4.海の悪魔


 翌朝、水着に着替えたフィオナとソラヤを見るなり、
シェベットは感激しきった声で言った。

「ありがとう――俺、今まで生きてきて良かった。
 冒険者になって、本当に良かった」
「……それは、こういう場面で言う台詞なのか?」

 サニーは呆れ顔だ。

 ソラヤは、ちょっと苦笑混じりの笑顔を浮かべている。
彼女は長い髪をひとまとめにして、花飾りも、今日はキュストーレ島の花を挿していた。
 ……ラーフラも同じ髪型だ。
 ソラヤに、「ラーフラもどうですか? 結んであげますよ!」と、
にっこりと言われて、ラーフラは思わず頷いてしまったのだった――
お揃いの花飾りも着けられそうになって、流石にそれは遠慮したが。

 無表情にシェベットを見ていたフィオナが、ふと視線を動かした。ユーリと目が合う。

「あ――でも、本当に、かわいいと思う……」

 思わず口を開いたものの、言っているうちになんだか恥ずかしくなってきて、
ユーリの声はだんだん小さくなっていった。
大きく首を縦に振るシェベットの横で、サニーとラーフラも控えめに頷いている。

「……そう」

 フィオナはそれだけ言って、視線を逸らしてしまった。

 以前にも似たようなやりとりがあって――
その時は、ユーリはフィオナが何を考えているか、さっぱりわからなかったけれど、
今は、とりあえず彼女を怒らせたり不快にさせたりしてしまったわけではないようだ、
ということは感じ取ることができた。


 少しして現れたフランに連れられて、ユーリ達は舟小屋の茶屋へと向かった。
 ユーリ達以外にも、普段はホテルで働いている人など、十人弱の店員がいた。
小屋自体はあまり広くないが、外にも白いテーブルと椅子が並んでいる。
結構な数の客を入れられそうだ。

「みんな、今日はよろしく頼むよ。
 初めての試みだから、どうなるかわからないけど、頑張っていこう」

 と、フランは力のこもった声で言った。

 そして、開店して間もなく、茶屋にはたくさんの人がやって来た。
 お祭りの途中に立ち寄った人には軽い食事や、歩きながら食べられるもの。
海遊びの休憩にやって来た人には、冷たい飲み物や氷菓子を。

 時折、遠くから祭りの楽の音や太鼓の響きが賑やかに聞こえてくる中、
ユーリ達は忙しく働いた。
「店員の女の子がかわいいって聞いて来てみた」なんて人もいて、
シェベットと盗賊ギルド長の目論み通り、
フィオナとソラヤのおかげで客が増えているのは事実のようだ。

 たまに、必要以上に二人に絡もうとする客が現れたときは、ユーリ達男性陣が止めに入る。
 冒険者の男というのは、たとえ冒険用の装備を身に着けていなくとも(体格も良いし)、
普通の人にはない気迫というか、どこか違った雰囲気があるらしく、
客は慌てたように愛想笑いをして引き下がるのだった。

 ただ、他の三人と比べると小柄でほっそりとしているラーフラは、
しばらくそんな様子を歯がゆそうに見ていたが……
あるとき、何か思いついたように、ソラヤと彼女に絡む客のところに割って入っていった。
 客は始めラーフラのことを、なんだ子供か、という目で見ていたが、
急に驚いたような表情を浮かべると、彼に頭を下げて去っていった。

「ありがとう、ラーフラ。助かりました」
「いえいえ」

 ほっとして笑うソラヤを連れて、どこか得意げな表情で戻ってきたラーフラに、
様子を見ていたシェベットが訊ねた。

「今、何かしたのか?」
「僕のことも、みんなと同じくらい体格が良く見えるように、ちょっと幻術を」

 ラーフラはしれっとそう言った。
 ……といっても、アルハンがサニーの傷を見えなくしたような、
見る人全ての目を惑わす魔法は、かなり気力を消耗してしまう。
 なのでラーフラは、かけた相手にだけ幻を見せる魔法を使っていた。

 それを聞くと、ユーリが目を輝かせて、

「えっ。それ、俺にもかけてよ! 見てみたい」
「そ……そんなもの見ても、別に面白くないですよ!
 いいから、仕事に戻りましょう」

 ユーリは、はあい、と残念そうに答える。

「あの、私も、ちょっと見たい……です」

 ソラヤがぽそりと呟くと、ラーフラはぐっと詰まったあと、

「……実物の僕の貧弱さが際立つので……だめです!」

 と、首を横に振った。
 幻術で作り出した姿をソラヤに見せて、例えばもし、
その姿が――本当の自分ではないその姿が、素敵だと思ってもらえたりしても、

(それは……なんだか、全然嬉しくない、ような気がする)

