4.冒険者と夢


 ユーリ達が<庭園>に降り立ったのと、
シェベットとサニーがトゥスカから逃げ出したのは、ほとんど同じ頃だった。

 行く手の植物も、二人に向かって枝や蔦を伸ばしてきたが、
それらもなんとか払いのけ、かわしながら走ってゆく。
しかし、生垣の迷路に戻ってもどうしようもない。
二人は来た角を曲がらず、石畳の道から外れて、まっすぐに駆けていった。

 背後で「水! 水!」と、トゥスカが叫んでいるのが小さく聞こえる。
魔法の火を消そうとしているのか、追いかけてくる様子はないようだ。

 そして、逃げれば逃げるほど、
だんだんと植物達の動きは遅くなってゆき、やがて止まった。
どうやら、幸い、植物が動くのはトゥスカの目の届く範囲だけらしい。
しかし彼女には翼もあるし、地の利もある。安心できる状況ではないことに変わりはない。

 二人はちょっとした森のようになった場所に潜り込み、木の陰に身を隠した。

「なんつう……早とちりなお嬢さんだ。主様とやらの顔が見てみたいもんだ」

 弾んだ息を整えながら、シェベットが言った。サニーも頷いて、

「全くだな……。
 『託された』と言っていたから、主はもういないのかもしれないが」
「……創り主が死んでも、箱庭は残るのか?」
「ああ。例え元が想像の産物でも、箱庭の世界も使い魔も、
 一度創り上げたものはもう、そこに『在って』『生きている』。
 主の魂の一部ではあるが、主の命からは切り離された存在だ。
 一緒に死んで消えてしまったりはしない」

 それを聞いて、シェベットは少し目を丸くして、へえ……と、感心したように息をついた。

「そう……か。お前ら、すごいことしてるんだな」
「……そうだな。つい、忘れがちだが」

 サニーはそう言うと、気落ちしたように首をうつむけた。

「そして、私はそんな尊いものに……この美しい庭園に、火をかけてしまった……」

 はあ、と大きくため息を吐き出す。
 逃げるために、咄嗟に魔法を使ってしまったが――
これだけの規模と美しさの箱庭を創り上げることの大変さがわかる分、
それを傷つけてしまったことに申し訳なさを感じているのだった。

「仕方ねえだろ。
 あの庭番のお嬢さん、わりと俺達のこと殺す気だったっぽいし――」

 そう言って、シェベットはふと訊ねた。

「……もし、ここで死んだら、どうなるんだ?」
「もちろん、死ぬさ。
 ここは異界だから、世間的には行方知れずということになるだろうが」

 落ち着いた声で、サニーは言った。
肉体ごとやって来ているのだから、それも当然かと、シェベットは頷いた。

 異界で人知れず死に、そのことを誰にも知られないまま、やがて忘れられてゆく――
そんなことを考えて、シェベットは、恐ろしさとなんともいえない淋しさを感じた。
少し背中が寒くなる。

「勘違いで殺されちゃ、たまんねえな……」
「私は、こんなところで死ぬ気はないぞ」
「そりゃもちろん、俺もさ」

 そろそろ、宿の誰かが二人の不在に気がついてくれただろうか。
庭園水晶は部屋に投げ出してきてしまったはずなので、
それが原因だと察してくれれば、探しに来てくれる可能性もあるかもしれない。
 けれど、それを期待してひたすら逃げ回る、というのも賢明ではないだろう。
どの道、ここから出る方法がわからなければ、仲間が来てもどうしようもない。

 先程の建物へ、どこか別の場所から行けないかと、
二人はこっそりと庭園を探索してみることにした。
 蔓薔薇の茂る石垣に沿って歩いてゆく。

「この上が、さっきの建物なんだろうけどな」

 シェベットが石垣を見上げる。
 さすがに、薔薇の棘の枝を手がかりに登ってゆくのは無理そうだ。
ぐるりと回って、どうにか登れそうな場所を見つけるか、
先程の階段のところに反対側から回り込むか……。

 歩くと、サニーの解呪の護符の鈴が、服の中でころころと鳴る。
サニーは、服の上から護符を手で押さえた。

(……この音でトゥスカに見つかりはしないだろうか)

