2.魔術師の箱庭


 やがて、ゆっくりと辺りに色が戻ってきたと思うと、
そこはシェベットの部屋ではなかった。

 土と水と、草の香りがする。
 どこか見知らぬ草原のような場所に投げ出されるようにして、シェベットは倒れていた。

「気がついたか」

 身体を起こすと、傍にはなんだか不機嫌そうな表情のサニーが座っていた。

「ここは……」

 シェベットはまだ少しぼんやりとした様子で、周囲を見回した。

 二人がいるのは、刈り整えられた緑の生垣に丸く取り囲まれた、
小さな広場のような場所だった。
 生垣にはひとつだけ切れ間があり、細い道が続いているようだが、
辺りには淡く霧がかかっていて、道の先は白く霞んでしまっていた。
 見上げると、曇っているようにも見えるけれど、どこか透明な色の空が広がっている。

 ――こんな色合いの風景を、シェベットはつい最近、
どこかで見たことがあるような気がした。つい最近……つい、さっき。
「まさか、」と小さく呟くと、サニーが頷いた。

「あの石の中だ」

 そう言ってため息をついて、ゆるゆると首を横に振った。

「突然、魔力が膨れ上がる気配がして……
 お前の叫び声まで聞こえたから、駆け付けてみれば」
「……巻き込んじまったか。すまねえな」

 シェベットがあまりにも申し訳なさそうな様子で言ったからか、
「別に、謝るようなことでもない」と、サニーは少し表情と声色をやわらげた。

「しかし、あの石、なんだって急に……?」

 シェベットは、先程の出来事を思い返してみて――

(――ん?)

 首をかしげて、まじまじとサニーの顔を見た。

「なんだ?」
「いや……もしかして、さっき、初めて俺の名前呼んだか?」

 サニーは眉を曲げて、シェベットから少し目を逸らした。

「……お前もだろう。それで釣られたんだ」
「あっ、そうだったか? ……そうだったかもなあ」

 どうにも、サニー・サイドアップという名前が奇妙なので、
なんとなく今まで口にしてこなかったが……。
だんだん聞き慣れてもきたし、一度呼んでみてしまえば特にどうということもなかった。

 そうかあ、と、何故かしみじみとした笑顔を浮かべるシェベットに、
サニーは変なものを見るような視線を向けた。

「――そんなことより……。あの石に何をしたんだ?」

 シェベットが経緯を話すと、サニーはふむと頷き、

「おそらく、<庭園>に行きたいだとか、入りたいだとか、
 そういった言葉が鍵になっていたんだな」

 <庭園>を望むものの前に扉は姿を現す――
あの札に書かれていたのはそういうことか、とシェベットは思って、そして訊ねた。

「一体……ここは、なんなんだ?」
「『魔術師の箱庭』というものを知っているか?」

 シェベットが首を横に振ると、サニーは再び口を開いた。

「魔術師は、魂を飛ばして、夢と現の狭間の世界に入り込むことが出来る。
 そしてそこには、自分だけの庭がある。
 想像力次第で、いくらでも好きに創り広げてゆける世界だ。
 自分の心の風景と向き合い、掘り下げてゆくことで、修行になると言われている」

 夢と現の狭間の世界、と、シェベットは口の中で転がした。
 不思議な雰囲気の漂う場所ではあるが、地面に生えた草の手触りも、
少し湿った空気の匂いも、本物としか思えない。
誰かの想像力だけで作り上げられたものだとは、いささか信じがたい気がした。

 サニーが言葉を続ける。

「箱庭の中に、自分で造り出した使い魔や精霊を住まわせ育てる者もいるし、
 宮殿を築いて、そこに今まで得た知識や記憶をおさめる者もいるという。
 あの庭園水晶のように、入り口となるマジックアイテムを作れば、
 こうして肉体ごと入ったり、他者を呼び込むこともできる。
 物が在ると世界の想像の起点にもなるし、石は力の結晶だからな。
 箱庭創りにはよく使われるんだ」

