5.夢の一歩


 無事に妖精のとまり木亭に帰り着いた四人は、
遅い昼食のような早い夕食のような食事を取ることにした。

 宿の奥の硝子の扉を開けると、
その向こうは青々とした芝生が茂る、広い中庭になっていた。
テーブルと椅子が何組か置かれていて、ここでも休むことができるようになっている。

 中央には、大きな木が一本、枝葉を広げて立っていた。
 幹は大人数人で腕を広げて手を繋いでも囲みきれないような太さで、
どっしりと佇んでいるが、どこか包み込むような優しい雰囲気もある木だ。

「すごいなあ」

 ユーリは思わずそう呟いて、幹に触れてみた。
ゴツゴツした幹は少し暖かい気がした。
 フィオナは木に一番近いテーブルにつくと、そこから木を見上げた。

「それは『妖精の木』よ。
 初代マスターの恋人の妖精が、今もその木の中で眠っているんですって。
 それでこの宿は『妖精のとまり木亭』というの」
「へえ……」

 鮮やかな緑色の葉の隙間に煌めく木漏れ日が、
たくさんの小さな光の花を咲かせているようにも見える。
 今聞いた話のおかげもあってか、ユーリはなんだか神秘的な尊さを感じた。
 この中に、本当に眠る妖精を宿していても、あるいはこの木自身が生きていると言われても、
全く不思議ではないように思える佇まいだ。
 ラーフラも興味深そうに、妖精の木を見上げている。

 と、背後で扉が開く音がして、料理を乗せたお盆を持ったマスターと、
その後ろからシェベットがやって来た。

「お待たせ」
「うわあ、美味そう!」

 ユーリは飛び跳ねるようにテーブルに駆け寄った。
よく焼けて、まだじゅうじゅうと音を立てている、肉や魚の良い香りがする。
 シェベットは手にしていた麦酒の瓶と硝子杯を持ち上げてみせて、

「お前ら、酒飲める?」

 と、ユーリとラーフラに訊ねた。
 ラーフラは「まあ、それなりには」と頷いたが、ユーリは言い辛そうに下を向いた。

「えーっと……俺、変な酔い方するんだ。だから……」

 シェベットは、ふうん、と首をかしげて、

「少しなら大丈夫か?」

 そう言われると、ユーリはぐっと詰まってから、麦酒に未練のありそうな視線を向けて、
「……じゃあ、一杯だけ」とぼそぼそと言った。
お酒が嫌いなわけではないらしい。
 フィオナは怪我があるということで遠慮した。


 四人とも、帰路で保存食を食べるのも我慢して空腹だったので、
乾杯の音頭もそこそこに食事を始めた。
 バターとにんにくを塗り付けて焼いた香ばしいパンも、野菜とベーコンの入ったスープも、
マスターが次々と運んできてくれる料理はどれも美味しくて、
冒険の後の食事は本当に幸せだとユーリは思った。

 そして日が暮れる頃には、シェベットとラーフラはすっかり酔いつぶれて、
テーブルに伏せて眠ってしまった。
 庭のあちこちに置かれたランプがひとりでに、色とりどりの光を灯し
(ユーリが驚いていると、魔法が込められた道具なのだとフィオナが教えてくれた)、
妖精の木をより一層幻想的に見せている。

「ここで寝かせておいたら風邪を引きそうね」

 酔いどれ二人を眺めて、フィオナが呟いた。

「中に運ぼうか?」

 と、ユーリは席を立った。ラーフラは見るからに軽そうだし、
シェベットも痩躯なのでなんとか抱えられそうだ。
 フィオナは「そうね……」とちらりとユーリを見て、

「誰かに手伝ってもらいましょう。ちょっと待っていて」

 そう言うと、小走りに宿の中へ向かっていった。

 少ししてまた扉が開いたが、
フィオナと一緒に出てきた二つの人影を見て、ユーリは首をかしげた。

 一人は、どう見ても幼い子供くらいの身長。
 そして、もう一人は大人のようだったが、
頭の上に何か尖ったものが二つ、ピンと立っている……。
こちらへ歩いてきて、その顔がランプに照らし出されると、ユーリは仰天した。

 猫だ。灰色の毛並みの猫の頭が、人の体に付いている。

「やあ、こんばんは」

 猫の頭の人物は大人の男性の声で喋って、
ユーリに向かって手をあげた。手も肉球の付いた猫の手だ。
服は着ているが裸足で、後ろにちらりと尻尾も見えた。

「俺はデューク。見ての通り猫の獣人だ。こっちはドワーフのクラリッサ」
「よろしくな、新入り」

 クラリッサと呼ばれた小さな女の子は、耳の先が少し尖っている。
ふんわりとした桃色の髪を頭の上の方で二つに結っていて、可愛らしい印象だ。
 しかし、ユーリを新入りと呼んだところを見ると、
どうやらこの子も冒険者らしかった。

「あ……ユーリです。よろしく」

 ユーリは我に返って名乗ると、軽く頭を下げた。

 故郷のアイズホルムではほとんど見かけることはなかったが、
この世界には、姿形も様々な数多くの種族が暮らしている。
動物と人間の特徴を併せ持つ身体の獣人。
背丈は低いが、強い力と身体を持つドワーフ。

 ルアードの街は、世界中から人が集まる大都市にもほど近い。
ここにも多様な種族がやって来るのだろう。

「こいつも初めて見る顔だな」

 クラリッサは背伸びをしてテーブルの上に顔を出すと、
眠っているラーフラの頬をつついた。
ラーフラは眉を寄せて、何かむにゃむにゃと言ったようだが、目は覚まさなかった。

