4.夢か現か、嘘か真か


 翌朝、ユーリ達が朝食を終えて、街へ出る準備をしていると――
宿の扉が静かに開いた。ベルがカラカラと控えめな音で鳴る。
入ってきたのは、菫青座の座長ベニーだった。

「おや。ベニーさん、おはようございます――
 何か……ありましたか?」

 カウンターの中から、マスターが心配そうに訊ねる。
 ベニーは、仮面で表情を隠していても伝わるほど、深刻そうな雰囲気を纏っている。
彼はカウンターの傍までやってくると、ゆっくりと口を開いた。

「ここの冒険者が、吸血鬼退治の依頼を請けたと聞いたのだが……」
「それなら、あたし達が」

 フィオナが声をかけると、ベニーはそうか、と頷き、そして言った。

「――アルーエットが、吸血鬼に襲われた」

 ええっ、とユーリ達は声を上げて、ベニーの近くに駆け寄った。

「だ、大丈夫なのか?」

 ユーリが訊ねると、ベニーは「……今は、眠っている」と低い声で答えた。

「様子を見に行かせてもらっても?」

 フィオナが冷静な声で聞くと、ベニーは頷いて、

「それを頼むつもりで来た。
 何か、事件の手がかりになることがあるかもしれないし、それに――」

 ベニーはそこで口をつぐんだ。何か考えるようにして、首を横に振り、
「……今から、来てもらえるか?」と、一行の顔を見回した。
 六人は顔を見合わせて、頷き合った。

「行ってくるよ。マスター」
「わかった。気をつけて」

 マスターに見送られて、一行はベニーと共に宿を出た。
 早足で歩きながら、ベニーが状況を説明してくれた。

「朝……アルーエットがなかなか起きてこなくてな。
 他の子に様子を見に行かせたら、寝台で眠っていたというか――倒れていたというか……。
 首筋に噛まれた跡があったのだ。
 一度目を覚ましたのだが、どうも様子が妙で、話が要領を得なかった」
「吸血鬼の下僕化している……ってことですか?」

 ラーフラが少し緊張した様子で声をかける。ベニーは首を横に振った。

「そうなのかもしれないが……わからない。
 今はイザクが様子を見てくれているはずだ」


 芝居小屋の裏手に、座員達の寄宿舎があった。
 ベニーが案内してくれたアルーエットの部屋へと、一行は足を踏み入れる。
宿の個室と同じか、それより少し大きいくらいの、そこそこの広さの部屋だ。
書き物机に長椅子、衣装箪笥と棚と、それから寝台。
 寝台の上で、アルーエットが静かに眠っていた。首に、傷の手当てをしたらしき跡がある。
 そして、その傍らには、真っ青な顔をしたイザクが座っていた。

「イザク!」

 ユーリが声をかけると、イザクは顔を上げた。
――額の怪我は、もう綺麗に治っている。

 イザクは一行の姿を見て、何か言いたそうに口を開いたが、
そのまま黙ってアルーエットの方に顔を向けた。

「様子は変わらないか?」

 ベニーが訊ねると、イザクは小さく頷いた。

「効果があるかわかりませんが、解毒の魔法をかけてみましょうか」

 ソラヤが進み出て、アルーエットの首元に手をかざした。
呪文を呟くと、手のひらに新緑色の癒しの光が灯る。

(吸血鬼の力は、毒というより、呪いに近いもののような気がするけれど……)

 けれど、何かしら良い効果が現れるかもしれないし、
効果がなくても、憔悴した様子のイザクやベニーの気休めに……
少しくらいは、なるかもしれないと、ソラヤは思った。

「夢を……見たんだ……」

 ソラヤの魔法の光を、ぼんやりとしたまなざしで見つめながら、イザクが言った。

「オレが吸血鬼で……血が欲しくて欲しくて、しょうがなくて……。
 感覚が鮮明な夢でさ、腹が減りすぎて痛いくらいだったんだ」
「――イザク、」

 ベニーが戸惑ったような声を上げる。イザクはぼそぼそと言葉を続けた。

「それでオレは……いつの間にか、アルーの部屋に来てた。
 寝てるアルーが、……すごく美味そうに見えたから――
 最初、アルーはオレを見て驚いてたけど、笑って、いいよ、って言ったんだ。
 だから」