 この通り、冒険向きの品ではないので、宿の中で身に着けるようにしていたのだが、
まさかこんなことに巻き込まれようとは――。

 と、シェベットが「それ、ちょっと貸してみろ」と手を出した。
サニーは護符を首から外し、シェベットに手渡した。
 シェベットは、受け取った護符を懐に押し込むと、何度か飛び跳ねてみせた。
……不思議なくらいに、なんの音もしなかった。
鈴の音も、足が地面を蹴って、また着地する音も。

「ここを出るまで、俺が持っててもいいか?」
「あ、ああ。頼む」

 目を丸くしながら、サニーは頷いた。
 シェベットはさも当然のような様子でやっているが、
すごいものを見せられたような気がする。

 サニーが故郷で一緒に冒険をしていた仲間にも、
盗賊の少年がいたが――よく笑う、人懐こい子だった――
彼には、ここまでの芸当はやってのけられなかったように思う。

「……実は、かなり優秀な盗賊だったんだな、お前って」

 以前、護符を手に入れた際にも似たやり取りがあったのを、サニーは思い出した。
そのときユーリが言っていたことを真似て呟くと、シェベットは吹き出した。

「お、今更わかったのか?」

 と、シェベットもそのときと同じ言葉を返して、
二人は顔を見合わせ、声を潜めてくっくっと笑った。

 そうして再び歩き出すと、シェベットが、「俺はさ、」と口を開いた。

「冒険者として、何かを成し遂げたいだとか、
 夢や目標みたいなもんは無いんだ。全然」

 いきなり、なんの話だろう、と、サニーは黙ったままシェベットの顔を見た。

「ガキの頃からそうだった。
 大人になったら何になりたい、なんて、思ったことはなかった。
 盗賊ギルドの頭なんぞに拾われた以上、俺もそうなる他ないってわかってた――
 ってのもあったのかもしれないが、本当に……何も浮かばなかったんだよなあ」

 その声は、シェベットにしては珍しく、どこか力のない響きだとサニーは思った。

「だから、って言うか、自分のやりたいことを持ってる奴のことは、助けてやりたいんだ。
 それを許してもらえなくて、家出までしてきた奴だとか……
 それのために、辺境の村から、はるばる旅してきた奴だとか」
「……フィオナ達のことか?」
「そうさ。
 親元、ってか、師匠元から自立したいだとか、行方知れずの仲間を探したいだとか」

 シェベットも、サニーの顔を見返した。

「それから――遠い故郷へ帰りたいだとか」
「……」

 サニーが言葉を返せずにいると、
シェベットはいつものような笑顔に戻って、また前を向いた。

「俺は、一緒に冒険に出た仲間全員揃って、生きて帰れるように努めようって思ってる。
 そいつらがちゃんと、やりたいことをやりきれるように。
 俺は盗賊だから、だからこそ、それができるんだ。
 危険を探って避けて、それでもぶち当たっちまったら、
 全力で生きるための道を見出すってことが」

 シェベットは深く息をつき、

「お前も、ちゃんと、全部上手くいくようにしてやる。
 ここから出て……そのあとも」
「……ありがとう」

 やっとそれだけ、呟くようにサニーは答えた。
 もっと、何か言った方がいいような気がして、
しばらく言葉を探してみたけれど、結局それきり黙り込んだ。
 話し声で、トゥスカに見つかってしまってはしょうがない。
ここを出てから、またいつでも好きなだけ話せばいいのだ。


 それから二人はまた、辺りを警戒しながら静かに歩いていった。
翼が羽ばたく音が聞こえる度に、ぎくりと立ち止まり、
それがただの小鳥だとわかると、苦笑いしてため息をつき、再び前に進む。

 ――と、ふと風もないのに、辺りの草木が揺れた。
 近くの木々に絡んでいた蔦がぼたぼたと地面に落ち、
こちらへ向かって蛇のように伸びてくる。
 二人がはっとして後ずさろうとしたとき、

「そこにいるのね! 賊どもッ!」

 遠くからばさばさと羽音が近づいてきたと思うと、空からトゥスカの声が降ってきた。

「逃げても隠れても無駄よ。
 私に近づけば、こうしてすぐに植物達が動き出して教えてくれるんですからね!」

 二人の背後で、ぎしぎしと音がした。石垣から蔓薔薇が剥がれて伸びてきている。
 蔓薔薇の枝が、ひゅっと鞭のように飛んできた。
シェベットは、避けきれずに短剣で逸らそうとして――
薔薇の枝は石のように硬く、がきり、と鈍い音がした。
鉄の爪のような棘に引っかけられて、手から短剣が弾き飛ばされる。

