3.遭遇


 さて、フィオナとソラヤと、どちらの部屋へ行こうかという話になったとき、
「そうだわ」と、何か思い出したようにフィオナが言った。

「あたしの部屋はどう? 姿見が置いてあるの。
 吸血鬼の姿は、鏡に映らないと聞いたことがあるのだけれど」
「なるほど。それで吸血鬼か変態かの判断ができそうですね」

 ソラヤはこくこくと頷く。フィオナの部屋へ行くことに決まったようだ。

「……言い出しておいてなんだが、ある意味、変態の方が怖いような気がするな」

 と、シェベットがぼそりと言った。

 マスターが用意してくれた、コーヒーと夜食のサンドイッチを持って、
ユーリ達はフィオナの部屋の前に腰を下ろした。

「そういや……今更だが、あんた、起きてられるか?」

 シェベットがふと、サニーの方を見た。
以前の冒険で、サニーが夜になるとすぐに眠たそうにしていたのを思い出したのだ。
 サニーは目に見えてむっとした顔になって、

「馬鹿にするな。子供じゃないんだぞ。
 寝ずの番が出来ずに、冒険者をやっていられるか」

 ふん、と息をついて、サニーはそっぽを向いてしまった。

(キュストーレでの早寝っぷりは、なかなかだったけどなあ……)

 とシェベットは思ったけれど、口にするのはやめておいた。
 部屋の扉を開いたフィオナと、ソラヤに向かって、ユーリが声をかける。

「二人とも、気をつけてな」
「もし何かあったら、すぐに呼んでくださいね」

 言いながら、ラーフラは早くもサンドイッチを食べはじめている。

「はい。よろしくお願いします」
「頼りにしているわ」

 ソラヤとフィオナはそう言って笑って、部屋に入っていった。

 フィオナの部屋は、こざっぱりとしつつ、どこか可愛らしい雰囲気のある空間だった。
 ソファとベッド、飴色の衣装箪笥に、それから、今は布で覆って隠してある姿見。
ベッドの傍机には、蛍袋の花のような形のランプが置いてある。
 書き物机の隣の本棚が、なんだかがらんとしているのは、
ユーリに本を貸しているからのようだ。

 姿見にかけてあった布を外すと、ぴかぴかに磨かれた鏡面が現れた。
フィオナは姿見の枠を撫でた。

「普段は、夜中に目が覚めたりしたときに、
 自分の姿に驚いてしまったりするから……隠しているのだけれど」

 ソラヤは頷いて、

「ああ。暗いところで、何か動くと、びっくりしますよね……。
 ――でもなんだか、フィオナって、そういうことでは動じないと思ってました」
「そんなこともないわ」

 と、フィオナはちょっと肩をすくめて笑って、窓の方へと歩いていった。
 窓には、緑がかった水色の厚いカーテンと、薄布が引かれている。
フィオナはカーテンを開けると、窓の鍵がしっかりとかけてあるのを確認した。
 外は意外と明るい。空に浮かぶ少し欠けた月から、部屋にも光が差しこんでくる。
フィオナは薄布のカーテンだけを閉じて、戻ってきた。

 ベッドは、もちろん一つだけだ。
二人で横になれるような大きさでもないので、どちらかは床かソファで寝ることになる。
 フィオナがベッドを譲ろうとすると、ソラヤはかぶりを振った。

「せっかくなので、ソファで寝てみたいです」
「そう……? なら、いいのだけれど」

 何がせっかくなのか、フィオナはよくわからなかったけれど、
ソラヤの瞳がなんだかきらきらしているので、
かすかに首をかしげながらも、頷いた。

 ソラヤは楽しげに鼻歌をうたいながら、ソファに枕と布団を載せている。
 その様子を、フィオナがじっと見ていると、
視線に気がついたソラヤははっとして、ちょっと頬を赤くした。

「……あっ、ごめんなさい。遊びに来てるんじゃ、ないんですよね。
 でも……この状況、ちょっとだけですけど、楽しくて」

 フィオナはふっと笑って、「そうね」と言った。

 妖精のとまり木亭は、冒険者の宿にしては女性がたくさんいる方なのではないかと、
フィオナは思っているけれど、それでもやはり、男性の冒険者の方がずっと多い。
自室に仲間――友達を招いたり、一緒に寝たりといったことは、
今まで一度もしたことがなかった。……冒険者になる前も。

「また……事件も何もない時に、遊びにでも、泊まりにでも来て」

 フィオナがそう言うと、ソラヤは満面の笑みを浮かべた。

「はい! フィオナも今度、私の部屋に遊びに来てくださいね」


 そうして、夜食のコーヒーとサンドイッチを食べながら、
ぽつぽつと話をしたりした後、二人はベッドとソファに横になった。

 けれど、吸血鬼が来るかもしれないという緊張もあってか、
眠る気にはなれなくて、二人とも、ただ黙って目を閉じていた。
 時折、風でかすかに窓が揺れる音がした。

 ――と、ソラヤがぱっちりと目を開けて、起き上がった。

「何か、近づいて来ます……!」

 ソラヤは、まっすぐ窓の方を見つめる。
何か、背中がざわざわとするような妙な気配が、こちらへ向かってきているのを感じた。
 フィオナも布団を跳ね除けて、ベッドから降りた。

