4.屋敷へ


 依頼の屋敷は、街外れの丘の上に建っていた。
 風に草木がそよぐかすかな音の他には、何も聞こえない、静かな場所だ。
街の賑わいも、ここまでは届かない。

(こんな大きな家に、一人で住んでたのか……)

 ユーリは、宿の建物よりも大きな屋敷を見上げて、はーっと息をついた。

 昨夜、盗賊ギルドへ行ったシェベットが、用事のついでに屋敷の情報も仕入れてきて、
来る途中に話を聞かせてくれたのだ。
 屋敷の主だったドミニクという男は、人嫌いというわけではなかったけれど、
街の人々とも、親戚達とも、あまり付き合いをしない人物だったという。

(……寂しく、なかったのかな?)

 誰かと一緒にいるよりも、一人で過ごす時間が多い生活というのは、
ユーリにはいまいち想像しにくいことだった。

 そしてドミニクは、少し前から、心臓を悪くしていて……
たまに通ってくる使用人に、自室で倒れていたのを見つけられたが、
そのときにはもう息をしていなかったそうだ。

「それと、これはただの噂だが」と、シェベットはついでのように、
この屋敷はドミニクが亡くなる以前から、幽霊屋敷と呼ばれていた、ということを付け足した。
夜、ふよふよと飛んで窓から屋敷へ入っていく、
青白い炎の玉のようなものを見た人がいたらしい……。


「――入ってすぐ、妖魔がお出迎え、ってことはなさそうだ。幽霊はわからんが」

 シェベットの声で、ユーリは我に返った。
シェベットは扉に耳を押し当てている。中の物音を探っていたらしい。

 フィオナは屋敷の外観を見渡してみた。
石造りのどっしりとした建物だ。どの窓にも、ぶ厚いカーテンが下ろされている。
魔物が棲み付いたというわりには、外から見た限りだと、荒れている様子はない。

「中の様子が、全くわからないけれど……。
 とりあえず、入ってみましょうか」

 シェベットは頷いて、借りてきた鍵を取り出し、扉の鍵穴に挿し込んで回した。
 大きな扉は、蝶番のきしむ音を立てながら開いてゆく。

 屋敷に入ってすぐの大広間は、しんとしていて、
ひとまず妖魔や幽霊の気配はないようだった。
正面に、二階へと続く階段があり、その両脇に扉が一つずつある。
古道具屋の主人が渡してくれた見取り図によると、
二つの扉はどちらも広い食堂へと続いているらしい。

 頭上で何かが光って、見上げると、ガラスの雫で飾られたシャンデリアがあった。
扉から入ってきた、わずかな外の光と風を受けて、ガラスの雫が揺れて輝いていたのだ。
床に、虹色の光がわずかに散っている。
明かりを灯せば、きっと大広間いっぱいに光のかけらが降るのだろう。

 一行の背後で、扉がゆっくりと閉じて、辺りは薄暗くなった。
 サニーが短い呪文を唱えながらぱんと手を合わせ、ひらくと、
手のひらから光の玉が浮かび上がった。
小さな玉なのに、その光はとても明るく、外の昼間の日差しのように広間を照らし出した。

「ほんのひとかけらだが、陽の光だ」
「ランタンよりも明るいですね。それに暖かい」

 ソラヤは暖炉の火にあたるときのように、光の玉に手をかざした。

「この程度の光なら、幽霊が隠れてしまったりはしない……と思う。
 まずそうだったら消すが」

 サニーが腕を差し上げると、光の玉はみんなの頭より少し高い位置で、ふわりと留まった。

「この広間も、荒らされている様子はないですね。
 魔物はどこにいるんでしょう」

 明るくなった広間を見回して、ラーフラが首をかしげる。

「一部屋ずつ見ていこうか」

 シェベットがそう言って、歩き出そうとした、そのとき。
階段の脇の扉の向こうから、ざわりと何かが動くような気配がして、
六人はそちらに視線を向けた。

 かたかたと音がしたと思うと、勢いよく扉が開き、中から黒い影が飛び出した。
 蝙蝠のような翼を持つ、小さな鬼のような妖魔――インプ達が、
ばさばさとこちらへ飛んでくる。ざっと十匹ほどはいるようだ。

