1.市場の裏道で


 丘陵の街ルアードの、『妖精のとまり木亭』の冒険者ユーリは、
様々な商店の立ち並ぶ、街の大通りの市場へやって来ていた。
両腕に、買い込んだ品物が入った大きな袋を抱えて。
……といっても、これはユーリの買った物ではなかった。

「悪いわねえ、ユーリ君。
 もう、このお店でおしまいにするから、ちょっとだけ待っていてちょうだいね」

 そう言って申し訳なさそうな笑顔を見せているのは、
宿の常連客で元冒険者だという老婆、ターニア。
 ユーリは彼女の買い出しの手伝い……というか荷物持ち役、という依頼
――これもれっきとした冒険者の仕事なのだった――を請けて、今ここにいるのだった。

「まだまだ余裕で持てるから、遠慮しないでよ、ターニアさん」

 ユーリが笑って答えると、ターニアは「あら、頼もしい」と口元に手をあてた。
 店に並んでいるのは、どこか遠い国から大都市サンドリタの港を経て運ばれてきたのであろう、
珍しい魚の干物や香料などだ。

 真剣な様子で品定めをしているターニアと一緒に、
ユーリもなんとはなしに品物を眺めていると、

「ただいま」

 後ろから声がかかって、ユーリがふり返ると、冒険者仲間のシェベットが立っていた。
 シェベットもユーリと同じく、ターニアの買い物についてきていたのだが、
彼は「ついでに自分の買い物もしたい」と、
(一応、ターニアの許可は得た上で)一人でふらりと別の店へ行ってしまっていたのだった。

「シェベット。どこ行ってたんだ?」

 シェベットはユーリの持っていた袋を一つ受け取ると、
代わりに、手に持っていたものを「一本やるよ」とユーリに差し出した。
 こんがりと焼かれた、串付きのポテトだ。
とろんとしたチーズがかかっていて、美味しそうな香りがする。
 シェベットは、もう一本持っていた同じものをかじりながら、

「こないだの、月光琥珀を飾っておく入れ物が欲しくてさ。
 がらくた屋で、綺麗な空き瓶が買えたんだ。後で見せてやるよ」

 と、上機嫌に笑った。

 前回の冒険の報酬に手に入れた、淡い虹色をはらんだ乳白色の宝石、月光琥珀。
高価な品物なのだが、結局、分けてもらった仲間はみんな、琥珀が気に入ってしまったり、
冒険の記念にしたりと、お金には替えず手元に置いているのだった。

 ユーリは「へえ」と頷いて、ポテトを口に入れ、

「……ん! 美味いな」
「そうだろ。最近気に入ってるんだ、これ」

 目を輝かせたユーリを見て、シェベットは得意げに頷いているが……。

(でも、お金は大丈夫なのかなあ、シェベット)

 ユーリは少しだけ首をかしげ、こっそりとそう思った。
前回は、新しい仲間も増えて、いい冒険ではあったけれど、お金はほとんど入っていないのだ。
そのわりには、シェベットは毎日のようにどこかへ出かけては、何かしら買って帰ってきている。

 そんなことを考えながら、ポテトを食べ終わった頃、
ターニアが買い物を終えて戻ってきた。

「はい。お待たせ」

 ターニアは、香料の独特の香りがする袋を、
「じゃあ、これもお願いできるかしら」とユーリに手渡すと、シェベットを見上げて微笑んだ。

「シェベット君も、用事は済んだ?」
「おう。なかなか良い物が買えたぜ」
「よかったわねえ。それじゃあ、帰りましょうか?」

 そうして三人は、ターニアの家を目指して歩き出した。
ユーリとシェベットも、ターニアの歩調に合わせて、いつもよりゆっくりと。

 ――と、少しして、ターニアがふと足を止めた。
大通りの脇に伸びる、細い横道の先をじっと見つめる。

 二人も立ち止まり、そちらに目を向けてみたが、特に目を引くものはないように思えた。
人の気配も、見た限りでは全く無い。
 突き当たりには曲がり角があり、どこかへと続いているようだが、
道……というよりは建物と建物の隙間、と言った方が正しいかもしれないような空間だ。

「ターニアさん?」

 シェベットが声をかけると、ターニアはふり返ったが、また横道の方へと顔を向けた。

「――ねえ、この道を通っていってみてもいいかしら?」

 そう言うターニアの表情は、なにやら真剣な雰囲気だ。
シェベットはユーリと顔を見合わせ、

「俺達は、別に構わないけど……?」
「なんだか、この先から変わった魔力の気配がする……
 ような気がするの。勘違いかもしれないけれどね……」

 呟くようにターニアは言った。深いまなざしに、不思議な光が宿っている。

 彼女は、もうとっくに冒険者は引退したけれど、
今でも冒険の話を聞くのが好きで、よく妖精のとまり木亭を訪れているのだった。
マスターや、宿の冒険者達とも仲が良い。
 昔は、魔法を使わせたらちょっとしたものだったらしい、という話も、
二人は聞かせてもらったことがあった。

