1.菫青座と怪しい噂


 ある日の夜、仕事を終えたユーリ達が『妖精のとまり木亭』へと帰ってくると、
おかえり、と迎えてくれたマスターの他には、酒場には誰もいなかった。

「ただいまあ。――あれっ、誰もいないのか」
「珍しいですね」

 そう言いながら、ユーリとラーフラが酒場の中を見回していると、
宿の中庭の方から、賑やかな笑い声と、
笛や手拍子のような音が聞こえてくるのに気がついた。

「みんな、中庭にいるよ。菫青座の人達が来てるんだ」

 中庭へと続く扉の方に視線を向けたユーリ達を見て、マスターが言った。

 ルアードの街の広場の傍に、菫青座という芸人一座の芝居小屋がある。
妖精のとまり木亭の冒険者達は、たまに旅興行に出る彼らの護衛の仕事を請けていて、
一座の人々も、仕事を終えた冒険者の宴の席で歌や踊りを披露してくれたりと、
以前から仲良く付き合っているのだった。

「菫青座の……。仕事の相談か何かあったの?」

 フィオナが訊ねると、マスターは頷いた。

「また近々、旅興行に出るらしくてね。
 今日はその相談を少しと……。
 デューク達が、旅の準備の買い出しの手伝いに行ってたんだ」
「へえ……。旅興行の護衛も、デューク達が請けるのかな?」

 ちょっと羨ましそうに、ユーリは言った。
 ユーリが冒険者になるよりも前からこの宿で仕事をしているフィオナとシェベットは、
菫青座の人々と面識があるようだが、
ユーリやラーフラ、その後に宿に来たソラヤとサニーも、まだ彼らと会ったことがない。
 芸人一座と一緒に旅をするなんて、なんだか楽しそうだ。
もし機会があれば護衛の仕事をしてみたい、と、ユーリは思っていた。

「そこまでは、まだ決めてないよ。みんなの仕事の予定次第だね」

 マスターは微笑んで、扉の方を手で指し示した。

「せっかくだから、顔を出してきたらどうだい?」

 ユーリは「行ってみようぜ」と仲間達をふり返り、みんなが頷いたのを見ると、
跳ねるように駆けて行って、扉を押し開けた。

 中庭の中央に立つ大きな木――『妖精の木』の周りに並べられたテーブルを、
宿の冒険者達が囲んでいる。デュークやクラリッサの姿も見えた。
彼らの視線は、木の方へと向いている。

 歩いてゆきながら、ユーリは爪先立って、冒険者達の向こう側を覗き見てみた。
 妖精の木の前で、笛と弦楽器の調べに乗って、長い黒髪の踊り子が踊っている。

「あそこの……根っこのとこで弦楽器を弾いてるのが、座長さんだ」

 シェベットが言った。

 ちょうど明かりの輪から外れていて、よく見えないが、
木の根に腰かけて、弦楽器を弾いている人がいるようだ。
踊り子を挟んで反対側には、笛吹きらしい人影も見える。

 踊り子は鳥のように軽やかに、
けれど一瞬一瞬、すらりと長く白い指の先まで、隙のない身のこなしで舞っていた。
衣装の装飾や、両手になびく薄布が、ランプの明かりに照らされてきらきらと輝く。
 冒険者達は手拍子を打ちながら、魅入られたように踊りを見つめていた。

 やがて踊りが終わって、
踊り子は綺麗な仕草でお辞儀をすると、にっこりと笑ってみせた。

「――よっし! それじゃあ、オレ達も飯だ!」

 そう言った踊り子の声で、ユーリはやっと気がついたけれど、
踊り子は――整った顔立ちの、細身の少年なのだった。

「男……」
「……だったんですね」

 やや呆然としたように、サニーとラーフラが呟いた。
二人とも驚いたような表情を浮かべている。

 その声が聞こえたのかどうかわからないが、
席に着こうとしていた踊り子の少年が、ふとユーリ達の方を見た。
長いまつ毛の青い目でまばたきして、

「あれ? 見ない顔だな。新入りか?」

 ユーリが頷いて、口を開きかけたとき、
木の陰で楽器を仕舞っていたらしい座長と笛吹きも、テーブルの傍にやって来た。

 座長は、淡い金髪の――おそらく、男の人だ。
目元を仮面で隠していて、顔立ちがよくわからない。
白や青や水色の継ぎ接ぎの衣装と帽子も相まって、道化師のような雰囲気だ。
 笛吹きは栗色の髪の少女だった。
襟元と裾に、さざ波のようにひだを寄せた薄布の飾りがついた青い衣装と、
羽根飾りつきの丸い帽子をかぶっている。