 イザクは口元を押さえた。
 夢の中の鮮明な感覚が――アルーエットの首筋に牙を立てた感覚が、
まだ残っているような気がした。

「……夢を、見たんだと思うんだ。でも、起きたら、こんなことになってて」

 うつむいて、うめくように呟く。唇が震えた。

「本当は――本当に、オレがやったのかもしれない……」
「何言ってんだ。しっかりしろよ」

 シェベットが、イザクの頭に手を置いて、少し乱暴にわしわしと撫でた。
そうですよ、と、ソラヤもふり返って、口を開いた。

「こんな状況だから、吸血鬼の夢なんて見てしまっただけですよ。
 アルーのことだって、偶然です」
「……悪い。そう言ってほしかったのかもしれない。ありがとう」

 イザクは、かすかに表情をやわらげた。
 そんな彼を見て、フィオナは何か考えるように少しだけ首を傾け、そして言った。

「夜中、あたし達のところにも、吸血鬼が来たの。
 でも、逃げられてしまって……アルーエットが襲われたのは、その後かもしれない」

 えっ、と、イザクがフィオナを見上げた。

「大丈夫だったのか?」
「ええ。
 ……けれど、あの場で吸血鬼を止められていれば、
 アルーエットは襲われなかったかもしれないわ。ごめんなさい」

 イザクは首を横に振った。それから、視線を床に落として、

「『夢』に――お前らはいなかった、と思う」
「じゃあ、やっぱり、ただの夢だったんだよ」

 なっ、と、ユーリがイザクの肩を叩いた。イザクはまた小さく頷く。

 その様子を、ベニーが物思わしげに見つめていることに、シェベットは気がついた。
少し考えて、彼に声をかける。

「あ、座長。
 ちょっと外を――この窓の外側の辺りを見させてもらってもいいか?
 吸血鬼が入ってきた痕跡なんかがあるかもしれない」

 昨晩、吸血鬼が霧に姿を変えて侵入してきたことを話して、
「だから、何も無いかもだが、一応な」とシェベットは付け加えた。
 ベニーは頷いて、シェベットを寄宿舎の外に連れて行ってくれた。


 そこは、庭――というよりは、ただの空き地だった。
気ままに伸びている雑草以外には、本当に何もないが、
座員達の練習場として使われることもあるらしい。

 アルーエットの部屋は、建物の二階だ。
見上げてみたが、建物の壁には、人がよじ登ったような跡などはなかった。
地面にも、怪しげな足跡はなさそうだ。

(ふむ。まあ……そうだろうな)

 シェベットはそう思いつつも、一応、念入りに地面を調べることにした。
 と、ベニーが、ためらうようにしながら口を開いた。

「少し、聞きたいことがあるのだが……」

 シェベットは立ち上がって、頷く。
なんとなく、ベニーが何か言いたいことがありそうだという気がして、
彼を部屋から連れ出したのだ。

「ゆうべ、吸血鬼が来たと言っていたな。……君も、吸血鬼の姿は見たのか?」
「ああ、見たぜ」
「――どう……思った?」

 訊ねるベニーの声には、どこか怯えているような響きがあった。

「噂通りだったよ。
 それに……少し会話ができたんだが、声も話し方も、イザクにそっくりだった……」

 シェベットは少しだけ迷って、
吸血鬼が自分はイザクだと名乗っていたことは、伏せておくことにした。

「でも……座長。俺達、イザクを疑ってるわけじゃねえんだ。
 けど、吸血鬼がイザクそっくりの姿なのは、何かありそうだと思ってる」
「そうか……」

 ベニーはゆっくりと頷いて、

「我々も、もちろんイザクを信じている。信じたいと思っている。
 しかし……座員の中には、疑いを持ち始めている者もいるようなのだ。
 ……私も少しだけ不安になってしまった」

 いかんな、こんなことでは、と、ベニーはかぶりを振った。

「本人も、だいぶ参っちまってるみたいだしな。なんとか解決してみせるさ。
 座長もあんまり、弱気になるなよ」

 シェベットは力づけるような声でそう言った。

「それで、ちょっと聞きたいんだが。
 事件が起き始めた頃――ってよか、起きる直前あたり、か?
 何か、一座の中で変わったことはなかったか?」
「そう、だな……。
 ――ううむ。すまない、すぐに思い出せるようなことは……」