 窓から差しこんできていた青白い月の光が、ふと、ぼんやりと霞んだ。
まるで、霧がかかったように――いや、本当に、窓の外には霧がかかっていた。
それは窓の隙間からじわじわと、部屋の中に流れ込んできている。

「この霧……様子が変だわ」

 フィオナが呟く。
 流れ込んだ霧は渦を巻いて、細長く寄り集まってゆき……
その中から、声が聞こえてきた。

「なんだ……起きてたのか。夜更かしは肌に悪いんだぜ」

 聞き覚えのある声だった。

(イザクの声……?)

 フィオナがそう思ったときには、霧の塊は一人の少年に姿を変えていた。

 人間のものならぬ、菫色の髪と、赤く光る瞳――けれど、その少年の姿形は、
前の晩に顔を合わせたばかりの、イザクそのものだった。

 しかし、イザクも肌の白い少年だったけれど、
今目の前に立っている人物は、蝋のような死人の肌色をしていた。
それが、整った輪郭をより作り物めいて見せているせいなのか、
フィオナの知っているイザクとは違った、妙な妖艶さが漂っている。
 物語や歌で聞くような、人を誘惑する美しい魔物というのは、
まさにこんな風なのだろう、とフィオナは思った。

 ソラヤが、きゃあっと悲鳴を上げた。――外のユーリ達にも聞こえただろう。
 フィオナはちらと姿見に視線を走らせる。
鏡の中に、イザクそっくりな少年の姿はなく、ただ部屋の風景だけが映っていた。
どうやら、目の前にいるのは……本物の吸血鬼のようだ。

「……あなたが来るんじゃないかと思って、待っていたのよ」

 フィオナの言葉を聞いて、吸血鬼は赤い目を細めた。
一歩、こちらへと足を踏み出してくる。
踊り子の衣装の、足首に飾られた小さな鈴が、ちり、と鳴った。

「オレに血をくれるために、わざわざ二人で? 嬉しいね」
「それは、お断りだけれど。
 ――あなたは誰なの? どうしてイザクにそっくりな姿をしているの?」

 ベッドの傍に立てかけておいた長剣を取りながら、フィオナが訊ねると、
吸血鬼はおかしそうに声をたてて笑った。牙のような糸切り歯が覗く。

「何を言ってるんだ、フィオナ? 俺はイザクだよ。見てわからないのか?」

 名前を知られていることに、フィオナが内心どきりとしていると、
「そんなの、嘘ですよ!」と、ソラヤが言い返した。

「嘘なもんか! こんな絶世の美少年が、同じ街に二人もいてたまるかよ」

 吸血鬼は肩にかかった髪をばさりと払った。
その言いようも仕草も、イザクによく似ていて、
フィオナは――表情には出さなかったけれど、ますます困惑した。
「ま、そんなことより――」と、吸血鬼は品定めをするような目つきで二人を見ると、
やけに鮮やかに赤い舌で唇を舐めて、口の端で笑った。

「二人とも美味そうだな。
 それに、エルフの血なんて初めてだ。どんな味がするんだろう?」
「だから……血をあげる気はないと言っているでしょう」

 フィオナが剣を構えたそのとき、
ソラヤの声を聞きつけたユーリ達が駆け込んできた。

「大丈夫か、二人とも!?」

 フィオナとソラヤを庇うように、前に出て――
イザクにそっくりな吸血鬼の姿を見て、四人は揃って目を丸くした。

「うわっ! 本当にイザクそっくりだ……!」

 まじまじと吸血鬼を見つめようとするユーリの脇腹を、ラーフラが小突いた。
「もし吸血鬼なら、目が合うと危ないですよ」小声でささやかれて、
ユーリははっとして、吸血鬼の顔から視線を少し外した。

 吸血鬼は、「げっ、」と眉をひそめて、後ずさった。

「お前ら、いたのかよ。さすがに多勢に無勢だぜ……」

 ソラヤが、「みんな、気をつけて」とユーリ達に声をかける。

「霧になって、窓を通り抜けてきたんです!」
「ああ、吸血鬼にはそんな能力があるというのも、聞いたことがあるような。
 ……じゃあ、本物なんですね」

 ラーフラは頷いて、少し緊張した様子で、杖をぎゅっと握った。

「自称、イザクなのですって、彼」

 フィオナがそう言うと、
「はあー? 嘘つけよ」と、シェベットがさもくだらなそうに肩をすくめた。
他のみんなも、なんだか白けた目を吸血鬼の方に向けている。
 まるで信じていない様子の一行に、吸血鬼は少し心を挫かれたように、肩を落とした。

