6.金色の炎


 ユーリとフィオナは大蜘蛛に剣撃を叩き込んだが、
二人の剣は大蜘蛛の身体を覆っている毛と厚い皮に阻まれて、
わずかも傷つけることができていないようだった。
 後ろに下がろうとした二人に向かって、大蜘蛛が糸を吐きかけた。
ユーリの剣を絡め取り、ユーリも剣ごと大蜘蛛の方へ引き寄せられそうになる。
 ラーフラが炎の呪文を唱えて、ユーリの剣に巻き付いていた糸を焼き切った。

「おっ、ありがと!」

 ユーリは焼けた糸を振り落とし、大蜘蛛から距離を取った。

 炎を見て、大蜘蛛はわずかにたじろいだような動きを見せたが、
キチキチと牙を鳴らしながらゆっくりとラーフラの方へと頭を巡らせると、
彼に向かって糸を吐き出した。
「うわっ!」ラーフラは床に転がるようにして糸をかわす。
ソラヤが、床に倒れたラーフラの手を取って立ち上がらせ、
再び飛んできた蜘蛛の糸を、風の魔法で逸らした。

「炎が嫌いらしいな」

 サニーが呟く。
ラーフラは、ちょっとふらつきながらも杖を持ち直したが、大蜘蛛を見て眉を曲げた。

「しかし、あまり派手に炎の魔法を使うと……屋敷も燃えてしまいそうです」
「ううむ……」

 攻めあぐねるラーフラ達の横で、シェベットが大蜘蛛の顔を狙って短剣を投げた。
大蜘蛛は長い脚をぶんと振って、飛んできた短剣をはたき落とす。
シェベットはちっと舌打ちした。

「身体が硬かろうが、目になら効くかと思ったんだが――おわっ、とっと!」

 大蜘蛛が、伸ばした脚でシェベットが立っていた辺りを薙ぎ、シェベットは危うく飛び退いた。
「なるほど。目を狙ってみましょうか」ラーフラは頷いて、呪文を唱えた。
杖の先から光の矢のような魔法が放たれて、大蜘蛛の大きな左目を射抜く。
大蜘蛛は、ギィッと苦しげな鳴き声を上げた。

「少し、かわいそうですけど――」

 ごめんね、と、ソラヤも眉を下げて呪文を唱える。
ぽうっと彼女の周りにいくつもの光が灯ったと思うと、それは銀色に輝く細長い葉なのだった。
ソラヤが腕を差し向けた方に――大蜘蛛に向かって、銀色の葉は短剣のように鋭く飛んでゆく。
いくらかは大蜘蛛が振り回した脚に阻まれたが、
それをすり抜けた葉が何枚も、大蜘蛛の目に突き刺さった。

 大蜘蛛はのたうち、血を吐くように糸を吐き出した。
先程までのように狙いをつけたものではなく……
めちゃくちゃに飛び散った糸は、かえって不意打ちになり、サニーが足を取られた。
そのまま大蜘蛛の方へと引きずられる。
 再び炎の魔法を唱えて糸を焼き切ろうと、杖を構えたラーフラを、
「待て、大丈夫だ!」とサニーが制止した。

「大丈夫、って……どうするつもりなんです!?」
「……」

 サニーは答えない。
引き込まれながら、握った拳にもう片方の手を重ねて、何か呪文を唱えている。
 大蜘蛛は身もだえながら糸をたぐり寄せ、サニーを捕らえようと脚を伸ばした。
長い牙がぞろりと生えた口を、大きく開いた。

 その瞬間、サニーは大蜘蛛に――大蜘蛛の口に向かって、手を突き出した。
手のひらから放たれた金色の炎が、吸い込まれるように大蜘蛛の口の中へと飛び込んだ。
口から溢れ出した炎が、ぱあっと大蜘蛛の身体を包んで燃え上がる。

 広間は真夏の太陽のように、眩しい光に照らされた。
少し離れたところにいるユーリ達にも、熱波が伝わってくる。
 大蜘蛛は、身体の内から外から炎に焼かれて、もがきながら悲鳴を上げた。
――と、空気が漏れ出すような音を立てて、大蜘蛛の身体が縮みはじめた。

(魔力が……抜けていっている?)

