6.星の光のように


 扉を開くと、その向こうから、ふうっと、乾いた熱い風が吹いてきた。

 鮮やかな青空と、目を射るような陽の光。
それを照り返して眩しいほどに輝く、白い石造りの街並み。
遠くには、一際大きく立派な、宮殿のような建物が見える。

 サニーは扉の向こうのその光景を見つめて、呆然としたように立ち尽くしていた。
 トゥスカが口を開く。

「これは、主様の旅の記憶のうちのひとつですわ。ここは、確か――」
「エルナシムの王都だ……」

 呟くようなサニーの声を聞く前から、ユーリ達もなんとなく、そうだろうと思っていた。
 遠い、海のずっと向こうの、サニーの故郷。砂漠のオアシスの都。
道をゆく人々も、みんなどことなくサニーと似ている。浅黒い肌も、服装の雰囲気も。

 ただ……今、目の前に広がっている景色は、
サニーの記憶にある都とは、少し様子が違うようだった。
昔の――庭園の主が旅をした、その時の光景なのだろう。

 ふと、楽器の弦を弾く、高い音が聞こえた。都の人々のざわめきが、少し静かになる。
 石畳の道の片隅、房飾りのついた傘が差しかけられた長椅子に、
大きな三日月のような竪琴を膝に抱いた男が座っていた。
 男は、ほろん、と分散和音を鳴らし、曲を奏ではじめた。

「……この歌、」

 サニーは呟いた。聞こえてくる歌声に、小さく声を合わせる。


  黄金の陽の炎 白銀の月の影
  世界は移ろいて 過ぎし日は帰らねど
  星 落つれど 輝きは 空で褪せず
  旅の道を照らす 導となりて
  時の果てに 地の果てに 光 灯すだろう
  忘れえぬ声に 再び 巡り逢うだろう


 それは、エルナシムで古くから歌われている歌だった。
明るい旋律ではないけれど、どこか力強い、砂漠に生き旅する人々のお守りのような歌。
 足を止めて聴いている人や、一緒に口ずさんでいる人もいる。

 歌が終わって、サニーはしばらく都の景色を見つめていたけれど、
やがて黙って扉を閉じた。

「いいのか?」

 と、シェベットが訊ねた。「中も、入ってってみりゃ良かったのに」
 サニーは笑って首を振った。

「いいんだ。
 入っても、きっと何かに触れたりはできなかっただろう。蜃気楼のようなものさ」

 トゥスカが頷く。サニーは笑顔のまま、言葉を続けた。

「でも、懐かしい風景を見ることができてよかった」
「サニー様は、エルナシムのお生まれなのですね。
 主様は、昔――土地にもそれぞれ独特の気配があり、
 人と土地との縁がある、とおっしゃっていました。
 きっと故郷の気配に惹かれたのでしょうね」

 トゥスカがにこにこと言った。
 ラーフラは、ふむ、と首をめぐらせて、ふと一つの扉に目を留めた。

「ここは、知ってる場所のような気がしますよ」

 そう言って開いた扉の向こうには、煌めく砂浜と海が広がっていた。
キュストーレ島の風景だ。
 ソラヤがわあっと声を上げる。

「キュストーレ! また、みんなで行きたいですね」

 シェベットが、へえ、と感心した様子で頷いて、

「本当に、あっちこっち行ってるんだなあ。
 ――じゃ、全然知ってる雰囲気はしないけど、ここはなんだろ……」

 と、別の扉に手を伸ばそうとしたシェベットの腕を、ユーリが止めた。

「まっ、待った!」
「なんだ?」
「……扉の向こうの知らない景色、見てみたいような気もするけど――さ、
 俺達、冒険者じゃないか。
 この庭園の主の人ほどじゃないかもしれないけど、
 いろんな場所に、自分達の足で行けるだろ。
 自分の目で見るまで、取っておかないか?」

 シェベットはかすかに目を見開き、それから、頭の後ろで手を組んで笑った。

「……そうだな。そうしよう。ユーリの言う通りだな。
 ドミニクさんの言ってた『面白い』ってのは、この扉のことのような気もするから……
 ちと勿体なくもあるが」
「いや。きっと、迷路が面白いんだよ」