「えっと、そいつはラーフラ。魔術師なんだ」

 外見とは裏腹に、男の子のような口調のクラリッサに、ユーリはちょっと驚いた。
クラリッサは「へえ」と物珍しそうにラーフラを眺めている。
 デュークは、寝ながらなにやら笑顔を浮かべているシェベットを見て苦笑して、

「談話室にでも運ぼうか。
 ――クラリッサ、シェベットを頼む」
「おう」

 デュークの言葉と、そしてそれに頷いたクラリッサに、ユーリは目を丸くした。
 聞き間違いかと見ていると、デュークがラーフラを背負い、
その横で、クラリッサがシェベットをほいっと抱え上げた。
ユーリが慌てて手伝おうとすると、

「大丈夫だ。二人は食べてな」

 と、クラリッサは片手一本で軽々とシェベットを持ち上げてみせて、
もう片方の手をひらひらと振った。
シェベットの首がかくんかくんと揺れて、「うーん」と小さく呻いたが、目は覚まさなかった。
 フィオナもクラリッサに貸そうとしていた手を引っ込めて、少し首をかしげた。

「そう……? じゃあ、お願いするわ。悪いわね」

 クラリッサはにかっと笑って、さっさと走っていってしまった。
 デュークも、「こいつは随分軽いぞ。もっと食わせてやった方がいい」
なんて言いながら、宿の中へ戻っていった。
ラーフラはさっき、その小柄な体のどこに収まるのだろうというくらい、たくさん食べていたが……。

「いろんな人がいるんだな、この宿って」

 驚愕の表情が抜けないまま、ユーリが呟くと、
フィオナはかすかに笑いを含んだような声色で「まあね」と肩をすくめて、席へ戻った。

「――ねえ。ユーリは、どうして冒険者になろうと思ったの?」

 残っていた料理をつまみながら、ふとフィオナがそんなことを訊ねた。

「えっ? ええっと……。俺が小さい頃の話なんだけど、」

 ユーリは椅子に座り直すと、話しはじめた。

「俺の故郷の村って、畑の作物を狙って、よく魔物が現れたんだ。
 そんなときは、大抵は村の人達だけでなんとかしてたんだけど、
 一度だけ大きな魔物が出て、冒険者に依頼をしたことがあったんだ」
「大きな魔物?」
「ああ。トロール……だったかな」

 ユーリが言うと、フィオナは少し驚いたような表情を見せた。
 トロール――日光を嫌う巨人のような魔物は、夜の間にしか姿を見せず、
おかげで村人が襲われることはなかった。

「――だけど、目撃した人達はみんな青くなって、
 『あれは自分達の手には負えない』って口々に言って……。
 村のお金を集めて、討伐依頼を出すことになったんだ。
 駆け付けてくれた冒険者達はすっごく強くて、一晩でトロールを倒してくれた」

 その姿に、幼心に感銘を受けたのを、ユーリはよく覚えていた。
 今になって考えると、その冒険者達は、こんな辺境の地の
(きっと報酬も良い方ではなかったであろう)
依頼を請けなくても、引く手あまたの腕前だったのではないかと思うのだが……。

 それでもやって来てくれたということに、
ユーリはまた改めて尊敬の念を抱いたのだった。

「俺もこんな風に、人を助ける仕事がしたいな、って、その時思ったんだ」

 そこまで言うと、ユーリはちょっと赤くなって、フィオナから目を逸らした。
この話を、家族以外の誰かにしたのは初めてだった。

 フィオナは、「そう」と、なんだかまぶしそうにユーリを見つめた。

「素敵な夢ね。ユーリはすごいわ。その夢をこうして、叶えてしまうんだもの」

 あんまりまっすぐに褒められて、ユーリは照れくさくなって頭を掻いた。
けれど、それから首を横に振って、

「冒険者にはなれたけど、まだまださ。
 もっと強くなって、たくさん冒険をして……」

 今はまだ、やっと一歩を踏み出したところだと、ユーリは思った。
 いつか――もう、その人達の顔も思い出せないけれど、あんな冒険者になれるだろうか。

「……強くなりたいというのは、あたしも今回、痛感したわ」

 フィオナは傷を負った肩を抱くようにした。そして、少し間を置いてから、

「ねえ。剣の稽古の相手をしてくれない?
 もちろん今じゃなくて、これが治ってから」

 それを聞いたユーリの表情が、ぱっと輝いた。

「俺でよければ! 一緒にやろう」

 村には剣の知識がある人はおらず、今までは魔物との戦いを通しての独学だったので、
誰かと一緒に稽古ができるのは嬉しいことだった。
 こくこくと頷いてから、ユーリは思い出したように「あっ」と声を上げて、

「あの、その代わりに、っていうんじゃないんだけど……。
 ちょっと、俺も頼みたいことが」
「なあに?」

 ユーリは恥ずかしそうに、ちょっとだけうつむいて、

「読み書き、教えてほしいんだ。
 依頼書くらいは、自分で読めるようになりたくて」

 フィオナはすぐに頷いた。

「それくらいなら。お安いご用だわ」
「ほんとか!? ありがとう!」

 ユーリは顔を跳ね上げ、がたっと椅子を立った。
フィオナの手を握って、ぶんぶんと振る。
 一瞬、フィオナは呆気に取られたような表情を浮かべたが、眉を下げて、くすっと笑った。


 ゆっくりと、丘陵の街の夜は更けてゆく。
 夜の澄んだ風が吹きすぎていって、妖精の木が、
小さな冒険者達に笑いかけるように優しく揺れた。




(初めての冒険・完)

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