 ユーリ達初対面の四人が名乗ると、座長は一人一人と握手をしてくれた。

「私はベニーという者だ。一応、菫青座の座長ということになっている。
 ――こんな格好ですまない。
 人様にお見せできるような顔ではないのでね」

 仮面に手をやって、ベニーは笑った。
「オレ達も、座長の顔は見たことないんだ」と、踊り子の少年が言って、笛吹きの少女も頷いた。

「オレはイザク。見ての通り、踊り子だ」
「わたしはアルーエット、アルーって呼んでね。
 オカリナを吹いたりしてるよ。よろしくね」

 一同は、香草と香料で味付けして揚げた鳥の脚をかじりながら、軽く話をしたりした。
 イザクもアルーエットも、化粧で少し大人びて見えていたけれど、
ユーリ達と同じくらいの年頃のようだった。

「今度の興行は、どこへ行くの?」

 フィオナが聞くと、ベニーはうむ、と頷いて、

「グリザールの劇場から、お声がかかってな。公演をさせてもらうことになった」
「確か、かなり大きくて立派な劇場よね。すごいわ」
「ああ。これで我が一座もようやく、広く世間に知られるようになるかもしれない」

 仮面の下の表情は読み取れないが、ベニーの声には熱が篭っていた。

「グリザールか……」

 と、ぽつりと呟いたのはデュークだった。

 その街の名前を聞いて、ふとある少女の顔がデュークの頭に浮かんだ。
以前、道に迷った森の中で出会った、旅の死霊術師だというその少女は、
確かグリザールへ向かうと言っていたはずだ。

「なんだ、デューク。グリザールがどうかしたのか?」

 シェベットが訊ねると、
クラリッサが怪しい笑みを浮かべながら傍に寄ってきて、ささやくように言った。

「女だよ、オンナ。
 前に、依頼帰りに会った奴なんだけど、グリザールに行くって言ってたのさ」
「何! ついに、デュークにも春が来たか……!? どんな娘だ?」
「ええっとな――」

 何か言いかけたクラリッサを遮って、「違ぇよ!」と、デュークが叫んだ。

「そういうんじゃねえよ。
 ――旅してるらしいし、こっちに遊びに来たいとも言ってたから……
 グリザールに行ったら、もしかしてすれ違っちまうこともあるかなって、
 考えてただけだ」

 ちょっと怒ったようにデュークが言って、シェベットは目を細めて「ほーう」と頷いた。

「それで、どんな娘なんだよ」

 と、イザクまでにやにやと笑いながらデュークの肩を小突く。

「うるさいなあ。もう、その話はいいだろ!」

 デュークは鬱陶しそうにイザクの腕を除けると、すねたように後ろを向いてしまった。
不機嫌そうに尻尾を振っている。

「デュークが一緒に来てくれたら嬉しかったけど、
 好きな子が遊びに来るんなら、待ってた方がいいよ!」

 アルーエットは両手を握り合わせて、屈託のない笑顔でそう言った。
デュークはがくっと片方の肩を落とすようにして、
「だ、だから、違うんだが……」と、肩越しに顔だけちらりとふり返った。
 見かねたように、サニーが口を開く。

「だが、まあ、冒険者も旅人も、いつ命を落としてもおかしくない人種だ。
 旅の途中で出会って別れた人と、
 また再会できるかもしれないというのは、嬉しいことだよな」
「そっ……そうだろ? そうだよな! そういうことだよ」