 魔物の身体から魔力が流れ出し、消えてゆくように、ラーフラには感じられた。
 やがて炎がふっと消えたとき、大蜘蛛の姿はもうどこにもなく……
そのとき、サニーがよろけて膝を付いたので、ユーリ達は慌てて彼に駆け寄った。

「……っつ……」

 サニーはうずくまったまま背を丸めて、顔をゆがめた。

「大丈夫?」
「どこか、怪我したのか!?」

 フィオナとユーリが訊ねると、サニーは首をゆっくりと横に振った。

「疲れた……」
「なんだよ!」

 ユーリが笑い混じりに言うと、サニーもちょっと笑った。
 その足元で、何か小さなものが動いたと思うと、
そこには小指の爪ほどの大きさになってしまった蜘蛛がいた。
何が起こったのかわからない、というように、小さな蜘蛛は赤い目でこちらを見上げている。
 フィオナが覗き込んで首をかしげた。

「これ……さっきの?」
「普通の蜘蛛みたいになっちゃいましたね……」

 ソラヤが呟くと、ラーフラが考え込むように眉をひそめて、

「というか……元々、普通の蜘蛛だったみたいです。
 どこかの魔術師にでも飼われていて、
 魔力を与えられて、あの姿になっていたんじゃないでしょうか」

 蜘蛛はそそくさと一行の足元をすり抜けて逃げて行こうとする。
その前に、シェベットが足を下ろして道を塞いだ。
蜘蛛は驚いたように飛び退き、またちらりと一行を見上げた。

「逃がしていいのか、こいつ?」
「ええ、大丈夫でしょう。今はもう、本当にただの蜘蛛です」

 ラーフラが頷く。
シェベットが足をどけると、蜘蛛は屋敷の暗がりへと消えていった。
 それを見送った後、シェベットはくるっとサニーに向き直り、

「――というか、お前なあ!
 あんな危ない戦い方……うまくいかなかったら、どうするつもりだったんだよ」

 サニーはシェベットから目を逸らして、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「すまない。でも、うまくいくと思ったからやったんだ。
 ……炎が溢れてきたときは、少し焦ったが」
「まあ……倒せたし、無事だったから、よかったけどよ。お疲れさん」

 シェベットはため息をつきながら笑った。
サニーはなんだか、虚をつかれたような表情を浮かべて、
シェベットに何か言葉を返そうとして――うまく声が出てこなかった。
けれど、ちょっとぎこちない表情ながらも、笑い返してみせたのだった。

 そのとき、背後から『みなさん、』と声がかかった。
ふり返ると、階段の上にドミニクとウィスプ達の姿があった。

『なにやら騒がしかったようですが、何かありましたか?』

 どうやら戦いの物音を聞きつけて、様子を見にやって来たらしい。

「ああ、魔物がまだいたというか、また来たというか……。
 もう倒したから、大丈夫だ」
「お騒がせしました」

 シェベットとラーフラが答えると、『なんと。お疲れ様です』と、ドミニクは目を丸くした。
ユーリは幽霊達に手を振って、

「今度こそ、魔物はみんな倒したから、俺達帰るよ」
『そうですか。
 重ね重ねですが、本当にありがとうございました。道中、お気をつけて』

 ドミニクとウィスプ達は、広間(の、扉を開けても陽の当たらない位置)まで来て、
一行を見送ってくれた。


 屋敷を後にした一行は、古道具屋へと向かい、屋敷でのことを話した。
 魔物は退治したが、幽霊の正体はドミニクとその友達であったので退治はしなかったこと。
魔力を遮蔽する結界が切れて、そのため魔物が寄ってきているのかもしれないこと。
 それから、彼の甥のトーマに渡してほしい品があることも。
木製のペーパーナイフを手渡すと、

「わかりました。私からご家族の方に必ずお伝えします」

 古道具屋の主人はそう言って、大切そうに受け取った。
 屋敷から品物を運び出すのは、まだもう少し先になるらしく、
結界のことは知人の魔術師に相談してみるということだった。