 ユーリはきっぱりと言いきり、ラーフラが「こだわりますねえ」と苦笑した。

「ユーリ、筆記帳にもよく迷路を描いているものね」

 ぼそりとフィオナが言う。
 ユーリは読み書きが苦手なので、仲間達(主にフィオナ)に教えてもらっているのだけれど、
その勉強に行き詰まると、筆記帳にぐるぐると線を引いてみたりして――
それがいつの間にやら、迷路に変わってゆき、気がつけば頁を丸々埋めてしまったりして、
フィオナに呆れられることも少なくないのだった。
 ユーリは、へへ、と、ごまかすように笑って頭を掻いた。

 トゥスカはにこにこと笑いながら、

「確かに、ドミニク様は、この扉がお好きなようでしたわ。
 『いや素晴らしい。外へ出ずとも、美しい庭園を歩き、世界中の風景を見ることができるなんて』
 と、おっしゃっていました。
 ――あっ、迷路ももちろん、楽しまれていらっしゃいましたけれど」

 そう言って、そのときのドミニクの様子を思い出しているのか、ふふっと笑った。

「主様は、旅の中で見た記憶が色褪せないように、
 そして、私にも色々な景色を見せてくださるために、
 こうして館に部屋を造って、残してくださったんですの……」

 それから、トゥスカはふと表情を暗くして、「でも」と、ぽつりと呟いた。

「ここでも、どうしても見られないものがあるのです」
「どうしても、見られない……?」

 ユーリが聞き返すと、トゥスカはこくりと頷いた。

「主様のお姿です。
 主様がご覧になった美しいものの数々は、館中に、庭園中に、たくさん遺されていますが……
 それを見ていた主様自身は、もうどこにも居られないのです。
 ――それに、ドミニク様も……二度と、ここを訪ってはくださらないのですね」

 震える声で言って、トゥスカは翼で顔を覆うようにした。
 一同は、少しの間黙り込み――

「……さっきの歌――『星しるべの歌』というんだが」

 と、サニーが口を開いて、トゥスカはゆっくりと顔を上げた。

「星の光は……遠い星からこの空へ届くまで、時間がかかるらしい。
 そして、星にも寿命がある。
 今見ている星空の中には、本当はもう燃え尽きてしまった星の光もあるそうだ。
 ――それを、もう、この世にはいない者との思い出と重ねた歌だと言われている」

 星が燃え尽きてしまったあとも、その光が、遠い空で輝き続けるように、
いなくなってしまった者との思い出は消えないのだと。

 その姿を、目で見ることはできなくなってしまっても、ふとした瞬間に、
心の中から、その人がくれた言葉や思い出が――面影が蘇ってくるのだ。
 そして、その人がいない時を生きてゆく、その人が知らない道を歩いてゆく、
その支えになってくれるのだと……。

 トゥスカは、すうっと涙を流し、それを翼で拭った。

「先程の――炎の中で、サニー様がおっしゃってくださったことが、今、よくわかりましたわ。
 主様も、ドミニク様も、もういらっしゃらないけれど……
 お二人と一緒に過ごした時間は、私の中にずっとある。あり続けるのですね。
 <庭園>と共に、その思い出も守って、生きてゆきます」

 そう言って、トゥスカは胸の前で翼を合わせた。
心の中の、主やドミニクとの思い出を、包み込もうとするように。

「……また今度、主様やドミニクさんのお話を聞かせてください。
 そうしたらきっと、私達の心の中でも、二人が――
 その思い出が、生きてくれると思うんです」

 ソラヤがそっと声をかけると、トゥスカは大きく頷いた。

 そして一行は、<庭園>を出たのだった。

 ――出口は、館の一室に飾られた絵が仕掛けになっていた。
 額縁の角の、一見、ただの装飾の一部に見える、小さな窪み。
そこに、トゥスカが服の中から取り出した、六角柱の庭園水晶の首飾りをはめ込むと、
壁の中でなにやらかちかちと音がした。
 そして、絵が後ろの壁ごと、扉のように開いた。その向こうは眩しい光に包まれている。