「なんで、ここまで頭っから否定されてんだ……」

 シェベットが吸血鬼を指さして、

「じゃあよ、俺が昼間に言ったことは、どうなるんだよ。
 お前がイザクなら、なんだって、こんな大事なときに、こんな事件を起こしちまうんだ?」
「腹が減って、どうしようもないんだよ!
 お前らだって、飯を食わなきゃ死ぬだろう」

 吸血鬼はそう言って、
「まあ、吸血鬼は不死だから、飢え死にはしないんだが」と付け足した。

「なるほど……空腹は辛いですね」

 と、なんだか同情するような声色で、ラーフラが言った。

「それは、そうだろうけれど……そういう話ではないでしょう。
 今までは、どうやって空腹をしのいでいたの?
 事件は、ここ一週間くらいのことよね。その前は?」

 フィオナが訊ねると、吸血鬼は顔をゆがめた。

「……うるさいな。オレはお喋りしに来たんじゃないんだぜ」

 その声には、かすかに殺気がこもっていたが、
まだ吸血鬼の食事事情について考えていたらしいラーフラは、のんびりと呟いた。

「しかし、イザクなら、普通に頼めば血を飲ませてくれる女性もいそうですが」
「なあ。いっそ、金も取れそうだぜ」

 そう言って頷くシェベットを見て、ユーリは首をかしげた。

「えっ、金を取るのか? 払って血を飲ませてもらう、じゃなく?」
「あの美形が、首筋なりなんなりを噛んでくれるんだぞ。
 金を払ってでもしてほしい、って人もいるんじゃないか」
「そ、そうなのかあ……」

 ユーリは納得しきれていないような、難しい表情で首をひねり、
吸血鬼の方はというと、なんだか、なるほどというような様子で話を聞いている。
 サニーは嫌そうにシェベットを一瞥して、

「汚い話をするな。
 ――本当にイザクなのかどうかはともかく、本当に吸血鬼ならば退治する他ない」

 と、剣を吸血鬼に向けた。
 一同が武器を構えると、吸血鬼はぎょっとしたように身を後ろに引いた。

「腹減ってるってのに、こんな大人数相手にケンカしてられるか!」

 吸血鬼は、鳥のようにひらりと、窓際まで飛びすさった。

「まったく、時間を無駄にしたぜ」

 吐き捨てるように言うと、吸血鬼は再び霧に姿を変えて、
すうっと窓の外へと流れ出ていってしまった。

「あっ、待ちやがれ!」

 シェベットが駆け寄って窓を開けたが、霧はもうどこかへ消えてしまったようだ。

「……他の人を襲いに行ったかもしれないわ」

 フィオナが歯がゆそうに呟く。サニーが頷いて、

「ああ……だが、追いつけないだろう。それに……」

 そこで言葉を切って、サニーは物憂げな、何か考えているような表情を浮かべた。
彼の言葉を引き継ぐように、ラーフラが口を開く。

「なんだか……変な魔力の気配が、二つあるような気がするんですよね。
 片方は、今の吸血鬼だったようですが」
「二つ……?」

 フィオナが聞き返すと、ラーフラはうーん、と首をひねってしまった。

「それにしてもさ、本当にイザクとそっくりだったな。
 ……どういうことなんだろう?」

 言いながら、ユーリは吸血鬼が消えた窓の方を見つめている。

「吸血鬼は、さっきのように霧に姿を変えたり、
 それから、蝙蝠の群れにも変身できたりするそうですが……。
 他の人間と同じ姿になる、というのは……僕は聞いたことがないです」

 そう言って、ラーフラはまた考え込むような表情をした。
シェベットが腕組みして、

「イザクがすっとぼけてるのか、
 イザクにそっくりな吸血鬼が、罪をおっ被せようとしてるのか……。
 マスターが、イザクは人間だって言ったし、俺はそれを信じたいんだがな」
「でも……それにしては、言動までイザクらしすぎたとも思うわ、あの吸血鬼」

 フィオナがそう言って、みんなはそれを強く否定することもできず、それぞれ唸った。

「朝になったら、情報を集めてみましょう」

 ソラヤが静かに言った。
「芝居小屋にも、また行ってみるか」と、シェベットが頷く。

「そうだな。とにかく……ひとまず、眠ろう」

 サニーの声は、今にも眠気に呑まれそうだ。
吸血鬼が去って、緊張が解けたからか……それとも、本当はずっと眠かったのだろうか。
 その様子を見て、笑い声を漏らしたシェベットに、文句を言う気力もないらしい。
閉じかけた目でじとりと彼を睨むと、ふらふらと部屋を出ていった。

「……まあ、吸血鬼のあの様子じゃ、また戻ってくるってこともなさそうだ。
 もう寝ちまって大丈夫だろう」

 シェベットが笑って、みんなは頷くと、
「それじゃ、おやすみ」「おやすみなさい」と、それぞれ部屋へと戻っていった。

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