「こいつらは斬れるんだよな!?」

 ユーリが剣を構える。フィオナもすっと長剣を抜いた。
「ああ! どんどん叩っ斬れ!」シェベットは答えて、

「ここは俺達に任せて、魔法は温存しといてくれ」

 ラーフラ達に向かってそう伝えると、投擲用の短剣を構えた。

 インプ達は小さく、動きも素早い。狙って斬り付けるのは難しい相手だ。
ユーリとフィオナは剣を振り回し、刃より面積の広い剣背で叩き付けるようにして、
インプ達を床へ落としてゆく。
二人の攻撃から逃れたものに、狙い澄ましたシェベットの短剣が突き刺さった。
 床に転がったインプの身体は、しばらくひくひくと震えたあと、少しずつ塵になって消えてゆく。

 フィオナはふうっとため息をついて、インプ達が飛び出してきた扉に目を向けた。

「……あの部屋の中にも、まだいるかしら?」
「かも、しれないな。気をつけて行こう」

 一行がインプ達の死体を跨いで、開いたままの扉の方へ歩いてゆこうとすると、
不意に、倒れ伏していたインプの一匹がぴくりと動いた。
まだ生きていたのだ。
 インプはばっと飛び上がって、一番近くにいたサニーに向かって、長い鉤爪を振り下ろし――
すかさずシェベットが割り込んで、短刀でインプの腹を貫いた。

 しかしインプは悲鳴を上げながらも、最期の足掻きで、サニーが顔をかばった腕を切り裂いた。
傷口から、ちょうど柘榴の実のような、赤く光る石の粒が床に飛び散る。
サニーは青ざめた。

 その石は明かりを受けて、ちかっと目を刺すように輝いて、
ユーリはなにか胸の中がざわつくような感覚に襲われた。

「見るな!」

 腕を押さえたサニーが、怯えた声で叫ぶ。
ユーリははっとして目を逸らした。

 ラーフラは外套に着けた魔除けに手をやり、
フィオナとソラヤもなんだか不安そうな様子で、赤い宝石から視線を外している。
みんなそれぞれに、ユーリが感じたのと同じ、おかしな感覚に襲われたようだった。

 ――ただ一人、シェベットの視線は釘付けになったように、じっと宝石に注がれていた。

「……」

 シェベットは短刀を仕舞うと、のろのろと宝石の方へと歩いていって、
床に落ちている宝石を拾い集めはじめた。サニーが息を飲んで、一歩後ずさる。

「……シェベット?」

 二人の様子に気がついたフィオナが、そっとふり返った。

「な――何してるんですか!」

 ラーフラも、魔除けを握りしめたまま、シェベットの様子を見ると、驚いたように声を上げた。

 フィオナはかすかに焦りの色が見える表情で、ユーリの方をふり向いた。
視線で「彼を止めて」と言われた気がして、
ユーリはシェベットの手の中の宝石を見ないようにしながら、後ろから彼に掴みかかった。
 シェベットは、手から落ちそうになった宝石をなんとか受け止めると、
肩越しにユーリをふり返り、

「なんだよ。痛いぞ」
「なんだよじゃないよ! その宝石――」
「ああ、これなあ」

 シェベットは手の中の宝石に視線を戻し、……首をかしげた。

「別に、なんともないぜ。綺麗な石だとは思うが……それだけだ」
「へ?」

 ユーリはきょとんとして、思わずちらりと宝石に視線を向け――
やっぱり、おかしな感覚が湧き上がってきそうになって、慌てて見るのをやめた。

「え……えっ?」

 いつでも逃げ出せるような体勢のまま、サニーは困惑した表情を浮かべている。
 シェベットは、はっとしたような顔になってサニーを見て、

「それとも、時間が経つとだんだん……って感じなのか?」
「いや……今までのみんなは、それを見てすぐに……」

 サニーは首を横に振った。
それを聞くと、シェベットはほっとしたように表情を緩ませて、それから笑った。

「じゃあ、俺はたまたま大丈夫だったんじゃないのか?
 あんたが、即死魔法に耐えられたみたいに――ってのとは、ちょっと違うかね」

 あっけらかんとそう言って、ユーリの手を離させると、宝石をサニーに手渡した。

「そんな……ことが……あるだろうか」

 サニーは呆然とシェベットを見つめていたが、ふと我に返ると、何か短い呪文を唱えた。
ぼう、とサニーの手のひらに金色の炎が生まれて、宝石を焼き尽くし、
きらきらと光の残滓を散らして消えていった。

 フィオナは安堵のため息をついたあと、ぼそりと呟いた。

「むしろ、普段を考えると、シェベットが一番危険だと思っていたわ」
「う。反論しづらい――が、本当になんともなかったぞ」

 ラーフラが、ふーむと顎に手を添えて、

「既に物欲が来るところまで来ていて、これ以上強くならなかったのかもしれませんね」
「なるほどね」
「そこで納得しないでくれ!」

 そんなやり取りを横目に、ソラヤはサニーの腕を取って、先程の傷に癒しの魔法を唱えた。
サニーは少し頬を赤くして、ありがとう、とソラヤに告げると、シェベットの方へ向き直った。