 しなる枝に手と頬を浅く切られて、
シェベットはかすかに顔を歪め、トゥスカを見上げた。

「お嬢さん! 頼むから、話を聞いてくれ。
 俺達、ドミニクさんを殺してなんかいないし、ここに物盗りにきたわけでもない。
 たまたま、入り込んじまっただけなんだ。
 出口を教えてくれりゃ、大人しく出て行くから――」
「嘘おっしゃい!
 あなた達からは、血の臭いがするわ。人を手にかけたことのある者の臭いよ!」

 そう言われてしまえば、それはシェベットもサニーも、否定できないのだった。
冒険者として生きていれば、時として人と戦い、
その命を奪わなければならないこともある。
 返答に詰まった二人を見て、トゥスカはあざ笑うようにふんと鼻を鳴らした。

「ここから出られるなんて、思わないことね。
 <庭園>の植物達の養分になるがいいんだわ!」
「……台詞的には、あんたもなかなか悪役っぽいぜ、お嬢さん」

 シェベットがぼそりと突っ込みを入れ、サニーがそれに頷くと、
トゥスカは「黙らっしゃい!」とわめいて、何か呪文を唱えた。
 すると、二人の目の前の地面が割れ、
辺りの木と並ぶほどに大きな、奇妙な植物が生えてきた。

 それは蛍袋のような花を一輪咲かせていたが、
濁ったような紅褐色の花弁は、肉のような色合いで、なんだか不気味だ。
花の大きさも、蛍どころか、人一人くらい、すっぽりと中に入ってしまいそうな――
と、その花が首をもたげ、口を開けるように花弁を開きながら迫ってきて、
二人はぎょっとしてその場から身をかわした。

 花は二人が立っていた場所に、ばくりと食いつき、
何も捕らえられなかったとわかると、のっそりと首を上げた。
花のしべだろうか、細長いものが何本も、
花の中からちろちろと舌のように見え隠れしていて、なんとも気味が悪い。
 シェベットが眉をひそめる。

「おい……これ、魔物じゃねえのか?」

 サニーも苦い表情を浮かべて、

「こんなものが生えていたら、せっかくの景色が台無しだぞ」
「うるさいわよ。……まあ、確かに人食い花の魔物ですけどね。
 この子も主様が創ってくださった大事な子! 一緒に<庭園>を守るのよ!」

 トゥスカのキイキイ声が降ってくる。

 人食い花が、ずるずると根を脚のように動かしながら近づいてきて、
サニーが仕方なく、炎の魔法の呪文を唱えようとしたとき――
手首に薔薇の蔓が素早く巻きついてきた。両腕を強く捩じ上げられる。

 痛みに呻きながら、サニーは内心、血の気が引くようだった。
 魔法は、腕の自由がきかないと、上手く使うことができない。
魔法の力の流れる方向を、腕や杖で指し示してやらなければならないのだ。
 薔薇の棘が食い込んだ腕から、呪いで宝石になった血がこぼれ落ちたが、
植物達には呪いの影響はないようだ。

 シェベットは、サニーが魔法を使えないことを察すると、
人食い花に向かって短剣を投げた。
肉厚の花弁に短剣が深々と突き刺さり、人食い花は苦しげに身を震わせた。
こちらに近づいてこようとしていた動きが止まる。

 その隙に、シェベットはまた短剣を取り出すと、
「ちょっと待ってな」と、サニーに声をかけた。
すうっと目を細めて、トゥスカを見上げる。

「庭番のお嬢さんには悪いが……こっちも命取る気で行かねえと、やばいかもな」

 低い声で呟いて、短剣を構えた。
 シェベットはきっと、その気になれば、この小さな短剣を一本投げるだけで、
相手の息の根を止めてしまえるのだろう。サニーは慌てて口を挟んだ。

「ま、待て! 彼女が出口の鍵になっている可能性もある。殺しては……!」
「ちっ……! わかったよ。それなら――」

 シェベットはトゥスカの翼を狙って、短剣を放った。
飛んでいる彼女が、移動する距離をも見越しての、狙い澄ました一撃。
 しかし、薔薇の蔓が一本、トゥスカを庇うように立ち上がった。
蔓にぶつかって、短剣の軌道は狙いから少し逸れ――
それでもトゥスカの翼を掠めて切り裂いた。

 トゥスカは空中でよろめき、甲高い悲鳴を上げた。
 それに呼応するように、ぼこぼことシェベットの周りの地面が盛り上り、
人食い花がいくつも顔を出した。――囲まれてしまっている。

「……冗談だろ……!」

 逃げ場がない。花が口を開いて覆い被さってくる。

「――!!」

 シェベットの目の前が暗くなった。人食い花に呑み込まれたのだ。

 花の中は、息苦しい程の甘ったるい匂いで満ちていた。
 花のしべのようなものが、ざわざわと身体に纏わりついてきて、不快な事この上ない。
花弁の内側は、なにやら蜜か粘液らしきものでべたべたぬるぬるしているし――

(……消化液じゃねえだろうな、これ?)

