2.吸血鬼退治の依頼


 そうして、四人は宿を出て、芝居小屋へと向かって歩きはじめたのだが……。

「揚げ芋……僕の揚げ芋……」

 ラーフラは、低い声でぶつぶつと繰り返しては、
前を歩くシェベットの背中を、拳でどすどすと叩いている。
いつも以上に、うつろな目つきで。

 シェベットは、助けを求めるような視線をユーリ達に向けたが、
ユーリは悲しげに目を伏せて首を横に振り、
サニーは自業自得だ、とでも言いたげな冷めた視線を投げ返してきただけだった。

「揚げ芋」
「わ……悪かった、本当に悪かったよ!
 お前から食いもんを奪った俺が愚かだった――」

 そのとき、シェベットは道の脇に何かを見つけて、
「ちょっと待ってろ!」と素早くラーフラから離れると、そちらへ駆けていった。
道端に出ていた屋台だ。食べ物を売っているらしく、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 シェベットは、すぐに小さな紙袋を抱えて戻ってきた。

「ほら、これをやるから、許してくれ」

 と、紙袋を開いて、ラーフラに差し出した。
チョコレートと、刻んだアーモンドがかかった、揚げたてのドーナツだ。
 ラーフラはぴたりと固まって、ドーナツを凝視した。

「こ、こ、この僕が、こんなもので恨みを忘れるとでも? ……」

 とかなんとか言っていたけれど、
結局ラーフラはふわふわのドーナツを受け取って、静かに食べ始めた。

「美味そうだなあ」

 と、ユーリが羨ましそうな声を上げると、
ラーフラは「まあまあです」とぼそりと言って、
ドーナツを一口分だけちぎってユーリに寄越してくれた。

 こっそりと安堵のため息をついたシェベットに、サニーが小声でささやいた。

「少しは動く前に考えろ。それでも……盗賊か?」
「ああ……宿の中だと、どうも気が抜けちまって。駄目だな……」

 シェベットは神妙な面持ちで首を振り――顔を上げた。

「次からは、あんたのを取ることにする」
「やめろ」


 そんなこんなで、四人は菫青座が拠点としている芝居小屋までやって来た。

 建物自体はそれほど大きくも新しくもないけれど、
入ってすぐの広間は丁寧に掃除されていて、
小規模ながらも綺麗な劇場、といった雰囲気だ。
 受付の机は空っぽだった。周囲にも、一座の人々の気配はない。

「おーい、誰かいるか?」

 シェベットが呼びかけると、どこからか「はーい!」という声が返ってきて、
ぱたぱたと足音が近づいてきた。

 広間の奥の階段を下りてやって来たのは、
栗色の髪を大雑把に一つに束ねて、飾り気のない布の服に身を包んだ女の子だった。
「よっ、アルー」と、シェベットが片手を挙げる。

「あれっ。どうしたの、みんな?」

 きょろきょろと、青い目で四人の顔を見回すその女の子は、
昨日出会った、笛吹きのアルーエットだった。
今は化粧もしていないようで、昨日とはずいぶんと違った印象に見えるけれど。

(アルーだったのか。一瞬、わからなかった……)

 ユーリは心の中でこっそりとそう思った。

「今、イザクに会えるか?
 別に急ぎの用でもねえから、忙しいとかだったら、いいんだが」

 シェベットが訊ねると、アルーエットは頷いた。

「大丈夫だよ。呼んでくるね」

 その辺に座ってて、と、アルーエットは広間の隅に置かれた長椅子を示して、
また階段を上っていった。

 四人が椅子に腰かけて待っていると、少しして、イザクが階段を下りてきた。

「よう。オレに何か用事だって?」

 ひらひらと手を振るイザクは、昨日と同じく、きらびやかな衣装を纏っている――
が、額に何かを貼り付けていた。
 ……薬草だ。怪我でもしたのだろうか?
 ユーリは、先程の女性の話を思い出した。