「あの――すまない。油断していた。……ありがとう」

 ぼそぼそと言って、ちょっとぎこちない仕草ではあったものの、頭を下げた。
 シェベットは驚いたように目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。


 食堂の中は静まり返っていたが、魔物達の仕業だろう、食糧の食べかすが散らばって汚れていた。
漁られたらしい厨房はぐちゃぐちゃになっている。

「こりゃあ、ひどいな……」

 シェベットは呟きながら、長いテーブルにかけられた白いクロスをめくったり、
魔物が隠れられそうな場所を調べていたが……
どうやら、ここにはもう魔物はいないようだ。

 ユーリは手に持っていた剣を鞘に納めようとしながら、
何気なく――本当に何気なく、背後をふり返った。

 そこに、青白くぼんやりと光る、炎のようなものが浮かんでいた。
 幽霊。ウィスプだ。

「――うわ、わっ!」

 ユーリは驚いて、咄嗟にウィスプに向かって剣を振ってしまった。
ウィスプの方も、何故か驚いたように、効かないはずの剣を避けようとした。

 刃の切っ先が、青白い火の玉の尾に少し触れたと思うと、すぱっと火の玉と尾の先を斬り離す。
きゃーっ、という甲高い悲鳴が――ユーリの聞き間違いでなければ、ウィスプから聞こえて、
火の玉は身をよじらせるようにしながら、天井を突き抜けて上階へと逃げて行ってしまった。

「……えっと」

 ユーリは剣を構えた姿勢のまま、仲間達をふり返った。
 みんな、ぽかんとしてユーリを見ている。

「今……斬れたか?」

 しばらくの沈黙の後、やっとのことで、サニーが口を開いた。

「そういう風に……見えましたね」

 ラーフラが頷く。

 と、ソラヤが「あっ」と何かを思い出したように手を叩いた。

「ずっと、聞こうと思っていたんです、どうしてその剣を持っているのか!
 ――精霊銀製の剣ですよね?」
「精霊銀?」

 目をしばたたかせるユーリの周りで、ええっ、と四人がどよめく。

「なんか、珍しい物なのか?」
「珍しいどころじゃないですよ!」

 ラーフラが、興奮した様子で声を張り上げた。

 精霊銀は名の通り、精霊達の魔法の力と親和性の高い鉱物だ。
精霊銀そのものも魔力を帯びており――そのため幽霊を斬れたのだろうとラーフラが教えてくれた――
魔力を高めたり、魔法から身を守る力を持った、武具や装飾の素材として重宝されている。
 しかしその鉱脈は、ドワーフ達が築いた地下都市の深部にしか見つかっておらず、
そこでも今では滅多に採れない貴重なものなのだという。

「やっぱり、ただの鋼の剣じゃなかったのね」

 以前からこの剣のことを気にしていたフィオナは、案の定、といった様子で頷いている。

「すげえなあ。
 精霊銀製の物って、小さい飾り釦とか耳飾り一つでも、金貨何枚もするんだぜ」

 シェベットは羨ましそうに言って、剣の刃をしげしげと眺めている。
 ソラヤが剣の鍔を指さした。

「この、鍔の所……月光樹の葉の模様があります。
 エルフの細工師の手によるものでしょうね。
 どこかのエルフの森で、宝として祀られていてもおかしくないくらいの物ですよ」

 そう言うと、ソラヤは目を伏せて、

「……私の住んでいたラダンの森にも、精霊銀の短剣が一振りありました」

 と、少し寂しそうな声で付け足した。

「そんなに、すごい剣だったのか……。でも――」

 剣は亡くなった父親の持ち物で、由来は知らないとユーリが話すと、
ソラヤは「そうですか……」と頷いた。

「ユーリのお父様は、エルフにとって、何かとても良いことをしてくださったのかもしれませんね。
 そんな気がします」

 そう言って微笑んだ。

(……納屋に放り込まれていたとは言えないなあ)

 ユーリはひっそりと思いながら、ソラヤに曖昧に笑い返した。

 父親のことをあまり話してくれない母親は、このことは知っているのだろうか?
……少し気になったが、今はそれよりも依頼に集中しよう、とユーリは顔を上げた。

「――とにかく、これなら、もう幽霊も怖くないな」

 呟いて、ウィスプが消えていった天井を見上げる。

「二階へ行ってみよう」

 一同は頷き合って、食堂を出た。

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