 デュークは素早くふり向いて立ち上がると、サニーの手を取った。

「お前みたいな奴がいてくれて良かった。
 ――まったく、なんでこう、こいつらはこういう話が好きなんだか」

 やれやれ、とデュークは首を振る。サニーは苦笑した。

「ラーフラ。グリザールって、どの辺りにあるのですか?」

 ちょっと声をひそめるようにして、ソラヤがラーフラに訊ねた。
 ソラヤは魔物に追われるように故郷の森を出てから、それほど日が経っていない。
まだ、森の外の地理はよくわからないようだ。

「サンドリタからずっと北の……カタロ湾の向こう側ですね。
 ずっと街道は続いてますが、結構長旅だと思いますよ」

 ラーフラの言葉に、ソラヤがふむふむと頷く横で、
ユーリはちらりとシェベットの顔を見た。

「なんか、綺麗なものがたくさん作られてる街なんだろ。
 シェベット、行ってみたいんじゃないか?」

 グリザールは華やかで高級な装飾品が有名な街らしい。
何かの本で読んで、シェベットが好きそうだな、と思ったのを覚えていたのだった。

「ああ、憧れの街だよ。
 ガラス細工ひとつとっても宝石みたいに綺麗で、そんで高いらしいから……
 行っても目の保養にするだけだろうけどな」

 シェベットは頬杖をつきながらそう言って、うっとりとため息をついた。
そんなシェベットを見て、イザクが笑う。

「一緒に来いよ。
 別に買ったりできなくったって、綺麗なものを実際に目で見るって、良いことさ。
 なあ、座長」

 ベニーも笑顔になって頷き、

「グリザールは本当に美しい所だ。ぜひ、同行してもらえたら嬉しい。
 近いうちに、また相談に来させてもらうよ」


 その翌日。
ユーリ達は、今日は休みを取ることにして、各々自由に過ごしていた。

 ユーリは宿の酒場で、ラーフラとサニーと一緒に、少し遅めの昼食を取っていた。
 酒場の中には、他には冒険者ではない若い女性二人連れの客がいるだけだった。
 彼女達はお茶をしつつ、色々と他愛のない雑談に花を咲かせていたようだが、
少し会話が途絶えたのちに、一人が「そういえばさ!」と切り出した話が、
なんとなくユーリ達の耳にも届いた。

「昨日の夜。ハンナのところに出たんだって、吸血鬼」
「本当? 大丈夫だったの?」
「寝台の脇に置いてた花瓶を、投げつけてやったんだって。
 そうしたら、見事に吸血鬼の額に当たって、逃げて行ったそうよ」
「やだあ、ハンナってば!」

 二人は声を揃えて笑い、そのあと少し声を低めて、

「……でも、何もなくて良かったわね」
「うん。一応、警備隊には知らせたみたいだけど。
 ――やっぱり、あの芸人一座の……踊り子の男の子みたいだったって」
「うわあ……。本当にあの子、吸血鬼なの? かっこいいのにねえ」

 芸人一座の踊り子というのは、イザクのことだろうか。彼が、吸血鬼?
 ユーリは思わず女性達の方をふり返ってしまい、椅子ががたんと鳴った。
女性二人が、ぎょっとしたようにユーリを見つめる。

「あ――ごめん、今の話が聞こえちまって。
 えっと、吸血鬼……が、いるのか? この街に?」

 ユーリがそう言うと、女性達は笑顔を浮かべて、

「ここの冒険者さん?
 そうなのよ。今、街中この話で持ちきりよ。知らなかった?」
「僕達、ここのところ、街の外にいることが多くて……。
 最近の噂はよく知らないんです。
 よかったら、詳しく聞かせていただけませんか?」

 ラーフラがにこやかに答えると、女性達は、そっか、そうよね、と頷き合って、
近頃ルアードの街を騒がせているという『吸血鬼事件』について話してくれた。

 一週間ほど前から、夜になると毎晩のように、
眠っている人の元に吸血鬼が現れて、襲いかかってくるという事件が起きていた。
 襲われたのは、若い女性ばかり。
先程二人が話していたハンナのように、
抵抗したり悲鳴を上げたりして吸血鬼が逃げてゆき、無事だった人もいたけれど、
吸血鬼に噛みつかれ、血を吸われてしまった人もいるらしい。