 ベニーは首をひねり、そうだ、と、何か思い出したように手を打った。

「日誌がある。
 内容は、その日の記入当番次第なのだが……。
 役に立つかわからないが、何か手がかりがあるかもしれない。読んでみてくれ」

 寄宿舎に戻ると、ベニーは日誌を取りに廊下の奥へと歩いていった。

 広間では、ユーリ達がなにやら座員達と話をしている。
 シェベットが外を調べている間に、昨晩のことや、
その他事件に関して何か気がついたことはないか、話を聞いていたらしい。
これといった情報はなかったようだが……。
 シェベットも、先程の出来事――
外には何もなかったけれど、日誌を見せてもらえることになった、と報告していると、
ベニーが戻ってきて、日誌を手渡してくれた。

「ひとまずこの辺りで別れて、各自、昨日決めたように動くことにしないか?」

 サニーがそう言って、一同は頷いた。

「そうだな。
 一座の人に話を聞くのは、ソラヤに頼んでたんだっけか。
 この日誌、見ておいてくれるか?」

 シェベットが差し出した日誌を、
ソラヤは「わかりました!」と受け取り、大事そうに胸に抱えた。

「じゃあ、アルーの部屋で、彼女の様子を見ながら読もうと思います。
 ――早く目を覚ましてくれるといいんですが」

 また後で宿に集まることに決めて、五人はそれぞれ街へと出かけていった。
 ソラヤはそれを見送ると、再びアルーエットの部屋へと向かった。


 ユーリとラーフラは、住宅街へと足を向けた。
 二人はこれから、ラーフラの師匠のアルハンが住んでいる家を訪ねるところだった。
 近くまではシェベットも一緒に来ていたのだが、
彼は人通りの多い場所で聞き込みをすることになっていたので、途中で別れてきた。
 二人は、昼間でも少し薄暗い印象の裏通りを歩いてゆき、
そして、目的の家の前へとやって来た。

 ラーフラは幼い頃、大都市サンドリタの貧民街で暮らしていて、
そこで母を亡くしたのちに、アルハンに拾われて育った。
 しかし彼は実は、魔法の力を犯罪に使う悪の魔術師だった。
 警備隊に居場所を知られて突入されたとき、ラーフラは師匠を置いて家から逃げた。
ラーフラはルアードの街に辿り着いて冒険者になり、
師匠も、捕まったと見せかけて逃げ延びていて――
偶然か、それとも陰でラーフラの行方を追っていたのか、
ルアードの別宅で暮らすことにしていたのだった。

(あまり、師匠を頼りたくはなかったんですが……)

 ラーフラは深いため息をついた。
 アルハンは、ラーフラを実の子供のように大事にしてくれていたし、
ラーフラも育ててもらった感謝の気持ちはあるけれど……
どうしても、魔法で悪事を働く師匠のことを、好きになれない部分があった。

 ここへ来るのも、一人では気が引けて、ユーリに付き添ってもらったのだった。
 ラーフラが扉の前で逡巡していると、

「ラーフラ、この家でいいんだろ? ごめんください!」
「あっ、ちょっと――!」

 止める間もなく、ユーリが扉を叩く。

「えっ、だめだったか?」
「まだ心の準備が……!」

 そんなことを言い合っていると、扉が開いて、妙に嬉しそうなアルハンが姿を現した。

「よく来たな、ラーフラ。と、君はユーリじゃったか。どうしたんじゃ?」

 今はもう、悪の魔術師は引退したのだというその人は、
にこにこと二人を家に招き入れた。
 部屋の長椅子に腰かけたユーリ達に、香草茶とお菓子を差し出し、
アルハンは対面の椅子に座った。

