5.遺跡に眠るもの


 ユーリとフィオナは、岩壁に開いた横穴に押し込まれるように流れ着いた。
 この横穴の中の水流は弱いようだが、外は相変わらず渦巻くような急な流れだ。
海底の砂を巻き上げて、水が少し濁って見える。

「あいたたた……フィオナ、大丈夫か?」

 ユーリは、ちょっと岩壁にぶつけてしまった頭をさすりつつ
(ぶつけた瞬間、ユーリはひやりとしたけれど、空気の玉は割れたりすることはなかった)、
フィオナをふり返った。

「ええ、なんとか。
 出て行くと、また、どこに流されるかわからないわね……どうしましょうか」

 フィオナは呟くように言って、横穴の奥の方を見やった。
穴はトンネルのように長く、少しずつ上へ向かって続いている。

「この奥に行ってみるしかないか」

 と、ユーリも同じ方を見て、二人は頷き合った。
 岩壁の中の横穴を、奥へ、上へと泳いでゆく。
……ただ、ユーリはやっぱりまだ泳ぎ方がよくわからなくて、
フィオナに手を引いてもらって進んだ。

 途中には、外の流れから避難してきたのか、小さな魚達の姿もあった。
魚は二人が近づくと、慌てたように銀色の身体を翻して逃げてゆき、
離れたところでまたのんびりと泳ぎ出すのだった。

 進んでゆくうちに、周囲が少しずつ明るくなってきたと思うと、
上から――澄んだ水色にゆらめき輝く海面から、光が射し込んできているのだった。

 海から出られる!
 ユーリは目を輝かせて、フィオナの顔を見た。
フィオナも、ユーリを見て、ちょっと笑った。

 二人が水から顔を出すと、そこは――
空気は溜まっているけれど、どうやら、洞窟かなにかの中のようだ。
 ユーリとフィオナは水から上がって、辺りの様子を見回した。

「ただの洞窟ではなさそうね」

 足元を見て、フィオナが言った。
 海水の潮や湿気で痛んでしまっているが、壁も床も天井も、人の手で造られたものだった。
建物の中のようだが……今は人が近づかない場所なのか、石畳の床には砂や埃が積もっている。
天井の一部や、二人が上がってきた穴のように、
ところどころ崩れたり、海に浸食されたりしている部分もあった。

 二人がいるのは、通路の行き止まりのようなところだった。
通路の先を見ると、右に折れる曲がり角があり、その向こうが明るくなっていた。
かすかに風も吹いてくる。

「あっちに出口があるのかな」
「そうね……行ってみましょう」

 頷いて、ユーリとフィオナは歩き出した。
ぴたぴたと濡れた裸足の足音が辺りに響く。

「そうだ、」歩きながら、つとフィオナが顔を上げた。

「言いそびれるところだったわ。
 さっき、助けてくれて、ありがとう」
「その前に、フィオナも助けてくれただろ。俺の方こそ、ありがとう」

 ユーリはそう言うと、ふと表情を曇らせて、少し下を向いた。

「――あのとき、咄嗟に動いちまったけど、
 それで、こんな……海に落とされて流されて、余計に危ない目に遭って……ごめん」

 仲間が魔法で空気を送ってくれなければ、二人とも溺れてしまっていたかもしれない。
 もっと、上手いやりようがあったんじゃないか……と、ユーリが考えていると、
フィオナは大きな目でまばたきして、

「でも、二人とも、大丈夫だったじゃない。
 そんなことを言ったら、そもそも、あたしが蛸に捕まらなければ済んだことだわ。
 ……そこは、反省するけれど――とにかく、これでよかったのよ」
「そう……かな」
「そうよ」

 フィオナはきっぱりと言い切って、一気に喋って疲れたというように、ひとつ息をついた。
 どうやら、励まそうとしてくれているようだ。
ユーリはちょっと笑顔になって、それから、思い出したように言った。

「しっかし、泳ぐのって難しいんだなあ……。
 フィオナは、前にも海に来たこととか、あるのか?」
「……あたしは……。実家が、サンドリタで」

 フィオナは少し視線を逸らして答えた。ユーリは、へえ、と頷いた。

 キュストーレ島へ来るのに、ユーリ達はサンドリタの港から船に乗ったのだけれど、
そのとき見たサンドリタの海も――
さすがにキュストーレにはかなわないかもしれないが、綺麗だった。