 シェベットは頷いた。宮殿の話は、本か何かで見たことがあるような気がした。

「ふーむ、なるほどな。
 そんで、ここから出るには、どうしたらいいんだ?」
「どうだろうな。入ったときとは逆に、『この庭園から出たい』と言ってみる――」

 サニーはそこで一旦言葉を切って、ちらりと辺りを伺うようにした。
 ……特に何も起こる様子はない。

「――のでは、駄目なようだな。どこかに出口があるんだろう」
「探し回ってみるしかねえか……」
「まあ、ドミニクさんが持っていた物だ。危険な場所ではないはずだ」

 鍛錬を目的に、箱庭に自ら魔物を創造し放つような者もいるらしいが、
ここにはおそらく魔物はいないだろう、とサニーは言った。
 この石を譲ってくれたドミニクは、確か、この石を「なかなか面白い品」だと言っていた。

「……ドミニクさんの『面白い』が、どういう意味なのかはわからないが」

 ぼそりとサニーが呟く。

「やめろ……なんか、不安になるだろ」

 シェベットは無意識に、腰の短刀に触れようとして――
そこに何もないことに気がついた。部屋で片付けをしていたのだから、
冒険用の装備を身に着けていなかったのは当たり前なのだが。

 ごそごそと服の中を探ると、投擲用の短剣が四本だけ出てきた。
いつ何時も、短剣はどこかに持っておけ、と、父親――
盗賊ギルドの長に教えられていたのだ。
 見知らぬ場所で武器もない、というのは、冒険者としても不安になる。
こんな小さな短剣でも、役に立つかどうかはともかく、心強い気がした。

 サニーを見ると、もちろん彼も剣なんて持っていない。
ゆったりとした部屋着に、いつもの琥珀のような石の飾りと、
解呪の護符を着けているだけだ。
 シェベットは短剣を一本差し出して、

「一応、これ持っとくか?」
「そうだな……。いざ何かあっても、使いこなせるかはわからないが」

 サニーは頷いて、短剣を受け取った。
シェベットは生垣の間の細い道の方に視線を向ける。

「ま、何があるかわからない場所だろうが、俺に前を任せてくれりゃ大丈夫さ。
 行くぞ、サニー」

 サニーは無言で頷いた。シェベットは、違う違う、と人差し指と首を振って、

「そこは『ああ、シェベット』とか言うところだろ!」
「言わせたいのはわかったが、乗るのは癪だった」

 サニーはすました様子で答えて、いいから行け、とシェベットの背中を押した。


 さて、朝食の後、一人で宿を出たソラヤはというと――
花屋で作ってもらった白い花束を手に、街外れまでやって来ていた。

 ここは街の墓地だった。
 入り口で墓守と顔を合わせた他には、誰の姿もない。
とても静かな場所だ。木々の葉擦れの音だけが、かすかにさわさわと聞こえる。

 墓石には、その下に眠っている人の名前と、生まれた年と亡くなった年とが刻まれている。
どれも、エルフから見ると悲しいくらいに短い。
今のソラヤよりも若い歳の人も多かった。

 しばらく歩いて、ソラヤはようやく目当ての墓を見つけた。
 ――『ドミニク・ライマン』。墓石にはそう刻まれている。

 ドミニクは、ソラヤ達が初めて出会ったときには、既に幽霊の姿だった。
友達だというウィスプ達と一緒に楽しげに漂っていた印象が、心に残っているけれど――
いくら明るく見えても、彼も死の向こう側にいる存在だ。
心臓を悪くして亡くなったという、その瞬間までは、きっと苦しかっただろう。

 ソラヤは墓石の前に、花束を供えた。一度、墓参りに来ようと思っていたのだった。
 おそらくドミニクの魂は、この墓の下にはないのだろうけれど。

(今もウィスプ達と、どこかを旅しているんでしょうか)

 そう思って、ソラヤは少しだけ微笑んだ。

 しかし、誰もが彼のように、死後も現世に留まり、生者と会話を交わせるわけではない。
 例えばこの先、百年経っても、
エルフのソラヤは人間で言えばせいぜい三十歳を少し過ぎたくらい。
でも、ずっと若者の姿のままのソラヤを残して、仲間達は老いていってしまうだろう……。

 そんな考えが、ソラヤの頭に重くよぎるのだ。
 きっかけは、つい二日前のこと。
吸血鬼に襲われたアルーエットが、やっと目を覚ましたあと、言った言葉だった。

「吸血鬼って、不死なんでしょ?
 この先何十年かして、わたしも一座のみんなも、知ってる人がみんな死んじゃって、
 イザク君が一人ぼっちになったら、かわいそうだなって……その時、思ったの。
 それなら、わたしも一緒に吸血鬼になってもいいかなって」

