4.洞窟の奥で


 ラーフラが呪文を唱えると、杖の先から銀色の稲妻が放たれた。
洞窟の壁を青白く照らしながら、蛇のような動きで空中を走ってゆく。
 稲妻は曲がり角の向こうに飛び込み――光が炸裂した。洞窟を揺らすほどの音が轟き渡る。
角の向こうから、きいきいぎゃあぎゃあと悲鳴を上げながら、
ほうほうの体でゴブリン達が駆け出してくる。

 そして、ユーリ達に気がついたゴブリンが、ギイギイと怒ったような鋭い声を上げた。
その声に、他のゴブリン達も四人の存在に気がついた。
それぞれ得物を手にすると、こちらに向かって走ってくる。

 ゴブリンは十匹近くいるようだ。
 その中に、ホブゴブリンと呼ばれる、ひときわ身体の大きな個体が一匹混ざっている。
筋肉で膨れ上がった、いかにも屈強そうな体格だが、足は他のゴブリン達よりもだいぶ遅い。

「あの大きいのは、厄介そうね」
「先に他のを片付けちまおう」

 フィオナとユーリは、ゴブリンの群れに向かって駆け出した。
 二本の剣が空気を切って唸り、次々とゴブリン達を倒してゆく。

 戦い始めた途端、ユーリのさっきまでの緊張は嘘のように消えていた。
剣を振るい、突き刺して、魔物を倒すことだけに意識が向く。
 二人の死角に回り込んで襲いかかろうとしていたゴブリンを、
光の矢のようなラーフラの魔法と、シェベットの短剣が撃ち落とした。

 最初に撃ち込まれた魔法のダメージも功を奏してか、
瞬く間にゴブリン達は残らず地面に倒れ伏していた。

「……あとは、あいつか」

 四人の視線がホブゴブリンをとらえる。

 シェベットとラーフラ、それからユーリも、いくらか息を弾ませているものの無傷だ。
しかし、フィオナは少し傷を負っていた。
長剣の一撃は強力だが、大振りな分、相手の反撃も受けやすいのだ。
 シェベットはラーフラをふり返り、

「ラーフラ。癒しの魔法って使えるか? ……出発前に聞いておくべきだったな、これ」
「……、いいえ。ごめんなさい」

 申し訳なさそうに、ラーフラは首を横に振った。
 何か妙な間があったな、とシェベットは思ったが、今は追及している暇はない。
「大丈夫よ」と、フィオナがふり返らずに言った。

 ホブゴブリンが、地響きのような足音を立てて近づいてくる。
 比較的、大人しい性質の魔物だと言われているホブゴブリンだが、
今は棲み処を襲われ、仲間を倒されて怒っているのだろう。
大きな包丁のような剣を手に、洞窟中に響き渡るような咆哮を上げながら向かってくる。

「ありゃ一筋縄じゃいかなそうだぞ。みんな、油断するなよ」

 シェベットの言葉に、ユーリ達は頷いた。

 四人の前に立ったホブゴブリンの目は、憎しみを宿してぎらぎらと光っていた。
剣を振りかぶり、大振りに薙ぎ払う。ユーリとフィオナは飛び退ってかわした。
 ろくに手入れのされていない刃は薄汚れ、所々刃こぼれしていたが、
それでも、凄まじい膂力任せの攻撃は、受けたらただでは済まないだろう。

 空振りの隙を突いて、ユーリはホブゴブリンの懐に潜り込んで斬り付けたが、
ホブゴブリンはうなり声とともにユーリを太い腕で払いのけ、弾き飛ばした。
ユーリは受け身を取ってすぐに立ち上がる。

 ユーリが視界から消えて、ホブゴブリンの視線は、目の前に立つフィオナに向いた。
一声咆えると、飛びかかるような勢いで剣を振り下ろす。
フィオナは咄嗟に長剣を構えた。
 しかし、衝撃を受け止めきれず、フィオナの長剣と、それを持つ腕が激しくぶれた。
逸れた刃が、フィオナの左肩口を切り裂く。

「……ッ!!」

 鋭い痛みが走り、フィオナは顔をゆがめた。
ぱくりと開いた傷口から流れ出した血が、腕を生温く濡らす。
 痛みで左腕に力を込められず、右腕だけでは十分に長剣を振るえない。
フィオナは剣を引きずるようにしながら、なんとか後ろに下がったが、
そのまま膝から崩れ落ちるようにうずくまってしまった。

「フィオナ!」

 三人がほとんど同時に叫んだ。
 ユーリがすかさず、フィオナとホブゴブリンとの間に割り込む。
再度振り下ろされた剣を、ユーリは自分の剣で受け止めた。
ぶつかり合った刃が高い音を立てて、火花を散らす。
魔物の力は恐ろしく強く、押し切られてしまいそうに腕が震えた。