(フィオナの家のことって、初めて聞いたな)

 そう思って……そういえば、彼女が冒険者になった理由も知らないことに気がついた。
それも聞いてみようかと、ユーリが顔を上げると――
フィオナの表情が、なんだか曇っている。
この話を続けたくなさそうな雰囲気を感じて、ユーリは黙って足を進めた。


 通路の曲がり角にさしかかった頃、フィオナがまた口を開いた。

「あのね。さっきから、考えていたのだけれど」

 角の先は、また真っ直ぐに通路が続いていた。少し先の左側の角から光がさしている。
 フィオナは、明るく照らされた右側の壁に視線を向けた。

 そこには、見上げるほど大きな――何か紋様が刻み込まれた、石の扉があった。

「ここって、入り江の洞窟の遺跡なんじゃないかしら」
「えっ?」

 ユーリは一瞬ぽかんとして、「……ああ!」と目を丸くして、大きく頷いた。
 昨日、みんなで入り江から見た、あの洞窟。

 光がさしてくる方を見やると、通路が崩れて、その先は海と洞窟になっていて……
遠くに、半円に切り抜かれた外の光が見えた。
あそこが、昨日見た洞窟の入り口なのかもしれない。

「海の中に、別の入り口があったのか……。
 それじゃあ、あれが、どうやっても開かないっていう遺跡の扉?」

 ユーリは扉の前まで駆けていった。
扉は隙間なくぴったりと閉じられていて、取っ手なども見当たらない。
 押して開けることも、とても出来そうにないけれど……
ユーリはそろそろと手を伸ばし、扉に触れてみようとした。

 ――その瞬間、扉の向こうから、
ごごご……と、低い音が聞こえてきて、ユーリは後ろに飛び退いた。
音はだんだんと大きくなってゆき、壁や床をびりびりと震わせる。

「これって――」
「『竜のいびき』?」

 ユーリの隣で、フィオナも扉を見上げて言った。
 近くで聞く『竜のいびき』は、ぐおお……ぐおお……と低く重く響いて、
本当に、なにか大きな生き物の立てるいびきのようだ。

「やっぱり、この中から聞こえる!」

 音にかき消されないように、ユーリは声を張り上げた。フィオナが頷く。
 しかし、扉や周囲の様子には、特に変化はなく――
しばらくすると、『竜のいびき』もまたぴたりと止んだ。

 二人は少しの間、黙って扉を見上げて、それから顔を見合わせた。

「ここも気にはなるけれど……まずは、みんなのところに戻らないと。
 いつまでもこんな格好で、濡れたままでいたら良くないわ」
「そうだな。でも……」

 ユーリは後ろをふり返った。
フィオナは泳いで戻れるかもしれないが、ユーリは……ちょっと自信がなかった。

(一旦、フィオナに一人で戻ってもらって、迎えに来てもらうとか……)

 出口を見ながら考えていると、

「……あれ?」

 ユーリの声に、フィオナも同じ方を見た。
 淡い緑色の光の玉が、こちらに向かって飛んでくる。
光は二人の目の前まで来るとふわりと留まった。

『ユーリ、聞こえますか? ユーリ!』

 光の玉から、ソラヤの声が聞こえてきた。
これは、この光の玉――風の精霊を通じて、
離れた場所にいる相手と話すことができる魔法だ。

「ソラヤ?」

 ユーリが声をかけると、ソラヤの声の調子がわずかに明るくなった。

『ユーリ! 大丈夫ですか? フィオナも一緒ですか?』
「二人とも無事よ。そっちは?」

 フィオナが答えた。光の中から、仲間達の安堵のため息が聞こえてくる。

『蛸は倒したぞ。
 今、茶屋の人達と、ホテルの料理人にも来てもらって、さばいてるところだ』

 シェベットの声だ。どうやら先程の蛸の魔物は、本当に料理してしまうらしい。
ユーリは苦笑した。

「さっき、空気の玉を送ってくれたのは、ソラヤ?
 おかげで助かったわ。ありがとう」
『はい! 本当に、二人とも、無事でよかった……』

 涙ぐむように、ソラヤの声が少し震えた。
「そういえば、」と、ユーリは訊ねた。

「この魔法って、相手の居場所がわかってるか、目印のマジックアイテムがないと、
 届かないんじゃなかったっけ。どうやって、ここまで飛ばしたんだ?」
『ユーリの剣を目印にできないかと思って、試してみたんです』