 吸血鬼は強い力を持つアンデッドだ。
魔力の宿った瞳を見つめてしまえば、たちまち虜にされ、
あるいは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなり、その隙に噛みつかれてしまう。
そうして血を吸われた者は、吸血鬼の仲間やその下僕と化してしまうという。
 幸い、今回の事件で血を吸われた人は、しばらくすると正気を取り戻したそうだが……。

 そして、その吸血鬼が、菫青座の踊り子の少年――
つまりはイザクにそっくりだったというのだ。

 ただ……黒髪に青い瞳のイザクとは違って、
吸血鬼の髪は月の光にぼうっと輝くような妖しい紫色に見え、
目はそれこそ、血のように真っ赤に光っていたそうなのだが……。
「そこはほら、普段は普通の人間に見せかけているんじゃないかしら」と、女性は言った。


 女性達が帰ったあと、入れ違いのように、出かけていたシェベットが宿に戻ってきた。
盗賊ギルドへ顔を出しに行っていたらしい。
 シェベットは、ユーリ達が囲んでいたテーブルに一緒につくと、
なんだか複雑そうな表情で頭を掻いて、

「なーんか……変な噂を聞いたぜ。吸血鬼が出るとかっていう……」
「あっ、俺達も聞いたよ。さっき、お客さん達が話してたんだ」

 シェベットの話も、ユーリ達が聞いたものとほぼ同じだった。
吸血鬼が、イザクによく似た容姿だった、ということも……。
 サニーが、うーむ、と腕組みをして、

「確かに、あの手の魔物は、美形と相場が決まっているものらしいが……」
「とは、聞きますよね。幸い、実際にお目にかかったことはないですが。
 ――昨日、彼に会ったときには、魔物のような気配はしませんでしたよ」

 ラーフラがそう言って、サニーも頷いた。
ユーリは心配そうに眉を下げて、

「でもさ、もう、警備隊にも話が行ってるんだろ。
 イザク……捕まっちゃったりしてないかな?」
「それはちょっと心配ですね……」

 と、ラーフラは眉根を寄せた。

「芝居小屋があるんだったか?
 どうせ、今日は予定もない。様子を見に行ってみるか」

 サニーの言葉に、三人が同意すると、

「そんじゃ、さっさと食って、行こうぜ」

 と、シェベットが、ラーフラの皿に一つ残っていた揚げ芋をさっとつまみ上げて、
口に放り込んだ。
「あッ!!」と、ラーフラが大声を上げた。

「ぼ……僕の揚げ芋! 最後の一つ……!!」

 信じられない、というような表情でシェベットを見つめる。
 ユーリは慌てた様子で、ラーフラとシェベットの顔を交互に見やった。

「な、なんてことするんだ、シェベット。食べ物の恨みは……怖いって言うだろ」

 よりによって、人一倍食べ物に執着するラーフラから取るなんて……と、
ユーリは言葉にはしなかったが、
シェベットはそのとき、やっとそのことに気がついたようだ。
しまった、という表情を浮かべたが、遅すぎた。

 勢いよく椅子から立ち上がったラーフラが、早口に呪文を唱える。
振り上げた手に、銀色の稲妻が弾け――サニーがその腕をがっと掴んだ。

「止せ、宿の中だぞ!」

 ラーフラははっとして口をつぐみ、銀色の光はちりちりと消えていった。
静かに椅子に座って、

「――すみません……」

 とは言ったものの、ラーフラは恨めしげな視線をシェベットに向けたままだ。
 椅子ごと身を引いた姿勢で固まっていたシェベットは、

「い、いや。俺が悪かったよ……」

 目を見開いたまま、やっとの様子でそう言って、ゆっくりと首を横に振った。
 サニーが止めなければ、ラーフラは本気で魔法を撃ってきていただろう。
そうしたら、宿の中も自分も、どうなっていたか……。
シェベットは、過去の冒険の最中にラーフラが放った魔法の威力を思い返してみて、
すうっと顔から血の気が引いてゆくような気がした。

「え、ええっと……芝居小屋には、行くんだよな?」

 ユーリはおずおずとみんなの顔を見回した。

「ああ。行こう。――お前達もだ」

 サニーは頷いて、シェベットとラーフラの首根っこを掴むようにして立ち上がらせた。

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