 シェベットがフィオナの側に駆け寄り、
肩を抱くように支えて、ホブゴブリンから距離を取った。
 その横で、ラーフラが鋭い調子の呪文を唱える。
バチバチと激しく輝く銀色の稲妻がほとばしり、脳天からホブゴブリンの身体を貫いた。

 巨体がよろめいた隙に、ユーリは切り結んでいた刃を受け流し、そのままの勢いで斬りかかった。
しかし、魔法も斬撃も、そこまでのダメージにはなっていないようだった。
ホブゴブリンは踏み止まり、ぎょろりとユーリを睨みつけた。

 剣を構え、ホブゴブリンを睨み返したものの、ユーリは内心冷や汗をかいていた。
自分の剣でもラーフラの魔法でも力が足りないなら……
しかし、それよりも強力な一撃を放てるフィオナは戦えない。

(これ――ちょっと、まずいかも――)

 そんなことを考えている間にも、ホブゴブリンは何度も斬りかかってくる。
ユーリは猛攻をなんとか凌ぎ続けているが、攻勢に転じる隙がない。
さすがに息も切れ始めていた。

 その光景を、フィオナが唇を噛んで、悔しそうに見上げているのを、
そしてその瞳に燃えるような光が宿っていることに、ラーフラは気がついて、はっとした。

(宿で出会ってから今まで、表情のない女の子だな、と思っていたけれど――)

 ラーフラの瞳が一瞬、迷うように揺れたが、何か決心した様子で、フィオナの隣に屈み込んだ。
 肩の傷に手をかざして、呪文を唱える。
ラーフラの手から、ぼんやりとした白い光が発せられて、フィオナの傷を包むように広がっていった。

(……痛くない)

 痛みが引いてゆく。癒しの魔法だろうか。
フィオナが驚いて肩に目をやると、しかし傷は塞がっておらず、
血が流れる度にどくどくと脈打つような感覚が残っている。
奇妙な感じだが、ともかく、これで戦える。

 簡易的に止血くらいはしておこうと、フィオナが切れたチュニックの袖を破り取ろうとしていると、
シェベットが「コレ使え」と、バンダナを外してフィオナの肩に巻きつけた。

「ありがとう」

 二人に告げて、フィオナは立ち上がった。
どこか晴れない表情のラーフラを、シェベットは横目でちらりと見やる。

(今のは……。
 ……まあ、話は後で聞かせてもらおう)

 剣を構えたフィオナが、シェベットをふり返った。
「援護して」と目で言われて、シェベットは頷いた。
ホブゴブリンと撃ち合っているユーリに向かって呼びかける。

「ユーリ! 俺が足元を狙う、体勢崩せるか!?」
「やってみる!」

 ユーリは叫ぶと、飛び退いて一旦距離を取った。
ホブゴブリンの足元に、シェベットの投げた短剣が突き刺さる。
低く呻いて、前のめりになったホブゴブリンの頭を、ユーリが横から蹴り抜いた。
巨体がぐらりと揺らぐ。

 そこへフィオナが走ってきた。
左手を剣身の、刃の付いていない根元の部分に添えて、
ホブゴブリンの身体に押し込むように、渾身の力で斬り付ける。
骨ごと肉が斬れる嫌な音がした。
 ホブゴブリンは断末魔の叫び声を上げ、ごぼりと赤黒い血を吐き出すと、地面に倒れた。


「や……やったあ……」

 ユーリはその場に座り込むと、
大の字に寝転んで、長く息を吐き出した。

「ごめんなさい。油断をしたつもりじゃなかった……」

 息を切らせながら、フィオナが言った。「けれど。力不足だったのね」
 シェベットが首を横に振る。

「仕方ねえ。ホブの情報は、依頼書にもなかったしな。
 みんな無事でよかったよ、本当に」

 シェベットはフィオナの肩に目をやった。巻きつけたバンダナが赤く染まっている。

「ところで……痛まないのか、傷は?」
「ええ。おかげで……」

 二人の視線がラーフラに向いた。ユーリも上体を起こして、ラーフラを見ている。
 ラーフラはたじろいで、わずかに身を引いたが、観念したようにため息をついた。

「……『まやかしの安らぎ』という幻術です。
 癒しの魔法が使えない、というのは本当で……。
 それは痛みを感じないようにして、治ったような気にさせるだけの魔法なんです」

 ラーフラはやや早口にそう言った。
つまり、傷自体は全く治っていないということらしい。
「手当てをしておきましょう」と、ラーフラは落ち着かない様子で、いそいそと鞄から薬瓶を取り出した。
蓋を開けると、様々な薬草が混ぜ合わされた薬の、独特のつんとした香りが辺りに漂った。