「あっ、危険な感じはしないのよ。ちょっと、気になっただけなの」

 ターニアは両手を振った。シェベットが、ふむ、と顎に手をあてて、

「よくわからんが、行ってみようか」
「ああ。なんか、面白そうだし」

 ユーリも頷く。ターニアは手を握り合わせ、わずかに眉を下げて微笑んだ。

「本当? ごめんね、寄り道にも付き合ってもらって」

 道は、横に二人並んでは歩けないほどの細さだった。
念のため、シェベットとユーリが先に行き、
ターニアには一番後ろをついてきてもらうことにした。

 シェベットが、突き当たりの角の先を覗き込み――「あっ」と声を上げた。

「人が倒れてる」
「えっ!?」

 言うなり、シェベットは駆け出していった。
ユーリも曲がり角の先に顔を出す。
今通ってきた横道よりも道幅は広いが、薄暗い裏通りだ。
 道の端に積み上げられた木箱の傍に、うずくまるようにして、誰かが倒れている。
ユーリも、シェベットの後を追って、その人の近くへ走っていった。

 そこにいたのは、葡萄色の革鎧と外衣を着た、浅黒い肌をした男だった。
 淡い砂色の髪の、前髪の一房だけを橙茶色に染めて、長く垂らしている。
琥珀のような石の飾りを留めた首巻きや、ゆったりとした下衣に、ひだのある幅広の袖……
なんだか少し変わった雰囲気の服装だ。

 シェベットは男の傍に屈み込んだ。
その人が息をしているのを確認して、少し表情を和らげたが、

「眠ってるみたいだ、が……。
 ――おい、あんた」

 呼びかけながら、頬を軽く叩いたり、肩を揺すったりしても、男は目を覚ます様子はない。
疲れたような表情で、ぐったりとまぶたを閉じている。

 ターニアもやって来て、心配そうに男の顔を覗き込んだ。

「この子の気配だったんだわ。
 ルアードの……この辺りの人じゃなさそうね。どこか、よその国から来た魔術師なのかしら」
「砂漠の人っぽい服だな。
 海の向こうの、ずっと東に、砂漠の国があるらしいが……」

 そう言って、シェベットは男の首巻きを指さして、
砂漠では砂から喉を守るために、こういった布を巻いたりするのだと、
ユーリに教えてくれた。

「そんな遠い国の人が、なんで、こんなところで倒れてるんだ……?」

 呟くように、ユーリは言った。
シェベットは眉を曲げて、何か考えるようにしていたが、
「ちょっと、失礼」と、男の首巻きや袖や、外衣の中を探り始めた。

「な、何してるんだ?」

 ユーリがぎょっとして訊ねると、

「いや、旅人にしちゃ、荷物が見当たらないなと思って――」

 シェベットは男から手を離し、また眉をひそめた。

「何も持ってない……。おかしいな。怪我はしてないみたいだが……」
「誰かに、盗られたとか?」

 ユーリは首をかしげた。シェベットは難しい顔で男を見つめている。

「ねえ、この子、宿に連れて行ってあげない?
 お金も何も持っていないんじゃ、お腹を空かせているかもしれないわ」

 おずおずと、ターニアが口を開いた。
「……そうだな」と、シェベットは頷いて、

「先に宿に寄って、こいつを預けてから、ターニアさんの家に行くんでいいかい?」
「ええ、もちろんよ」

 買い物の荷物はターニアにも少し持ってもらい、
ユーリが男を――彼はシェベットと同じくらいの長身だったが、
なんとか担ぎ上げて、妖精のとまり木亭へと向かった。


 妖精のとまり木亭の前まで来ると、ちょうどそのとき、宿の扉が内側から開いた。
出てきたのは、ユーリ達と同じくこの宿の冒険者の、
猫の獣人の男デュークと、ドワーフの少女クラリッサだった。
 これから冒険へ出かけるのか、デュークは腰に細い剣を差し、
クラリッサは、彼女の身の丈よりも大きいのではないかというくらいの戦斧を背負っている。

「おや。買い物は終わったのか――」

 デュークは三人に気付くとそう言って、ユーリの背に負われた男に目を留め、
「その人は?」と、青葡萄色の目の瞳孔を丸くした。

「行き倒れ……かな?」
「まあ、そうだな。市場の裏道で倒れてたんだ」

 ユーリとシェベットが答えると、
デュークは気遣わしげな表情を浮かべて、ほう、と頷いた。

 クラリッサも不思議そうな視線を男に向けていたが、
ふと、はっとしたようにデュークをふり返り、彼の尻尾をぎゅっとつかんだ。
「ふぎゃっ!!」と、デュークが驚いた猫のような(というか、猫なのだが)声を上げる。
クラリッサは尻尾をつかんだ手を振って、