  ――寝台の脇に置いてた花瓶を、投げつけてやったんだって。
  そうしたら、見事に吸血鬼の額に当たって、逃げて行ったそうよ。

(そんな。まさか……)

 そう思いながらも、ユーリは何気ないふりをして、イザクに訊ねてみた。

「どうしたんだ、その額?」
「ん? ああ。
 ちょっとな……寝台から落ちて、打ったっぽいんだ。大したことはないんだけど、一応な」

 イザクはそう言って、薬草を貼り付けた額を軽くさすった。
 そこへ、アルーエットが、なにやら道具でも入っているらしい箱を両手に抱えて歩いてきて、

「イザク君、たまに寝てても踊ってるからねえ」

 と、笑いながら言って通りすぎていった。
 それを聞いて、シェベットも笑って、

「せっかく綺麗な顔なんだから、大事にしろよ」
「うーん。まったくだな。
 ――でも、絶世の美少年もなかなか辛いもんだぜ……。吸血鬼疑惑持たれてんだ、今」

 少し疲れたような表情を浮かべて、イザクは肩をすくめた。

「聞いたよ。それで心配になって来たんだ」

 ユーリが言うと、イザクは眉を下げて笑った。

「おっ、そうだったのか。
 今日も朝っぱらから警備隊が来てさ。証拠が不十分だとかって、帰ってったけど……。
 証拠なんか、あるわけないんだよな。オレじゃないんだから」

 最後のところは、イザクは少し強い調子で言った。ユーリ達は頷く。
 イザクは本当に困惑し、そして憤慨しているようだ。
嘘をついているようには見えない、とユーリは思った。

「吸血鬼の容姿が、お前に瓜二つということには、何か思い当たることはあるか?」

 サニーが聞くと、イザクは「さっぱりだよ」と、首を横に振った。

「見た人の話じゃ、服もこんなやつで、
 本当に『髪と目の色が違って、糸切り歯が牙みたいに長いオレ』
 って感じだったらしいけど。なんなんだろうな」

 うんざりした様子でそう言って、衣装は何着か似たものを持っているけれど、
盗まれたりした形跡はない、と付け足した。
しかし、特注というわけでもないので、イザクがこれを買った衣装屋に行けば、
同じものを揃えることは、できないことはないだろう、とも。
 すらすらと話してくれたところを見ると、
警備隊にも似たようなことを聞かれていたのかもしれない。

「――旅興行に、影響が出ないといいんだけどな。
 せっかくの機会なのに、みんなに迷惑かけたくない……」

 イザクは深いため息をついた。
 旅興行へ出ようにも、疑いをかけられている今の状況では、
街から『逃げ出す』のを警備隊に止められてしまうかもしれない。

 ユーリはうなだれる彼を見つめて――ふと、あることを思いついた。

「っていうか、さ! 俺達が、吸血鬼を退治すればいいんだよな」

 え、と、イザクが顔を上げる。

「もしかすると、依頼はもう来ているかもしれませんね」

 と、ラーフラが頷いた。
 今日は休みのつもりだったので、依頼書の貼り出される掲示板を見ていなかったけれど、
これだけの事件なら、既に依頼が持ち込まれている可能性はあるだろう。

「お前ら……」

 イザクの声が細くかすれた。

「……オレのこと、信じてくれるのか?」
「もちろん!」

 ユーリがすぐに答えて、三人も頷いた。

「だいたい、もし本当にお前が吸血鬼なら、
 なんでこんな大事なときにこんな事件を起こしちまうのか、意味がわからなすぎるしな」

 と、シェベットが笑う。イザクは少しだけ表情を緩めた。

「ありがとう。なんとか――解決してくれ。
 もし依頼が来てなかったら、オレがどうにかして礼金を出すから……。
 それで、一緒にグリザールに行こう」

 ユーリ達は笑顔で頷いた。


 その後、四人が宿まで戻ってくると――なにやら宿の中が騒がしい。
一同は顔を見合わせて、宿の扉を開いた。

「――なあ、頼むよ! 早くあの吸血鬼を退治してくれ!」

 宿の中から、そんな言葉が、四人の耳に飛び込んできた。
 カウンターに身を乗り出すようにして、若い男が一人、大声でまくし立てている。
マスターは静かな表情で、男の話を聞いていた。