 そうして、依頼の謝礼と……なにやら小さな鈴のついた飾りを取り出し、サニーに差し出した。

「こちらは解呪の護符です。
 すぐに効果が出るものではありませんが、
 身に着けていると、少しずつ確実に、呪いを取り去ってくれます。
 ……あまり、冒険者さん向きの品ではなくて、申し訳ないのですが」

 サニーの手のひらで、護符の鈴がころんと鳴る。
冒険の最中は、なるべく静かにこっそりと行動しなければならないことも少なくない。
そんな場面では、確かに、これを持っているわけにはいかないだろう。

「慣れりゃあ、そういうものを持ってても静かに動けるようになるぜ」

 シェベットがけろりとそう言った。
軽く飛び跳ねると、バンダナに巻き込んだ飾りがしゃらんと音を立てる。
首飾りと鎖帯もちりちりと鳴った。
 ……そういえば、こうしてごてごてと飾りを身に着けているのに、
冒険中、彼が物音を立てるのを聞いた記憶がないことに、ユーリ達は気がついた。

「……実は、すごかったんだな、シェベットって」

 感心しきった声でユーリが呟くと、シェベットはにやっと笑った。

「お、今更わかったのか?」

 サニーはそれに一瞥をくれると、「……それは私には真似できない」とぼそりと言って、
古道具屋の主人の方へ視線を戻した。

「まあ、宿にいる時に持っていることにするよ。ありがとう」


 妖精のとまり木亭へと帰ってくると、マスターが「おかえり」と迎えてくれた。

 一行は、みんなで夕食の席を囲んだ。
葡萄酒とできたてのパン、香料で味付けした羊の焼き肉に、豆や野菜がたくさん入ったトマトスープ。
一口一口を、噛みしめるようにして食べながら、「美味いな……」と、サニーがしみじみと呟いた。

「エルナシムで世話になっていた宿では、ここまで良い食事は出なかったよ。
 いつもこんな豪華なものを食べているのか、この街の冒険者は」
「そうかい? ありがとう」

 カウンターの中のマスターが、こちらをふり向いて微笑んだ。

「サニーもこのまま、ずっとルアードにいれば?
 護符があれば、そのうち呪いは解けるんだろ」

 パンを頬張りながら、ユーリがにこにこと言った。
サニーは「うーん。考えておく」と、曖昧に微笑む。

「とはいえ、一刻も早く解けるに越したことはありません。
 だめでもともと、真の名当てもやってみましょうか」

 ラーフラがそう言うと、
フィオナはスープをぐるりとかき混ぜて、考え込むように小首をかしげた。

「そうね。――エルナシムの方の名前ねえ……」
「ああ、ええと。私の名前はエルナシム風ではないんだ。
 父方の祖父が、こちらの方の生まれで」

 サニーは手を振り、「……って、この程度のことは言っても平気……だよな?」
と、不安げな表情を浮かべた。
「大丈夫でしょう。手がかりはどんどん出してください」とソラヤが笑った。

 そうして、五人――と、マスターも参加して、思い付く名前を次々と挙げてみたが……
サニーの真の名を当てるには至らなかった。

「ふーむ。まあ、また思いついたら言ってみようぜ。
 ――ところで……お前に呪いをかけた死霊術師って、どんな奴だ? 名前はわかるか?」

 葡萄酒を飲んで一息ついて、シェベットが訊ねた。
 サニーは「ああ」と、鋭さのある声で言った。

「モルガナ。白い髪に赤い目の女だ。エルナシムの民ではないようだった」
「なるほど……そいつの情報も、探してみるよ。
 やられっぱなしのままじゃあ、悔しいだろ」

 シェベットが不敵な笑みを浮かべる。
サニーはその女の顔が見えているかのように、空を睨んで、深く頷いた。


 食事を終えて、サニーが部屋へ戻って過ごしていると――
コンコンと、部屋の扉がノックされた。扉を開くと、フィオナが立っていた。

「サニー。あのね、これ」

 フィオナは、手に持っていた物をサニーに差し出した。
口の広い、浅めの瓶だ。軟膏剤のようなものが入っている。

「『傷跡を治す』薬なのですって。
 塗り込むと、だんだん跡が目立たなくなっていくそうなの。
 よかったら、使ってみて」
「あ……ありがとう」

 フィオナは瓶をサニーに手渡すと、それじゃ、と帰っていこうとして――
「あっ」とふり返った。

「近いうちに、剣も買いに行きましょうね」

 そう言うと、今度こそ小走りに駆け去っていってしまった。
 サニーは少女の後ろ姿と、手の中の瓶を順に見やる。
まだ封をされたままの、新しい薬だ。

(わざわざ買ってきてくれたのだろうか)