「デューク、行かないと。時間ねえぞ」
「わ、わかった……わかったから、引っ張るな!」

 デュークはクラリッサの手を振りほどくと、三人に笑顔を見せたが、
その顔は少し引きつっていた。不機嫌そうに、尻尾をぶんぶんと振っている。

「……これから仕事なんだ。行ってくるよ」
「気前の良い行商人の護衛でさ。稼いでくるぜ」

 いひひ、と、クラリッサは、
可愛らしい外見にそぐわない邪悪な笑みを浮かべた。
デュークは目をすがめて、そんなクラリッサを見やると、小さくため息をついた。

「気をつけて行ってらっしゃいね」

 にこやかに言うターニアに、二人は手を振って、広場の方へと小走りに駆けていった。

「クラリッサって、なんか、うまく言えないけど……すごい子だな」

 ユーリがぽつりと呟くと、シェベットは苦笑いした。

「そ、そうだな。
 一緒に仕事したことあるんだが――うん。悪い子じゃあないんだけどよ……」

 二人の後ろ姿を見送りつつ、宿の中へ入ると、
いつものようにマスターが「おかえり」と声をかけてくれた。

 カウンターの傍には、ユーリ達の仲間で魔術師のラーフラが立っていて、こちらを見ていた。
彼はユーリの背中の男の方へと視線を動かして、なにやら納得したように頷いている。
ラーフラも、ターニアと同じように、男の魔力の気配を感じていたのかもしれない。

「どうしたんだい? その人は……?」

 マスターは男に気がつくと、驚いた様子で目をしばたたかせた。
 ユーリとシェベット、それにターニアも一緒にいきさつを話すと、マスターは頷いて、

「とりあえず、談話室に寝かせておいてあげるといい。
 目を覚まして、お腹が空いているようだったら、すぐに食事を出せるようにしておくよ」
「ありがとう。代金は俺のツケにしといてくれ」

 シェベットはそう言うと、ラーフラをふり返り、

「ラーフラ。俺達、ターニアさんの家まで行ってくるから、こいつの様子を見ててくれるか?」
「構いませんよ」

 三人……と、意識のない一人を連れて、談話室に入る。
 ユーリはカウチソファに男を横たえた。
さっきシェベットは、怪我はしていないようだと言っていたが、
ぎゅっとひそめた男の眉と閉じたまぶたは、なんだか苦しそうだ。

(悪い夢でも、見てるのかなあ……。
 もし何か困ってるんだったら、助けてあげたいな)

 ユーリは眉を下げて、ひっそりとそう思った。
 ひとまずこの場はラーフラに任せることにして、
ユーリ達は宿を出ると、ターニアの家へと向かった。


 花と香草の植え込みに囲まれた小さな家に、ターニアはどうやら一人暮らしらしかった。
 台所のテーブルまで、ユーリとシェベットが買い物袋を運び込むと、

「どうもありがとうねえ。
 今日は、なんだか色々と付き合ってもらっちゃって」

 と、ターニアは優しい声で笑った。
それから、頬に片手をあてて首をかしげ、

「――お茶くらい、飲んでいってもらおうと思っていたんだけど……。
 もう、すぐに帰る? あの子のこと、気になるわよね」

 シェベットは「いや、こちらこそありがとう」と軽く頭を下げて、

「ターニアさんのお茶は捨てがたいが……そうだな。
 今日のところはこのまま帰ろうか」

 ユーリも、ちょっとだけ惜しそうな表情で頷いた。

「また宿にも来てよ、ターニアさん。昔の冒険の話とか、もっと聞きたいんだ、俺」
「ええ、またね!
 ……あの子のことも、今度、改めて教えてね」

 ターニアは二人に、お礼の銀貨と、それから飴玉を握らせて、玄関先まで見送ってくれた。
 住宅の並ぶ静かな通りを、再び宿へ向けて歩き出す。

「あの人、もう目を覚ましたかな」

 ユーリは早速、もらった飴玉を口に放り込んだ。
甘酸っぱい林檎の味がする。

「うーん……」

 シェベットは視線を少し上に向けて、なにやら考え込みながら歩いていたが、
不意にぴたりと足を止めた。

「……俺、盗賊ギルドに寄ってから帰ろうかな」
「えっ?」
「あいつのこと、もしかしたら探してる人がいて、情報が入ってきてたりするかもしれない」

 ユーリは頷いた。
街の事件や、ちょっとした噂話まで、盗賊ギルドには様々な情報が集まってきている。
異国から来たであろう男のことも、何かわかるかもしれない。

「そっか。じゃあ、俺は先に宿に戻ってるよ」
「ああ。そんじゃ、後でな」

 シェベットは手を振って踵を返し、来た道を足音もなく駆け戻っていった。
盗賊ギルドがあるのは街の外れ。大通りに近い宿とは逆方向だ。

(――何か……わかってそうだったなあ、シェベット)

 彼はもう、ある程度、男の正体の予測はできているのではないかと、ユーリは思った。
ひとつ息をついて、ユーリは宿への道を歩いていった。

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