 カランカランと扉のベルが鳴って、男がふり返った。
男はユーリ達を見るや、足早に近づいてきて、

「あんたら……! ここの冒険者だよな!?
 なあ。今、マスターさんにも話してたんだけどよ! 吸血鬼の退治を依頼してえんだ!」
「ええと……失礼ですが、あなたは?」

 男の勢いにやや圧倒されつつも、ラーフラが訊ねると、

「あ、ああ……俺はオーバンって者だ。市場の肉屋で働いてる」

 男――オーバンはそう言って、すがるような目つきで四人を見た。

「俺の彼女が、吸血鬼の野郎に襲われてよ!
 血を吸われて、しばらく様子がおかしくなっちまってたんだ。
 警備隊の奴らは、全然動いてくれねえし……
 あの野郎は、今も人間のフリして、のうのうと街にいるってのに……!
 もう、頼みの綱はあんたらだけなんだ!」

 口ぶりから、完全にイザクが吸血鬼だと信じているようだ。
 オーバンは、イザクに対する恨み言をひとしきり吐いたあと、
手に持っていた革袋をユーリ達に差し出した。じゃらりと、中で硬貨が動いた音がした。

「ここに三金貨と、銀貨が少しある。
 吸血鬼は強いらしいが……どうか、これで請けてもらえねえか?」
「その金、あんた一人のかい?」

 ちょっと首をかしげるようにして、シェベットが言った。
三金貨と少しなんて、
肉屋で働いている男が一人でぽんと出せるような金額ではないように思われた。
 オーバンは大きく頷く。

「ああ。
 ……給料も入ってるが、ほとんど賭けに勝って出来た金だよ」
「ははあ、そういうことか。いや、失礼」

 シェベットが軽く頭を下げると、オーバンは、いいんだ、と首を振って、
マスターの方をふり返った。

「それで……どうだ? マスターさんも……」

 マスターはやんわりと笑った。

「この件は、警備隊からも相談を受けています。
 一連の事件の調査と、もし本当に吸血鬼がいるなら、
 討伐もしくは今後街へ来ないように対処してほしい、と……。
 ですから、オーバンさんにはお金を出していただかなくても、大丈夫ですよ」