「幻術?」

 と、ユーリが首をかしげた。

「幻を見せたりだとか、嘘を本当のことのように思い込ませたりだとか……。
 そういった魔法のことを、幻術と呼ぶんです」

 言いながら、ラーフラは薬を匙で大きく掬い取った。
フィオナにバンダナを外してもらうと、傷口に塗り付ける。
フィオナは少し身体を固くしていたが、傷に薬が触れてもひんやりとしただけで、
しみて痛むこともなかった。

「あの人――朝、新聞に載っていたでしょう。『黒い霧のアラカ』が使うのと、同じ魔法です。
 それが嫌で……得意ではあるんですが、使いたくなくて」

 ラーフラは、「でも、」とうつむけていた顔を上げた。

「好き嫌いで使い渋っていたら、活路を断つような事態になりかねないと……
 その、やっと気がつきました。
 次からはもっと、ちゃんと、力を尽くします」

 噛みしめるように、ラーフラは言った。

 冒険者は命懸けの仕事だ。
もちろん、それはラーフラもわかっていた――つもりだった。
けれど、自分や仲間達が死ぬかもしれない、ということとは、どこか繋がりきっていなくて……。
 それが、今の戦いで、本当に実感を持つことができたのかもしれない。

「そういうことだったか……。
 けど、嫌な奴のせいで、自分の力まで嫌いになるこたねえさ」

 ラーフラの肩に手を置いて、シェベットはにっと笑った。それから、

「しかし、あの新聞読んだのは、タイミング悪かったかなあ。すまん」

 と、申し訳なさそうに頭を掻いた。
ラーフラは、少しはにかんだような笑顔で、かぶりを振った。

 ユーリは何か考えるように天井の方を見ていたが、「えっと」と立ち上がって、

「そのナントカって奴は、幻術を使って悪い事をしてるんだろうけど。
 でも、ラーフラはフィオナを……俺達を助けてくれたじゃんか。
 だから――っていうか……うまく、言えないんだけど。
 そいつとラーフラの魔法は、同じじゃないよ」

 言いたいことをうまく伝える言葉を探すようにしながら、ゆっくりと、ユーリはそう言った。
それから、照れ隠しのように頭の後ろで手を組んで、ブーツの爪先を地面にこすりつけた。

 ラーフラは、驚いたように丸くした目をしばたたかせた。
色白の頬に、心なしか赤みが差している。
 フィオナもほんのりと口角を上げて頷いて、ラーフラを見た。

「とても助かったわ」

 ラーフラはいよいよ真っ赤になって下を向き、
「……ありがとう、ございます」と、少しだけ震える声で言った。

 シェベットはそんな三人をにこにこしながら見ていたが、ふと、ごほごほとむせ込んだ。
ユーリとラーフラの肩がびくりと跳ねる。
シェベットは「いや、悪い」と手を振って、

「奥を調べて、早く外に出ないか? 新鮮な空気が吸いたい」

 三人も同意した。
さっきまでは気が張り詰めていたせいか、さほど感じなかったが、
ゴブリン達の血の臭いが篭って、辺りの空気はだいぶ淀んでいる。
長居をすると気分が悪くなりそうだ。


 曲がり角の奥へ行ってみると、そこが洞窟の最奥で、広めの丸い空間になっていた。
 寝床だったらしいぼろや藁束が、最初の魔法のせいだろう、嵐に遭ったかのように散乱していた。
木で組まれた篝火台が壊れ、火の消えた松明が転がっている。
魔法をもろに喰らったらしいゴブリンも三匹、倒れていた。

 シェベットは藁や布をひっくり返して、辺りを調べて回ったが、
これといったものは見つからなかった。

「何もねえなあ。
 ちょっとくらい、人から盗った物が残ってるかと思ったが……」

 残念そうに肩をすくめる。
 通路に落ちていたのと同じような、獣の骨らしきものを、フィオナはしげしげと眺めて、

「食糧にしか興味がなかったのかもね」
「昨日の奴らがしくじって、貯えも尽きた、って感じか」

 シェベットは納得したように頷いた。

「俺も、腹減ったよ」

 力の抜けたユーリの声に、フィオナはくすりと笑った。

「帰ってご飯にしましょうか」

 そうして、四人は洞窟を出た。
 草木の匂いのする空気が、とても心地良い。
示し合わせたように、全員が同時に深呼吸をして、思わず顔を見合わせて笑った。

 ユーリはずいぶんと長い間、洞窟の中にいたような気がしていたが、
日暮れまではまだまだ時間があるようだ。

「ゴブリンの残党と出くわすってこともあるかもしれない。気を付けて帰ろう」

 真面目な顔で、シェベットが言った。
少し自分に言い聞かせるような響きがあったのは、昨日の馬車での出来事のせいだろうか。

「帰るまでが冒険、というやつですね」

 ラーフラが頷く。

 ユーリはその場を離れる前に、もう一度だけ洞窟をふり返ると、仲間達の後に続いて歩き始めた。

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