2.呪われた男


 宿に戻ったユーリが、談話室に向かうと、
そこには冒険者仲間のフィオナとソラヤもやって来ていた。
ソラヤはエルフ――魔法に長けた種族だ。
彼女もやはり男の魔力の気配を感じて、フィオナと共に様子を見にきたらしい。

「おかえりなさい。
 こっちはご覧の通り……特に変わりはありませんでした」

 ラーフラは、まだソファで眠っている男を手で指し示した。
ユーリは心配そうに眉を下げて頷き、

「シェベットは盗賊ギルドに行ったよ。
 この人のこと、何か情報があるかもって」

 それを聞くと、フィオナはちょっと首をかしげた。

「本人が目を覚ましてから聞くのでは、だめなのかしら」
「そう……だよなあ。でも、この人、ちょっとわけありっぽいし――」

 言いかけて、ユーリは目を見開いた。眠っている男のまぶたがぴくりと動いたのだ。
ユーリにつられて、他の三人の視線も男の方へと集まる。

 男は、ううん、と、ほとんど息のようなかすかなうめき声を漏らしながら、ゆっくりと目を開いた。
 鮮やかな琥珀色の瞳が、ここはどこかというように動いて――
ユーリ達をとらえると、男は驚いたようにがばっと跳ね起きた。
きょろきょろと談話室の中を見回す。

「誰……だ? ここは、どこだ? 私は何故ここにいる?」

 男の言葉の端々には、聞き慣れない変わった音調があった。
 顔立ちの雰囲気も、ユーリ達とはなんとなく違う。
子供のような印象さえあって、年齢がよくわからない。

「えっと、ここはルアードの街の冒険者の宿だよ。
 あんたが、市場の裏道で倒れていたから、とりあえず連れてきたんだ。
 俺達はこの宿の冒険者で……俺はユーリ」

 男はユーリの言葉を聞くと、ゆっくりとまばたきして、「そうなのか……」と頷いた。

「狭い道で……疲れて、座り込んだところまでは、覚えていた。
 どうも、ありがとう。私は――」

 そこで男は、何かを思い出したように、はっとして口ごもり、

「――エルナシムという、砂漠の国から来た。私も冒険者だ」

 と、言葉を選ぶようにしながら言った。
ユーリは冒険者、と聞くと笑顔になって、「へえ」と、嬉しそうな声を上げた。
フィオナはその国の名前を知っていたようで、少し目を丸くして頷いている。

「海のずっと向こうね。ずいぶん長旅だったでしょう。ここまでは、仲間と一緒に?」
「……ああ、まあ……。仲間は――来ていない。私一人だ」

 男はなんだか歯切れ悪く答えた。

「お腹は空いていませんか?
 宿のマスターが、すぐ用意できるようにしてくれていますよ」

 ソラヤが訊ねると、男はぱっと目を輝かせたが、
すぐに表情を曇らせてうつむいてしまった。

「その、私は今、金を持っていなくて……」

 もごもごと言うその声に被さって、ぐぐう、と、男のお腹が大きく鳴った。
男は恥ずかしそうに頬を赤くする。

「お金は気にしなくていいですよ。マスターにお願いしてきますね」

 ソラヤはにっこりして、談話室を出て行った。
その背中に、「すまない」と、小さな声をかけて、男ははあとため息をついた。

「そうだ。荷物が見当たらなかったけど……何か、あったのか?」

 ユーリが心配そうな表情で、男に聞いた。
冒険者なら、荷物や金を持っていないのはなおのこと奇妙だ。

「それは――話すと、長くなるんだが……」

 困ったように、男は視線を泳がせている。
そんな男の様子を見て、ラーフラは、ふむ、とかすかに首をかしげるようにして、

「まずはとりあえず、食事をされては? 話は食べながらでも、その後でも」
「――そうさせてもらって、いいだろうか」

 男は少しほっとしたように言った。

「空腹のときに、たくさん喋るのはつらいですからねえ」

 ラーフラはうんうんと何度も頷くと、椅子から立ち上がった。


 男をともなって酒場へ向かうと、ちょうど、マスターが男のためらしい食事をお盆に乗せて、
ソラヤと一緒にこちらへ歩いてこようとしているところだった。

「やあ、おはよう」

 マスターは男を見て微笑んだ。
どうぞ好きな席へ、と言われて、男は店の隅のテーブルについた。
ユーリ達も、男の前や、すぐ隣のテーブルの席に腰を下ろす。

 マスターが用意してくれたのは、ベーコンと目玉焼きを乗せたトーストと、豆の入ったコロッケ、
それから野菜と卵のスープに、よく冷えた果物のジュースだった。
 男は並べられた料理を見て、黒い手袋をはめた両手の指を、祈るように組み合わせた。