(……本当に、お嬢さんに誤解されたままじゃ、出られなかったわけだ……)

 絵の扉をくぐって光の中に踏み込んでゆきながら、シェベットは、
無事にみんなで帰り着けることに、心から安堵したのだった。


 六人がシェベットの部屋へと戻ってきたとき、外はもう日が暮れかけていた。
 酒場で軽い食事を取りながら、事の顛末をマスターに報告すると、
マスターはほっとした様子で笑った。

「大変だったね。シェベットもサニーも、みんなも、無事で本当に良かった」
「ああ。でも、大変なことばっかりでもなかったぜ。な」

 と、シェベットがサニーの肩に肘を乗せると、
サニーはつまんでいたナッツを飲み込みながら、頷いた。

「そうだな。思いがけず、エルナシムの景色まで見られたし」

 シェベットはなにやら首をひねりながら顎をさすった。

「ああー……そうか。まあ――いいや、うん」
「?」

 なんなんだ、というように、サニーは横目でシェベットを見たが、
マスターは何か納得したように微笑んで頷き、

「思いがけない出来事は、乗り越えれば、絆を深めてくれるものだよね。
 ……でも、あんまりそういうことに巻き込まれてばかりだと、
 帰りを待っている方は、はらはらしてしまうから……なるたけ、程々にね」
「気をつけるよ」

 と、シェベットはちょっと申し訳なさそうに笑った。

 そのあと、六人はそれぞれ自室へと戻ってゆき――
シェベットは、部屋に入りかけていたサニーを呼び止めた。
 懐から解呪の護符を取り出して、サニーに手渡す。

「すっかり忘れてた。これ、返すぜ」
「ああ。ありがとう」

 受け取った護符を、サニーは首にかけ直した。
 相変わらず、シェベットの手の中では鈴の音がしていなかったので、
サニーもちょっと忘れかけていたところだった。
 シェベットは笑って、サニーの肩を叩いた。

「今日はお前と色々話せて良かったよ。
 それと、こっちこそ、助けてくれてありがとな」

 サニーは「ああ……うう」と、照れたようにかすれた声で頷いて、ごほんと咳払いをした。

「その――そうだな。
 ……助けるのは当たり前、だろう。仲間なんだからな」

 シェベットから目を逸らすようにして、早口でそう言うと、
サニーはぱっと踵を返して、自分の部屋に入っていった。

 ばたん、とサニーの部屋の扉が閉まったところで、シェベットは後ろをふり返った。

「――で、お前らはそこで何してんだ?」

 すると、廊下の角からひょこっとユーリとラーフラが顔を出した。
「気づかれてた……!」「流石ですね」と、二人はシェベットの傍までやって来て、

「いや、そのさ。
 シェベットとサニーと、仲良くなったみたいで、良かったなあって思って」

 ユーリがそう言うと、シェベットは「なんだそりゃ」と、楽しそうに笑った。
 ラーフラが、付け加えるように言葉を続ける。

「前……サニーが来たばかりの頃に、心配してたんですよ、ユーリが」

 シェベットは頬を掻いて、

「ああ……そりゃ、すまなかったな。
 たぶん、もっと仲良くなれると思うぜ――ってのは、俺の希望も込みだが」

 ユーリはうんうんと頷き、それから、少し表情を曇らせた。

「でも、サニー……やっぱり、いつか、エルナシムに帰っちゃうのかな?
 せっかく仲良くなれたのに、帰っちゃったら寂しいよな。
 ――いや、もちろん、呪いを解くためにも、しょうがないけどさ」

 シェベットもふと真面目な表情になって、顎に手をあてた。

「まあ、確かに、寂しいが……そういう理由で引き止めるつもりはねえんだけど、」
「何か、気になることでも?」

 ラーフラが訊ねると、シェベットはうーん、と、曖昧に頷いた。

「俺が、ちょっと考えすぎてるだけだろうけどな……。今度、お前らにも話すよ」


 サニーは、部屋の扉を閉めてから、あっ、と、立ち止まった。

(……短剣を返し忘れたな)