 そんなことを、ラーフラは思った。


 仕事の合間に、交代で慌ただしく昼食を取ったりして、
あっという間に、時刻は昼下がり。

「みんな、大丈夫? 疲れてないかい?」

 少し客足が落ち着いた頃、フランが店員達みんなに訊ねた。
 彼女も、特にたくさんの人がやって来た昼頃には一緒に手伝ってくれていたので、
ちょっとだけ疲れたような様子だ。
店員達も、汗をかいたりしてはいたけれど、
「大丈夫です」「まだまだ!」と、笑顔で答えた。

「それじゃあ、日暮れまであとちょっと、頑張ろう」

 と、フランも笑い返した――そのとき、ふと外が騒がしくなった。

 お祭りの喧噪とは、何か様子が違う。
きゃあ、とか、うわあ、とか、悲鳴や叫び声のようなものが聞こえてくるのだ。
 そのことに気がついた瞬間、ユーリはほとんど反射的に外へと飛び出していた。

「な、なんだ、これ!?」

 外に出た途端、ユーリは目を丸くした。

 毒々しい紫色の、巨大な蛸のようなものが、海から上がってこようとしているのだ。
海で遊んでいたらしい人や、砂浜を歩いていた人達が、叫びながら逃げてゆく。

 すぐに仲間達やフランもやって来て、蛸の姿を見ると、口々に驚いたような声を上げた。

「魔物……! 『海の悪魔』だ!」

 フランが眉をひそめて叫んだ。

「この辺りでは、こんな魔物が出るの?」

 フィオナが訊ねると、フランは首を横に振った。

「たまに、島の漁船があれに襲われるんだ。けど……。
 もっと、ずっと沖合いに棲んでるんだ。
 こんなところまで出てくるなんて、聞いたことがないよ」

 蛸はのそのそと砂浜に這い上がると、
街の中心の方へと向かって、ゆっくりと動きはじめた。
目の前を逃げてゆく人々に、うつろな視線を向けて、払いのけるように太い脚を振った。
悲鳴が上がる。

「……蛸みたいですが、色が気持ち悪くて、美味しくなさそうですね」

 小声でラーフラが呟いた。

「茹でたりしたら、良い色になるのかもしれねえ――じゃあなくて」

 シェベットは首を振って、

「放っとくと、やばそうだな、ありゃ」
「……なんとかできるかい?」

 フランが一行の顔を見回した。

「武器は持ってきているが」

 と、サニーが茶屋の方を見た。
一応、みんな武器は持ってきて、茶屋に置いてあったのだった。
「取ってくるよ!」ユーリが踵を返し、茶屋に駆け込んでゆく。

「水着で戦うって、どうなんだろうなあ」

 そう言いつつ、シェベットは早くも、指の間に投擲用の短剣を数本挟んでいる。
どこかに仕込んでいたのだろうか。

 戻ってきたユーリから、武器を受け取ると、一行は蛸の進行方向へと回り込んだ。
蛸はぴたりと動きを止めて、六人の方に目を動かした。

「あの脚でぶたれでもしたら、かなり痛そうよ」

 人の胴ほどの太さもある蛸の脚を見て、フィオナが言った。

「こんな格好ですし……なるたけ距離を取って戦った方がよさそうですね」

 ソラヤの言葉に頷いたラーフラとサニーが、呪文を唱え始める。
それに反応したように、蛸はゆらりと脚を持ち上げた。

 勢いよく振り下ろされた脚に、ラーフラが魔法の稲妻をぶつけて弾き返した。
続けてもう一本降ってきた脚を避けたサニーは、流れるような動作で脚を斬りつけると、
突き出した左の手のひらから、炎の魔法を放った。蛸の丸い身体を包んで燃え上がる。
蛸は、喇叭を乱暴に吹き鳴らしたような甲高い鳴き声を上げながら、砂浜の上でのたうった。
 初めて使った剣の背を撫でて、サニーはかすかに笑った。

「悪くない」
「なんか嬉しそうだな、あんた」

 シェベットが口を挟むと、サニーはなんだかむっとしたような表情になって、
「別に、嬉しくはない」と、ぼそりと言った。シェベットはちょっと肩をすくめる。

「焼けると、結構、美味しそうな匂いがしますよ」

 と、ラーフラが嬉しそうな声で言った。
少し離れたところで様子を見守っていたフランも、うんうんと頷いている。

「綺麗に仕留めたら、店で出せるかもしれないね。頑張って!」
「食うのか、これ!?」

 言いながら、ユーリは脚の攻撃を打ち返すように剣を振るった。
 てらてらと光る紫色の蛸の魔物は、見ていると、なんだか……
どちらかというと、食欲が失せてゆくような気がするが。

(――とか考えてる場合じゃなくて)