「あ……ありがたい。いただきます」
「ええ、どうぞ。足りなかったら、作り足すからね」

 男は匙を手に取ろうとして、はたと自分の手を見た。
ちらりとユーリ達を見回して、何かためらうようにしていたが、仕方なさそうに手袋を外した。

 男の浅黒い手には、無数の傷跡があった。
冒険や戦いのさなかに付いたものにしては、数が多すぎるし、
指の先の方にまでたくさん付いているのも、なんだか妙だ。
 ユーリは少しぎょっとしたが、まずは彼に食事をさせてあげよう、と、
傷のことを聞くのはやめておいた。

 男は、改めて匙を取ると、スープを口に運び――
その目から、ぽろっと涙をこぼした。

「ど、どうした? 大丈夫か?」

 驚いてユーリが訊ねると、男はぽろぽろと涙をこぼしながら、「大丈夫だ」と首を横に振り、

「こんな……温かくて美味しいものは、久しぶりだったから……」

 と、男は指で目元をぬぐった。
 隣のテーブルについていたラーフラが、たまらずといった様子で、男の方に身を乗り出す。
幼い頃、貧民街で暮らしていて、お腹を空かせて眠ることも多かった彼は、
食べ物絡みの事情には敏感になっているらしかった。

「好きなだけ、食べてくださいね。
 お代はうちの仲間のツケにしちゃいますから――」

 そのとき、宿の扉のベルがカランカランと鳴り、シェベットが帰ってきた。
シェベットはユーリ達に気がつくと、小走りに駆け寄ってきて、男を見るとにっと笑った。

「目、覚めたんだな。よかった」
「ええと――お前は……」

 シェベットを見上げてまばたきしている男に、ユーリが横から、

「シェベットだよ。あんたのこと、最初に見つけてくれたんだ」
「……そうだったのか。ありがとう」

 男はぺこりと頭を下げた。シェベットは「いやなに」と笑うと、
ちらりとユーリと目を合わせ、小さく肩をすくめた。

(盗賊ギルドでは、特に何もわからなかったのかな?
 さっき、この人も、仲間は来てないって言ってたし……)

 ユーリは首をかしげて、そっと男の方を見た。
男は料理を大切そうに、少しずつ食べている。
 シェベットとユーリの無言のやりとりを見て、フィオナが口を開いた。

「彼、エルナシムの冒険者なのですって。ここまでは一人で来たそうよ」
「へえ……。名前は?」

 何気なく、シェベットが訊ねると、男はぴたりと手を止めた。

「その……」

 後の言葉が続かず、男は黙り込み――
少ししてから、ゆっくりと口を開いた。

「――私は、ある呪いにかけられている。
 誰かに真の名を呼んでもらえば、その呪いは解けるが……
 自ら名を明かすと、一生解けなくなってしまうんだ。だから、今は名乗れない……」
「の、呪い?」

 ユーリは目を丸くした。
ソラヤとラーフラは、表情を曇らせながら頷いている。

「真の名は、魂と繋がっていると言われています。
 呼ぶことで、魂を呪いから解き放って、
 本来の姿に戻してあげることができるんですね」

 と、ソラヤが教えてくれた。ラーフラは首をかしげて、

「どんな呪いなんですか?
 もしかすると、他にも解呪の方法があるかもしれません」
「……それも、話すと長くなる。食べ終えてからでいいだろうか」
「ああ、そうですね。失礼しました」

 シェベットは「ふーむ。なるほどな」と顎に手をあてて、

「でも、呼び名がないと不便だぜ。何か、仮の名前を考えたらどうだ?」
「そうか……そうだな」

 男は首をひねって考え込み、ふと、目玉焼きトーストに視線を落とした。
それを両手で顔の前にかかげるように持って、

「……サニー・サイドアップ」
「は?」
「――結構、名前らしいかもしれない。うん。そうしよう」

 男は一人で頷きながら呟き、顔を上げた。

「とりあえず、私のことはサニーと呼んでくれ」
「わかったわ、サニー」

 フィオナだけは納得した様子だが、
他の四人はやや返答に困ったように、曖昧に頷いたりしている。
 男――改め、サニーは、なんだか満足げな表情で、トーストをかじった。

(振っておいて、なんだけど……そんな決め方でいいのかよ?)

 と、シェベットは密かに思った。


 サニーが食事を終えると、一同は改めてテーブルを囲み、
飲み物などを注文しつつ、サニーの話に耳を傾けた。

「――私はエルナシムで、ある死霊術師を倒してほしいという依頼を請けた。
 仲間達と共にその死霊術師の元へ向かい、戦って……
 そのさなか、死霊術師が私に向けて魔法を放った。『石の眠り』という魔法だった」
「それ……即死魔法じゃないですか!」

 ラーフラがぎょっとして目を見張る。
 『石の眠り』は、身体が石になって砕け散り、それきり元へは戻れない、という恐ろしい魔法だった。
強力な分、扱える魔術師も少ない。

 死霊術師は名の通り、死者の魂や死体――アンデッドを操る術を得意とする魔術師だ。
高位の術師の中には、命を奪う魔法を使い、
そのまま犠牲者を自分のしもべにしてしまう者もいるという。
 サニー達が挑んだ相手も、相当の力を持つ術師だったのだろう。