 事件は無事に解決して、イザクもアルーエットも、吸血鬼にはならずに済んだ。
 しかし、彼女の言葉はソラヤの心の奥で氷のかけらのようになって、
不意にずきりと胸を冷たく痛ませるのだった。

(毎日、みんなと一緒に過ごして冒険をして、今はとても楽しいけれど……)

 いつか、本当に短い、つかの間の思い出として、この日々をふり返る時が来るのだろう。

 散り散りになってしまった、故郷の森のエルフ達の手がかりは、なかなか見つからない。
 このままずっと見つからずに、いずれ一人ぼっちになってしまったら、
ソラヤはどうしたらいいだろう――
もちろん、冒険者である以上は、そんな未来を待つ前に、
冒険の途中で命を落としてしまう可能性も、低くはないのだろうけれど。
いっそその方が、寂しくはないかもしれない……。

 そんなことを考えながら、ぼんやりと佇んでいると、
ゆっくりと草を踏んで近づいてくる足音が聞こえてきて、ソラヤは我に返った。

 顔を上げると、白い花束を抱くように持った老婦人が、
こちらへ向かって歩いてくるところだった。ターニアだ。
 ターニアはソラヤに気がつくと、目をしばたたかせ、それから微笑んで歩み寄ってきた。

「あらあら。こんなところで会うなんてねえ」
「ターニアさん。……お墓参り、ですか?」

 ソラヤが聞くと、ターニアは頷いた。

「そうなの。主人のね」

 そう言って、なんだか少し照れたように、頬に手をあてた。
 ターニアは住宅街の小さな家に、一人で住んでいる。
ソラヤは今まで、彼女の家族の話は聞いたことがなかったけれど……。

(旦那さんがいて……亡くなってたんだ)

 一緒に行ってもいいかとソラヤが訊ねると、ターニアは快く頷いてくれた。

 墓地のかなり奥まったところに、ぽつんとひとつ、その墓石は立っていた。

「あなた。来ましたよ。
 こっちの子はね、ソラヤちゃん。妖精のとまり木亭の冒険者でね――」

 ターニアは自然な様子で墓石に向かって話しかけながら、
墓石の上に積もった枯れ葉をよけると、花束を置いた。
 墓石に刻まれた文字は、消えかけていてほとんど読み取れない。

(……ファ……ルマ……?)

 その文字を、ソラヤがちょっと眉を寄せながら読もうとしているのに気がついたのか、
ターニアは笑った。

「昔は来る度に磨いていたものだから、だんだん削れちゃったみたいなのよね」
「……早くに、亡くなられたんですか?」

 墓石もなんだか古そうなものだし、昔は、という言葉が気になって、
ソラヤはおずおずと訊ねてみた。

「そうねえ。
 もう、この人と一緒にいた時間より、
 一人になってからの方が長くなってしまったかしらねえ……」
「……」

 ターニアはとても優しい瞳を墓石に向けて、そのまなざしのまま、ソラヤをふり返った。

「でも、寂しくない――と言ったら、ちょっと嘘になっちゃうけれど。
 一緒に過ごした、幸せな時間はずっと覚えているから、大丈夫なのよ」

 そう言って、ターニアは曇りのない笑顔を浮かべた。
 ソラヤは――どうしてターニアがそんなに明るく言えるのか、わからなかったけれど
――眉を下げて、笑った。

「私も、ターニアさんみたいに……そんな風に思えるようになりたいです」
「……ソラヤちゃん、」

 ターニアは何か気がついたのか、胸をつかれたような顔をして、
そっとソラヤの手を取った。

「冒険者は、色々な人と出会えるけれど……切ないことも多いわね。
 何か――なんでもいいわ、話せることがあったら、聞かせてちょうだいね。
 こんなおばあちゃんじゃあ、頼りないでしょうけど」

 ソラヤは首を横に振って、ターニアの手を握り返した。
皺だらけのふくふくとした手は、とてもあたたかい。

「頼りないなんてこと、ないです。
 あの、私……わからないことや、不安なことがたくさんあるんです。
 今度、相談させてもらっても、いいですか?」

 ターニアは「もちろん」と頷くと、ぱっと明るく笑って、

「――さ、帰りましょう。
 お墓はどうも、しんみりしてしまって、いけないわね」

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