 それを聞くと、オーバンは警備隊に不信感があるのか、少し複雑そうな表情を浮かべたが、

「そうだったのか。
 どうせ泡銭だから、俺は構わないんだが……」
「恋人をいたわるのにでも使ってやれ。襲われて傷ついているだろう」

 サニーがそう言うと、シェベットがにやにやと笑いながら、サニーを肘でつついた。

「ちょっといいこと言うじゃん。彼女とかいなそうなわりに……」
「うるさい。放っておけ」

 サニーは顔をしかめて、シェベットの腕を払いのけた。

 オーバンは硬貨の入った革袋を見つめ、
「……そうだな。そうするよ」と頷いて、それを懐に仕舞った。
 それから、ばっと顔を上げて、

「だがよ、今更調査なんかするまでもなく、吸血鬼がいるのは決まったようなもんだろう?
 あのイザクの野郎が――!!」
「まあまあ、気持ちはわかるが、落ち着きなよ」

 シェベットは、息巻くオーバンを制止するように手を振る。

「偶然イザクにそっくりな別の吸血鬼ってことも、
 偶然イザクにそっくりな……女の血を飲むのが趣味みたいな変態ってことも、
 ないとは言いきれないだろ」

 それを聞いて、ユーリは顔を引きつらせた。

「い、嫌だなあ、そんな変態……」
「そんなだから、変態と呼ぶんですよ」

 さらりとラーフラが言って、ユーリは「なるほど」と頷いた。
 オーバンは脱力したように肩を落としてため息をつき、

「……でも俺は、あいつが吸血鬼なんだと思う。
 とにかく、本当に、よろしく頼むぜ」

 と、頭を下げて、去っていった。

 オーバンが閉めた扉のベルの響きが消えた頃、ユーリは口を開いた。

「やっぱり、吸血鬼退治の依頼、もう来てたんだな。
 俺達、今、イザクに会ってきたんだけど――」

 ユーリ達は、芝居小屋へ行ってきたことを、マスターに話した。

「額の怪我のことは、ちょっと気になったけど……。
 イザク、本当に困ってたみたいだったよ。
 だからその依頼、俺達で請けたい」

 ユーリの言葉に、他のみんなも頷く。
それを見て、マスターは「わかった」と大きく頷いた。そして、

「イザク君は魔物じゃないよ」

 と、きっぱりと言いきった。

「僕には一応、妖精の血が流れている。
 ……もう、相当薄くなってしまってはいるけどね。
 それでも、邪悪なものとそうでないものの違いくらいは、わかるんだ。
 彼は人間だよ。犯人は別にいる」

 この宿は、その昔、妖精と恋をした男がひらいた店。
代々親子で店主を継いできたそうで――つまりマスターは、その妖精と男の子孫なのだ。
 妖精の血によるものなのか、マスターの髪も瞳も、
時折不思議な色合いに光って見えることがあった。

「――夜になると、妙な気配があるのは確かなんだ。
 もし本当に吸血鬼だとしたら、危険な相手だ。みんな、気をつけて」

 と、マスターは真剣な表情で言った。


 ユーリ達が警備隊からの依頼書に目を通していると、
買い出しに出かけていたフィオナとソラヤが、大きな袋を抱えて帰ってきた。

「ただいま」
「お帰り! いいもの買えたか?」

 ユーリが聞くと、二人は頷いた。
 ソラヤが、四人が依頼書を見ていることに気がついて、あれっ、というような表情を浮かべる。

「今から仕事ですか?」
「ああ、二人にもちょっと見てほしいんだが――」

 言いかけて、シェベットは「ああっ!」と声を上げた。

「そうだ、ここに二人もいるじゃねーか。
 吸血鬼だか変態だかの、格好の獲物になっちまいそうな、若くかわいい女性達が!」

 ああ、そうだな、とユーリ達が頷くのを見て、
ソラヤは首をかしげ、フィオナはかすかに怪訝そうに眉を寄せた。

「何の話?」

 ユーリ達とマスターが、今までの経緯を話すと、二人は真剣な様子で耳を傾けた。

「――なるほどね。今夜、あたし達のところに、
 イザクに瓜二つな吸血鬼だか変態だかがやって来る可能性は、なくはなさそうね」

 フィオナがそう言って、ソラヤは不安げな表情で頷いた。
 ――マスターによると、宿の他の女性冒険者達は、今夜はみんな出払ってしまうようだ。
 二人は顔を見合わせて、

「一緒にいた方が、もし吸血鬼が現れたときに、対抗しやすいかもしれないわ。
 ……二人とも噛まれるということも、あるかもしれないけれど」
「そうですね……。
 気持ち的にも、今日は一緒の部屋にいさせてもらえると嬉しいです」
「私達も、廊下で張っていようか? 二人が良ければだが」

 と、サニーが訊ねた。

「あたしは構わないけれど……」
「はい。あの、みんなが大丈夫なら、お願いしたいです」

 二人はちょっと気遣わしげに、ユーリ達の顔を見回した。
「なに、宿の廊下なら、十分快適さ」と、シェベットが笑う。ユーリ達も頷いた。

 そして一行は、明日、街に聞き込みへ向かう計画などを立てたりして、やがて夜を迎えた。

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