 なにしろ『人食い花』の体内なのだ。
 食虫植物に捕われた虫のように、消化されてしまうのでは、という考えが浮かぶ。
シェベットはもがこうとして、しかし花の中はぎゅうぎゅうと締めつけるように狭く、
身動きが取れないのだった。
 頭の中が、甘い匂いに浸ってしまったようにぼんやりとしてきて、
身体から力が抜けてゆく。

(こりゃ、ちょっと……本格的に、まずい、かも――)

「――シェベット!」

 シェベットが人食い花に呑まれて、くぐもった叫び声を上げた瞬間、
サニーは何かを考える間もなく、呪文を唱えていた。

 手のひらが、かっと焼けるように熱くなり、空に向かって炎が噴き出した。
手首に硬く巻きついていた蔓が焼き切れる。
 しっかりと制御されなかった魔法の力は、四方八方に広がり、辺りに炎の雨を降らせた。
炎はたちまち草木にも、薔薇の蔓にも燃え移り、周囲を火の海へと変えてゆく。

 サニーの方へと向かってこようとしていた人食い花の群れは、
火を恐れてか、地面に潜って逃げていった。
シェベットを捕えている一輪だけが、その場に残っている。

「な……なんてこと……! きゃああ!!」

 トゥスカは慌てふためきながら、空から降る炎から逃げようと飛び回っていたが、
避けきれなかった炎に翼を打たれ、くるくると落ちていった。


 その頃、ユーリ達は――思った以上に広大だった庭で迷ったり、
歩きながらついつい景色に目を奪われてしまったりしながらも、
どうにか、建物の扉の前まで辿り着いていた。
 建物は豪華な造りの館で、先程までいた所は、館の裏庭だったようだ。
大きな扉には、翼を広げた鳥が脚に花の輪を持った形のドアノッカーが付いている。

 フィオナが扉を叩いてみたけれど、中から誰かが出てくる様子はない。

「……誰もいないのかしら」

 呟きながら、フィオナはそっと扉を開こうとしてみた。
しかし、鍵がかかっているようで、びくともしない。
 ラーフラが、首をかしげるようにしながら館を見上げる。

「誰かが、手入れをしているような雰囲気はあるんですがね。
 箱庭も、放っておくと荒んでしまうので」
「シェベット達、ここにいると思ったのになあ」

 呟きながら、ユーリは館を囲む塀の方に歩いていった。
 館は高台に建っていて、ここから<庭園>を広く見渡せるようになっている。
霧で、あまり視界は良くないけれど……。

 ――と、庭園の一角に、ぱっと明るい金色の光が灯った。
なんだろう、と身を乗り出して、よく見てみようとして――
ユーリは「うわっ」と声を上げた。

「火事だ!」

 小さな森のようになった場所から、炎と煙が上がっていたのだ。
 ユーリの声に、仲間達も駆け寄ってくる。

「あの炎……! サニーの魔法です!」

 ラーフラが言った。大きな魔法のおかげで、気配が際立って感じられたのだ。

 ソラヤの膝が震えた。
 サニーは、そしておそらくシェベットも、あの炎の中にいる――
故郷の森を竜に焼かれた日のことが、ソラヤの頭をよぎる。

(サニーが使った魔法なんですから……二人とも無事に決まってます)

 そう思おうとしても、どうしても、燃える森の中を逃げ惑うエルフの仲間達に、
二人の姿を重ねて想像してしまうのだった。

 フィオナがソラヤの顔を覗き込む。

「ソラヤ。大丈夫?」

 ソラヤは青ざめながらも、頷いた。

「だ――大丈夫、です。二人を迎えに行きましょう。
 あの火も……水の精霊を呼んで……消さないと」
「俺も手伝うよ! 行こう!」

 ユーリはそう言うと、フィオナをふり返って、笑った。

「例の新しい技、お披露目するよ」

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