 渡してもらったものの、結局使わずじまいだった、シェベットの投擲用の短剣。
 サニーは扉をふり返ったが、今さっきのやり取りを思い返すと、
すぐにまたシェベットと顔を合わせるのは、なんだか照れくさくて気が引けた。

(――まあ……別に、急がずともいいだろう)

 そう思うことにして、はあ、と息を吐き出すと、
ばたばたと出て行ったときのままになっていた部屋を片付けはじめた。


 ソラヤは部屋に戻る前に、中庭に向いた廊下の窓から、外を見ていた。
「ソラヤ?」と、後ろから声がしたと思うと、フィオナが立っていた。

「どうしたの?」
「いえ。ちょっと――『妖精の木』を見ていて」

 フィオナもソラヤの隣に来て、窓の外を見た。
 中庭の中央に立つ、『妖精の木』が見える。
 この宿の、初代マスターの恋人だった妖精が眠っているという木。

「この木に眠っている妖精も、悩んだのかな、って思ったんです。
 ――その、初代マスターと、命の長さが違うことに……。
 もし、大切な人がいなくなった世界が辛くて眠っているのなら、悲しいな、って」

 エルフと同じように、妖精もまた、人間より遥かに永い命を持つ種族のはずだ。

 マスターが先代から語り聞いた話によると、初代マスターが亡くなったあと、
妖精は木の中で眠りにつき、そして、それきり――
生きてはいるはずだけれど、目覚めないのだということらしかった。

 フィオナはふと、ソラヤが、妖精『も』と言ったことに、引っかかりを感じた。
 最初、トゥスカも妖精も、という意味かと思ったのだけれど――

(もしかして……ソラヤも)

 フィオナは、ソラヤの寂しそうな横顔を見つめて、言った。

「……ええとね。
 こんなこと、あたしが言っても、仕方がないかもしれないけれど……。
 誰だって、いつか、大切な誰かとさよならしなきゃいけない時が、きっと来るわ。
 でも、先のことを考えて、暗い気持ちになってしまうのは、時間がもったいないと思うの。
 今そこにいるその人と、一緒に楽しい思い出をたくさん作った方が、ずっといいわ」

 ソラヤは驚いたような表情を浮かべて、フィオナを見ている。

「トゥスカだって、ドミニクさんのことを話すとき、楽しそうだった。
 さよならしたあとも、永遠に悲しいままではないはずよ」

 フィオナはそう言うと、ちょっと笑って、肩をすくめた。

「……って、昔、あたしに色々なことを教えてくださった方が、
 似たようなことを言っていたのだけれどね」

 ソラヤは何度もまばたきを繰り返して、
今聞いた言葉を飲み込むように、ゆっくりと首を縦に振った。

 ふと、ターニアが言っていたことが頭に浮かぶ。

  ――一緒に過ごした、幸せな時間はずっと覚えているから、大丈夫なのよ。

 その言葉も、『星しるべの歌』の意味も、やっぱりまだソラヤには、
実感をもってわかることではなかったけれど……。
 フィオナの言葉で、胸の中にわだかまっていた靄のようなものが、
ひとつ消えたような気がした。

 ソラヤは顔を上げて、フィオナに微笑んでみせた。

「ありがとう、フィオナ。
 私……なんだか、余計なことを考えていたみたいです」

 それを聞くと、フィオナは安心したように、肩でひとつ息をついて、笑った。
 ソラヤは窓の方をふり返り、

「木の中の妖精も、ミリアンさんみたいに、
 うっかり長く眠りすぎているだけかもしれませんしね」
「ありそうね。そのうち、何かの弾みで起きて、会えるかもしれないわ」

 フィオナもくすりと笑って、そう言った。

 そうして、ソラヤは、フィオナにもう一度ありがとうと伝えて、
部屋へ戻ってゆく彼女を見送った。
自室に入る前に、また、『妖精の木』をそっと見つめる。

(ずっと覚えておこう……今日のことも)

 ソラヤは決して、一人ぼっちになってしまったりはしないのだ。
 仲間達はいつでも、初めて会ったときからずっとそうだったように、
ソラヤに力を貸し、助けてくれるのだろう。

 遠い未来にも、きっと。




(幻想庭園紀行・おわり)

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