本当に安心したように笑った。
それから、「そっちの彼は?」とユーリの方を見た。

「期待の新人よ」

 フィオナに軽く背中を押されて、ユーリはカウンターの方へと進み出た。
 心なしか、周囲の客の視線もこちらに向いているような気がする。
ユーリは緊張しながらカウンターに近づくと、マスターをまっすぐ見つめた。

「お……俺はユーリ・トルストイ。剣士です。
 ここで冒険者として仕事させてください」

 頭を下げたユーリの隣にフィオナが立って、ぽんとユーリの肩に片手を置いた。

「帰りの馬車で一緒だったの。
 道中ゴブリンに襲われたのだけれど、彼、あたし達より反応が早かったわ」
「ゴブリン?」

 フィオナの言葉を聞いて、マスターは眉をひそめた。

「ええ。もう、街のすぐ近くで。シェベットはその件を警備隊に知らせに行ってくれてるの」
「そうか……。
 しかし、フィオナ達より、ってのは、なかなかすごいね」

 マスターは感心した様子で言った。改まってユーリを正面から見て、

「新人ってことは。ユーリ、今まで冒険者として仕事はしたことがないのかな?」

 ユーリは顔を上げて、頷いた。

「ないです。
 ……村の畑を襲いに来た魔物を退治したりとかはしてたけど」

 故郷のアイズホルムは、寒冷な荒野が広がる貧しい土地だったが、
村ではそれでも畑を作り、細々と暮らしてゆけるだけの収穫を得ることができていた。
しかしそれを狙う魔物もよく現れて、鍬や円匙で立ち向かう男達に混ざり、
ユーリも剣を振るっていたのだった。

 家の納屋の片隅にひっそりと置かれていた剣は、どうやら父親のものらしかった。
 ユーリが小さい頃に亡くなった父親がどうして剣を持っていたのか、
ユーリは知らなかったし、母親もそのことを訊ねようとすると、いつもはぐらかすのだった。

「なるほど」

 思案するように顎に手をあてて、マスターはちょっと首をひねった。

「あたし達と一緒に組んでもらうつもりなの。段取りなんかの心配はいらないわ」
「ああ、そういうことなら安心だね。色々教えてあげてくれ」
「任せて」

 頷き合うフィオナとマスターを交互に見やり、
ユーリは驚いたようにまばたきした。

「え……あの、それじゃあ」
「今日から君もこの宿の冒険者だ。よろしく、ユーリ」

 ユーリの表情がぱあっと輝いた。

「ありがとうございますっ!!」

 ごん、とカウンターにぶつける勢いでユーリが頭を下げると、宿中に暖かい笑い声が響いた。

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