 さっきの脚が、またもこちらへ向かってきている。
今度はうまく反撃のタイミングを合わせられず、ユーリがよろめいたとき、
横からフィオナがその脚を叩き斬った。

 ありがとう、と声をかけようと、ユーリはフィオナの方に視線を向けて――
そのとき突然、もう一本、別の脚が伸びてきて、フィオナの身体に巻き付いた。
フィオナは小さく声を上げ、彼女の剣が砂浜に転がった。
そのままフィオナを持ち上げてゆこうとする脚に、ユーリは咄嗟に跳びついた。

「フィオナ!」

 蛸が鬱陶しそうに脚を振り回す。ユーリは振り落とされないように、掴まる手に力を込めた。
 危ない、と、背後で仲間達が叫ぶ声が聞こえる。
ユーリを叩き落とそうと迫っていた別の脚に、シェベットが投げた短剣が突き刺さり、
蛸は悲鳴を上げて、脚を反り返らせた。

「ユーリ……!」

 フィオナが苦しげな声で言って、かすかに顔をしかめた。
巻き付いた脚の力が徐々に強まって、身体が締め付けられているのだ。
 ユーリは、なんとか蛸の脚にしがみつきながら、剣を逆手に振り上げて、

「こ――のぉ!!」

 それを思いきり、蛸の脚に突き立てた。
 蛸はまたも悲鳴を上げ、ぶんと大きく脚を振って――
ユーリとフィオナを、海に向かって投げ出した。

 二人の身体は遠くまで飛ばされてゆき、
ざばん、と、大きな水しぶきを上げて、海に落ちた。

「ユーリ! ……フィオナ!」

 シェベットが叫んだ。
 ……二人が水面に上がってくる様子がない。

『か――風の精霊! その白き手でかの者達を包め!』

 ソラヤが叫ぶように唱えた。
 光が弾け、音高く風が巻き起こる。風はきらきらと光る帯のように流れてゆくと、
二人の姿が消えたあたりの海面に、吸い込まれるように消えていった。

「二人が……息ができるように、水の中へ空気を送りました。
 でも、それほど長くは持たないかもしれません……」

 青ざめた顔で、ソラヤが言う。

「あの二人のことです。大丈夫でしょう。
 ……早くこいつを倒して、二人を迎えに行きましょう」

 ラーフラの声はかすかに震えていたが、蛸を鋭く睨む瞳には強い意志の色が宿っていた。
シェベットも、少しだけこわばった表情ではあったけれど、にやっと笑った。

「そんでもって、みんなで蛸料理三昧だな!」
「……どうあってもこいつは食う流れなのか」

 サニーは嫌そうにシェベットを見たが、
真剣な表情に戻って蛸の方へと向き直ると、剣を構えた。


 ユーリが、何が起こったのか理解する前に、その身体は海へと落ちた。
 沈んでゆきながら、海面に叩きつけられた背中に受けた衝撃と痛みに、
ごぼっと空気を吐き出し――口を何かに押さえられたと思うと、フィオナの手だった。

 周囲の青くゆらめく景色と、いくらか口に入った水の塩辛さに、
ユーリはここが海の中だということに気がついた。

(そういえば、俺、初めて海に入ったんだな)

 ふわふわゆらゆらと、水に身体を柔らかく包まれて、なんだか不思議な感覚だ。
 ……けれど、このままでは息が持たない。
今は感動する前に、とにかく海から出なければ、と、手足を動かしてみたものの、
どちらが上か下かもよくわからない海の中では、思うように動くことができなかった。

 フィオナがユーリの手を取って、上へと向かおうとしてくれたが、
なかなか海面に近づくことができない。だんだんと、息が苦しくなってくる。

 ――と、そのとき、海面の方で何かが光った。
 見上げると、その光は海の中に飛び込んできて、ユーリとフィオナの目の前で弾けた。
真珠色に光る泡がぶくぶくと湧き出したと思うと、寄り集まって大きな空気の玉になり、
二人の頭をすっぽりと包み込んだ。呼吸ができる。

「……助かったあ!」

 げほげほとむせ返りながら、ユーリは笑った。
吹き飛ばされながらも、しっかりと握ったままだった剣を、
水着の上に巻いた剣帯の鞘に収める。

「魔法……みたいね。
 ――ユーリ、たぶん、この空気も限りがあるわ。
 あまり無駄遣いしない方がよさそうよ」

 フィオナが冷静にそう言って、
ユーリは深呼吸をしようとしていた途中で、ぴたりと息を止めた。

「じゃあ、早く、海の上に出ないと――」

 ところが、突然、穏やかだった海中の波が強まって、
二人の身体をあらぬ方向へと攫ってゆこうとした。

 ユーリは咄嗟に、はぐれないようにフィオナの手を掴んだが、
流れに抗うことはできなくて、そのままどこかへと押し流されていったのだった。

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