「……師匠に、お訊ねしたいことがあって」
「吸血鬼の事件、知ってるか?」

 干し葡萄の入った焼き菓子をつまみつつ、二人がこれまでの経緯を話すと、

「噂は耳にしておった。この近くでも襲われた者がいるとか……」

 と、アルハンは頷いて、まっすぐに、ラーフラとユーリの顔を順に見た。

「偶然、顔かたちも性格も瓜二つな吸血鬼なんぞ、都合よく居るものか。
 犯人はその踊り子じゃ」

 アルハンが真面目な表情で言いきったので、ユーリもラーフラも、少したじろいだ。

 言われてみれば……確かに、そうかもしれない。
 宿で吸血鬼の噂を教えてくれた女性が言っていたように、
普段は普通の人間を装い、嘘をついていて――
本当は、本当にイザクが吸血鬼なのだとすれば、全て納得ができるような……。

 一瞬だけ、頭にそんな考えがよぎって、二人でちらりと目を合わせたとき、
アルハンが口の端をゆがめた。

「――と、言ったら、お前達は信じるか?」
「な……なんだよ、それ?」
「……」

 不服そうに眉を曲げた二人を見て、アルハンは笑った。

「想いと言葉の力というのは、存外強いものじゃ。
 魔力を扱えない者の、ただの言葉も、百遍繰り返せば呪文になる。
 百人で嘘を唱えれば、たった一人のちっぽけな真実なんぞ、すり潰してしまえる。
 ――例えその踊り子が、本当は吸血鬼ではなかったとしても、
 街中の者が吸血鬼だと言えば、そういうことにされてしまうじゃろう」

 アルハンの真鍮色の瞳が、鈍く光る。
 ユーリはなんだか背筋が寒くなった。
 街にはもう、イザクが吸血鬼だと思っている人達が何人もいる。
宿で話していた女性達も、恋人が吸血鬼に襲われたというオーバンも。
このまま、そういう人が増えていったら――。

(俺だって今、そうかもって、ちょっとだけだけど、思っちゃったし……。
 ――ごめん、イザク)

 イザクを信じると言っておきながら、ずいぶん簡単に揺らいでしまった。
ユーリは情けないような気持ちになって、心の中で謝った。

「イザクは昨日……吸血鬼になって、人を襲った夢を見た、って言ってたよ」

 先程の、不安そうな様子のイザクが頭に浮かんで、ユーリはぽつりと呟いた。

 宿の中庭で軽やかに踊っていたときとはまるで違う、
下を向いて、今にも枯れ落ちてしまいそうな花のような姿。
 彼自身も、どこか自分を信じきれない部分が現れはじめてしまっているのかもしれない。

「重症じゃなあ。
 その踊り子を信じたいのなら、さっさと解決してやることじゃ。
 真実がどうであれ」

 アルハンはそう言うと、
「夢ね……」と低い声でぼそりと呟いて、しばらく何か考え込むようにした。
 それからふと、我に返ったように顔を上げた。

「――そうじゃ。ラーフラよ。妙な魔力の気配が二つあったと言うたな?」
「あ……はい」
「それは儂も気になって、ここ何日か探っておった」

 アルハンの話では、夜半になるとまず気配が一つ現れ、
その後もう一つが現れて、動きはじめるように感じるという。
「おそらく、そっちが吸血鬼なんじゃろうな」と、アルハンは言った。
 先にあった方の気配は、動いているような様子はなく、
そして、朝になる少し前に、二つともほとんど同時に消えるのだった。

「それは……例えば、その先に現れた気配が、吸血鬼を呼び覚ます術か何かだとか……」

 ラーフラが言うと、アルハンはふむ、と頷いた。

「そういうこともあるかもしれんな。
 永い眠りについていた吸血鬼が、何者かによって目覚めさせられて、
 悪さをしはじめる――なんて物語も、よく聞くしの」

 ユーリはラーフラの方を見た。

「今夜、その、先に出てくる方の気配を探してみないか?」
「そうですね。みんなにも知らせましょう。
 ――ありがとうございます、師匠」

 そう言って席を立ち、出て行こうとする二人を、アルハンは呼び止めた。
焼き菓子の残りを袋に包むと、薬草飴をいくつか一緒に放り込んで、ラーフラに手渡す。

「どちらの気配も、日に日に少しずつ強くなっておるように感じる。
 くれぐれも気をつけることじゃ」

 二人はアルハンに頭を下げると、彼の家を出た。

designed by flower&clover