 ――しかし、いつの間に?
昨日、みんなで薬屋に立ち寄ったときに、フィオナが買い物をするところは見ていたが……
その中にこんな薬はあっただろうか。サニーは首をかしげた。

(……まあ、いいか)

 息をついて、サニーはふと、エルナシムにいた頃の――
おかしくなってしまう前の仲間のことを思い出した。

 冒険中に、ちょっとした怪我をしてしまったサニーのために、
仲間の一人が薬を持ってきてくれたことがあったのだ。
ちょうど、今のフィオナのように。
「私は魔法で治せるんだから、薬なんていいのに」とサニーが笑うと、
仲間は、「あっ……そうだったな。――でもほら、心配でさ」と、照れくさそうに言った。
そんな仲間の気持ちが嬉しくて、サニーはもらった薬を使ったのだった。

「……」

 その薬をくれた手と、同じ手で付けられた傷の跡が、
ずきりと痛んだような気がして……サニーは目を閉じた。
 次々と蘇ってきそうになる、昔の仲間達の記憶――楽しかったものも、そうではないものも――
を追い払おうとするように、サニーは首を振った。

(止そう、こんなことを思い返すのは……。
 ――それよりも。せっかくもらったんだ、これを使ってみよう)

 サニーはぎゅっと薬の瓶を抱えるように握ると、部屋へと戻った。


 それから、幾日かが過ぎたある日。
 妖精のとまり木亭に、一通の手紙が届いた。
それはドミニクの甥トーマから、ユーリ達に宛てられた手紙だった。

 内容は、ドミニクからの誕生日の贈り物についてのお礼。
とても嬉しくて、思わず泣いて喜んでしまったと、ちょっとだけ冗談めかした、
けれど本当に感謝していることが伝わってくる文章で綴られていた。

 そして、「家族には、夢でも見たのだろうと言われてしまったけれど」
という前置きで、手紙の最後にこんなことが書き添えてあった。
 パーティーが終わったその夜、トーマの部屋の窓の外に、
青白い炎と一緒に飛んでいるドミニクの姿を見たのだと。

 彼は確かにトーマを見て、懐かしい笑顔で手を振ってくれたのだと……。

「お祝い、行ってあげたんだな」

 ユーリが呟くと、フィオナは「そうね」と微笑んだ。

(フィオナは――)

 そんなフィオナを見て、ユーリはぼんやりと、
屋敷でドミニクに訴えかけていた彼女の真剣な様子を思い出していた。

(昔、誰を待ってたのかな。その人は、来てくれたのかな?)

 考えながら、ぼうっと見つめていると、ふり向いたフィオナの翡翠色の目と視線が合った。

「何?」
「えっ。あ、いや……――そう、手紙!」

 考えていたことを、彼女に聞いてみていいものかわからなくて――
咄嗟に言い訳を考えて、ユーリはぱんと手を叩いた。

「俺も、家に、手紙を送ってみようかなって……剣のことでさ」
「ああ……。いいんじゃない?」

 フィオナは頷く。
とりあえずごまかすことができて、ユーリは内心でほっとため息をついた。

 慌てて捻り出した言い訳だったけれど、本当に剣のことも気になっていたし、
フィオナに教えてもらって、文字を書くのも少しは上手くなったし……
この機会に、改めて母親に聞いてみようかと、ユーリは思った。

「書くの、手伝う?」
「うん、……なるべく、自分で書いてみるけど。頼むよ」

 昔、訊ねたときは、いつもはぐらかされてしまっていたけれど――
会話ではなく文字でなら『言える』ことも、あるかもしれない。

 トーマからの手紙を仕舞って、ユーリが立ち上がると、
腰に差した剣が澄んだ音でかしゃりと鳴った。




(街外れの幽霊屋敷・おわり)

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