 と、ソラヤは言った。ユーリはなるほどと頷く。
 ユーリの剣は、精霊銀という特殊な金属で造られたものだ。
魔力を帯びているので、マジックアイテムと同じように、魔法の目標にできたようだ。

『まあ、大丈夫だろうとは思ってましたよ?』

 さらりと言ったのはラーフラだ。
『またまたあ』と、茶化すようにシェベットが口を挟み、
何かをばしっと叩いたような音がして、シェベットは『いてっ』と声を上げた。
ラーフラにはたかれたのかもしれない。
 きっとラーフラは、本当はすごく心配してくれていたのだろう。

 やり取りを聞いて、ユーリが笑っていると、
ラーフラはなんだかわざとらしい咳払いをした。

『それで。今、どこにいるんですか?』
「ああ、それが……遺跡のある洞窟に来ちゃったみたいなんだ」

 ユーリとフィオナが今までの経緯を話すと、
『よく、上手いこと流れ着いたな』と、サニーが感心したように言った。

『じきに日が暮れる。すぐに舟を借りて迎えに行こう』
「お願いするわ。
 ……泳いででも、出られないこともなさそうなのだけれど」
「俺、どうやら泳ぎは下手だったみたいだからさ」

 ちょっと恥ずかしそうに、ユーリは頭を掻いた。

『……本当、無事でよかったなあ。すぐ行くから、待ってろ』

 シェベットが優しい声で言って、二人は頷いた。

『それじゃあ、魔法は解きますね。また後で!』

 ソラヤのその声を最後に、光の玉は弾けて、遺跡の床に光の粒を散らして消えていった。


 ほどなくして、みんなが迎えに来てくれた。
 ユーリとフィオナは、サニーが出してくれた、太陽のかけらの魔法の光で温まりながら、
持ってきてもらった乾いた布で身体を拭いた。

「これが、例の扉ですか」

 ラーフラはしげしげと石の扉を眺めている。

「せっかく来たことだし、もしフィオナとユーリの体調が大丈夫なら、
 少し調べて行きたいところだが……どうだ?」

 と、シェベットが二人をふり返った。

「俺は大丈夫だよ。あったまったし」

 ユーリがそう答えて、フィオナも頷いた。

「そういえば、さっき、『竜のいびき』がまた聞こえたのよね」
「あっ、そうそう! やっぱり、この向こうから音がしてるみたいなんだ」

 ユーリが扉を指さす。一行は扉の前に集まった。

「あの大きな魔力の出どころも、この向こうのようだぞ。
 ……しかし、ここまで大きいと、扉というよりほとんど壁だな」

 扉を見上げて、サニーが言った。

「そうですね……。本当に開くんでしょうか?」

 ソラヤは扉の紋様を見て、首をかしげている。見慣れない意匠のようだ。
ラーフラは目をすがめて、うーん、とため息をつくようにうなると、

「本気で開けようと思えば……壊すなりして、開けられそうですが」
「クラリッサみたいなこと言うなよ」

 間髪入れずにシェベットにそう言い返されて、
「クラリッサみたい……!?」と、ラーフラはなんだか傷ついたような声を上げた。

 クラリッサは『妖精のとまり木亭』の冒険者の、ドワーフの女の子だ。
見た目は小さく可愛らしいのだが……ちょっと、というか、荒っぽい性格なのだった。
この前も、近道をしようと森を無理に突っ切ろうとして迷ってしまった、と、
彼女とよく一緒に仕事をしているデュークが酒場で愚痴っていた。

「大戦前の遺跡だろ?
 竜の魔術師にも何か関係あるのかもしれないし、無理にぶち破るわけにもいかねえだろ」
「うう……。わかってますよ。言ってみただけです」

 そんなことを言い合いながら、みんなで扉をぺたぺたと触ってみたりしていると。
 ずずず……と、何か重たいものがゆっくりと動くような音がした。

「……え……?」

 ユーリが小さく声を漏らし、あとはみんな、言葉を失った。

 石の扉が……ひとりでに、開いてゆく。
 シェベットが口をぱくぱくさせて、――仲間達の顔を見回した。

「な……な、なんでだ? 誰か、何かしたか?
 ――それかひょっとして、この遺跡に、何かゆかりのある奴でもいるのか?」
「何もしてないし、ゆかりもないわよ」
「な、ないよなあ」
「ない……と思います」