 サニーは頷いて、

「ああ……。私はその魔法を受けた――が、身体は石にはならなかった。
 元々、私は魔法への抵抗力が強い方だったから……
 それで、死なずに済んだのかもしれない。
 だが、完全に魔法を防ぐことはできなかった。
 軽減された『石の眠り』は、傷から流れ出た血が宝石になってしまう、という呪いになって降りかかった」

 宝石、と聞いてか、シェベットが興味を惹かれたように、ふぅんと頷いた。

「そんなに、悪い呪いでもなさそうな気がするが」

 サニーは暗い表情で、首を横に振る。

「その宝石が厄介なんだ……。
 どうやら、見た者の欲を煽るような魔法を帯びていたようなんだ。
 戦いの中で付いていた、私の傷からこぼれた宝石を見て、仲間達の目の色が変わった」
「――あなた、まさか、その傷跡……」

 フィオナがかすかに眉をひそめて、サニーの傷だらけの腕を見た。
サニーはうなだれて、白い傷跡がいくつも走る腕を、
もう片方の手でぎゅっとつかんだ。

「仲間達は私の真の名を知っていたが……呪いを解いてはくれなかった。
 結局、死霊術師には逃げられてしまい、仕事は失敗したが……。
 仲間達は、これでもう仕事をせずとも金を稼げると、喜んでいたよ」
「……」

 ユーリは心が冷えた。
おそらく――彼の傷は仲間に付けられたのだ。

 その場にいる他の四人も、表情をこわばらせている。

「そして、充分な金を得たらしい仲間達に――
 情けない話なのだが……もう用済みだと、盗賊ギルドに売られてしまった。
 そこから更に、噂を聞きつけた遠い国の魔術師の研究材料に買われて……
 船で運ばれて来る途中、隙を見て、小舟を奪って逃げたんだ。
 なんとか海岸に辿り着き、やっとのことで、この街まで来ることができたが、疲れて倒れてしまった」

 サニーは重いため息をついた。
少しの間、目を閉じ、開くと、すっと顔を上げた。

「仲間は失ってしまったが……エルナシムには、私の真の名を知っている友人がいる。
 帰りたいが、あの国は遠い。旅費もずいぶんかかるだろう。
 ひとまずこの宿に厄介になって、帰るための資金を稼ぎたいのだが」

 サニーがそう言うと、
「そういうことなら」と、フィオナが椅子から立ち上がった。

「マスターに頼んでみましょう。
 サニーは……魔術師、でいいのかしら?」
「魔法戦士だ。――が、今は武器もないから、まあ、魔術師だな」

 魔法戦士は、剣術や体術などの物理的な戦闘技能と、魔法の両方を扱える者のことだ。
 サニーも席を立つと、空っぽの腰に手を添えて、肩をすくめた。
以前は剣などを差していたのだろう。

 カウンターの方へと向かう二人を見送ると、
ソラヤがテーブルに身を乗り出すようにした。

「ラーフラ。彼の呪い、なんとかならないでしょうか?
 あんなこと――仲間に――あんまりです」

 かすかに震える声でそう言って、両手を握り合わせる。
ラーフラは「うーん」とうなって首をひねり、

「僕は、あまり呪術には詳しくないのですが、」

 考え込むようにしながら、ゆっくりとラーフラは言葉を続けた。

「元々、呪いとしてかけられたものではなく、
 抵抗した結果呪いになってしまった、ということだと……。
 ちょっと、ややこしいことになっていそうですね。
 普通の解呪方法では、効果がない可能性もあるかもしれません。
 やってみないとわからないですが」

 ソラヤは眉を下げて頷く。シェベットが腕組みをして、

「やっぱり、真の名を呼ぶのが確実ってことか。
 ……それって、当てずっぽうで言って、もし当たったら解けるのか?」

 ラーフラは眉を片方だけ持ち上げて、顎に手をあてた。

「解ける……んじゃないでしょうか?
 砂漠の中で一本の針を探すようなことだと思いますが」
「まあ……なあ。
 うちのギルドの情報網も、さすがにエルナシムまでは繋がってねえだろうし、調べるのも難しいか……」

 ギルドと聞いて、ユーリがなんだか少し不安そうな表情を浮かべた。
「あ……あのさ」と、遠慮がちにシェベットに声をかける。

「なんだ?」
「盗賊ギルドって、その……人を売ったりもするのか?」

 おそるおそる、ユーリが訊ねると、シェベットは首を横に振った。

「よそじゃ、人買いと繋がってるところもあるんだろうが。
 うちで扱ってるのは情報と物だけだ」

 シェベットがそう言うと、背後で、がたん、と音がした。
 四人がふり返ると、マスターとフィオナと一緒に、
こちらへ戻ってこようとしていたサニーが、
後ずさるような格好で、近くの椅子の背をつかんでいた。

「お前は、盗賊か……」

 まっすぐにシェベットを見すえて、うめくような声で言った。

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