 フィオナがきっぱりと否定して、ユーリとソラヤも頷いた。
ラーフラは顎に手をあてて、

「強いて言えば、古代の魔術師の血が――
 薄くですが、入っているとか……それくらいでしょうか」
「ああ、それはたぶん、私も同じく……。
 だが、今までにもきっと、魔術師が来たことくらいはあるだろう?
 関係はないんじゃないか?」

 サニーがそう言って、ラーフラも「ですよねえ」と首をひねる。

 驚いた一行がわあわあと騒いでいるうちに、扉は開ききってしまった。
扉の向こうには、黒々とした暗闇が満ちていた。
ひんやりとした空気が流れ出てくる。

 我に返ったシェベットが「しまったな」と小声で呟き、自分の頬を叩いて、

「こういう場面であたふたしてるだけ、ってのは、冒険者としてあるまじき行動だったな。
 あまりの急展開に焦っちまった」
「まさか、いきなり開くとは思わないものね……」

 フィオナも声をひそめて、シェベットの言葉に頷いたとき、

『誰だい……?』

 扉の向こうの空間から、低く響く、どこか眠たそうな声が聞こえた。
 闇の中に、青い光が二つ、きらりと輝く。
それを合図にしたように、暗い部屋の壁に次々と明かりが灯り、
広々とした部屋の様子が少しずつ見えてきた。

 そして、その一番奥に浮かび上がったものに、全員が息を飲んだ。

「竜……!?」

 そこにいたのは、淡い金色の鱗に青い目の、大きな竜だった。

 竜は大きな身体をゆっくりと起こし、呆然と自分を見つめている一行に目を留めると、
青い目を細めて微笑んだ。

『こんにちは。――島の外の人かい?
 僕はマクシミリアン。今はこんな姿だけど、魔術師だよ。取って食いやしないよ』

 一行は顔を見合わせた。
 ユーリがおそるおそる、竜のいる部屋の中へと踏み入ってゆき、
みんなもその後に続こうとして――ラーフラは、
傍に立っていたソラヤがついて来る気配がしないことに気がついて、後ろをふり返った。

 ソラヤは真っ白い顔になって、目を見開き、足がすくんだように立ちつくしていた。
竜が恐ろしくて動けないのだ。
 ラーフラが引き返してゆくと、
ソラヤは探るようにラーフラの手を取って、両手でぎゅっと握った。

「……ソラヤ、」

 突然手を握られて、ラーフラはどぎまぎしながら、ソラヤと竜の顔を順に見やった。

 マクシミリアンと名乗った竜は、その様子に気がつくと、ちょっと首をかしげるようにして、
なにやらぶつぶつと呪文を唱えた。
すると、見る間に竜の姿は金色の光に包まれて、
光のかけらを散らしながら縮んでいった。

 ぱっと光が消えたときには、竜のいた場所には、一人の男が立っていた。
見かけは、シェベットやサニーより少し年上くらいに見える。
白い衣を纏った、金色の長い髪のその人は、軽く腕を広げてソラヤに微笑んでみせた。

「ごめんね。これでどうだろう」

 そう言った声も、青い目も、先程の竜と同じだった。
 ソラヤは少しだけ心を取り戻したような表情になって、
ラーフラの手を握ったまま、そろそろとみんなの傍までやって来た。

「あの……ごめんなさい。私……」

 か細い声で言うソラヤに、マクシミリアンは笑って首を横に振って、

「いいんだよ。僕も……竜は恐ろしいと思うから。
 ――それにしても、こんな所に、森の人まで来るなんて珍しい。君達は……?」
「俺達、冒険者なんだ。……こんな格好だけど」

 ユーリが答えると、マクシミリアンはへえ、と頷いて、
物珍しそうに一行の顔を見回した。

「あの、マクシミリアンさん?」

 と、フィオナが思いきったように口を開いた。

「ミリアン、でいいよ。何かな?」
「ミリアンさん。あなたは――まさか、『竜の魔術師』?」
「竜の魔術師……? まあ、見たまま、そうと言えばそうだけれど……」

 ピンと来ない様子で首をかしげるマクシミリアンに、一行は島の伝説の話をした。

 彼は、古の大戦から千年近く経っているということに驚いた様子で青ざめて、
話を聞き終わると、深いため息をついた。

「――その『竜の魔術師』っていうのは、僕のことだ」

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