2.依頼主の悩みの種は


 そのあと、一行は無事に馬車に乗り込んで、
昼下がりには大都市サンドリタへと着くことができた。
 馬車が停まった広場や、そこから見える目抜き通りの市場は、楽しげに賑わっている。
依頼主のハルネス薬店も、すぐ近くにあるようだったが……
万が一フィオナの知り合いに会ってしまわないよう、一旦、通りすぎてしまうことにした。

 早足に歩くフィオナの後に続いて、一行は港に近い下町の方面へ向かった。
 ほとんど屋台のような小さな店が建ち並ぶ、ごちゃごちゃとした通りにやって来ると、
フィオナは立ち止まり、仲間達をふり返って言った。

「この辺りのお店を見て、待っているわ」
「ここも結構、賑わってるみたいだけど……平気なのか?」

 ユーリが訊ねると、フィオナは頷いた。

「ええ。知り合いも家族も、こういう所には来ないような人達だから」

 通りには様々な店があるようだ。土産物屋や、貝細工を売る店。
船のランプや部品、がらくたのようなものまで、道にも溢れ出すほどたくさんの品を並べた店。
看板がなく、なんの店なのかさっぱりわからない、掘っ立て小屋のような建物。
食べ物を売る店もあるようで、潮の香りに混じって、肉や魚の焼けるような匂いも漂ってくる。

 シェベットがきょろきょろと辺りに視線を巡らせて、

「楽しそうな所だが、ちょっと怪しいな。
 確か、サンドリタの盗賊ギルドって、この辺だったはずだぜ。気をつけろよ」
「大丈夫よ」

 フィオナは手を振って答えると、人混みの中へと紛れていった。
 五人はその後ろ姿を見送ったあと、顔を見合わせた。

「……じゃ、早いとこ、薬屋で話を聞いて来るか」

 シェベットの言葉に、みんなは頷いて、再び目抜き通りの方へと歩き出したのだった。


 ハルネス薬店の大きな建物に入って、店員に依頼書を見せると、
一行は店の奥へと案内された。店舗と住宅が繋がっているようだ。
 柔らかな絨毯張りの廊下を抜け、階段を上り、
やがて広々とした応接室らしい部屋へと通された。

「『妖精のとまり木亭』の冒険者さんですね。どうぞ、こちらへ」

 そう微笑んで、一行を迎えてくれたのは、まだ少年のような面影もある、若い青年だった。
ユーリやラーフラより、少し年上くらいだろうか。
 フィリップと名乗った彼は、ハルネス薬店の店長の息子で、
今日は店長は商談に出かけていて留守らしい。

 フィリップは、整った顔立ちの、優しそうな雰囲気の人だったけれど、
笑顔が少しだけ疲れているように見えた。

(こんなに大きい薬屋さんだし、忙しくて大変なんだろうな)

 と、ユーリは思った。

 ふかふかのソファに腰かけた一行の顔を、フィリップは順に見て、

「五人、ですね」

 シェベットが、「ああ、いや」と首を横に振る。

「六人なんだが――」

 ちらりと仲間達と目を合わせてから、フィリップの顔に視線を戻し、苦笑いした。

「ちょっと、一人、珍しく馬車に酔っちまって。外で休ませてるんだ。
 仕事はちゃんとする奴なんで……詳しい話は、後から俺達が教えとくんで」

 フィリップは、そうですか、と気遣わしげな表情で頷く。
そのとき、使用人らしい女性がお茶を持って来てくれて、フィリップは彼女に何か声をかけた。
女性は頷いて、ユーリ達に軽く頭を下げると、部屋を出て行った。

 フィリップは、なにやらぼんやりとしたような、どこか虚ろな表情で、
女性が出て行くのを見つめている。

「……フィリップさん?」

 ユーリが声をかけると、フィリップははっと我に返って、一行の方に向き直った。

「ああ、すみません。
 ええと、それでは、依頼の詳細をお話しいたしますね」

 それから、フィリップは丁寧に目的の村の場所や、道のりを教えてくれたけれど――
話の合間に、ふと小さく漏らすため息や、隠しきれていない疲れた様子が、
一行は少し気がかりだった。
 心配そうな視線に気がついたのか、フィリップは恥ずかしそうに笑った。

「その……お仕事のお話中だというのに、申し訳ないです。
 それも、こちらからお願いしたことなのに……。
 ――実は、ゆうべ、あまり寝ていなくて」
「いや、忙しいのに俺達に時間を割いてもらって、ありがたいよ。
 ……でも、本当にそれだけかい?」

 シェベットが、フィリップの目を見て訊ねると、
フィリップは下を向いて黙り込んでしまった。
 ユーリが身を乗り出すようにして、フィリップの顔を覗き込む。

「俺達、冒険者だよ。
 余計なお世話かもしれないけど――もし、何かあったなら、力になれるかもしれない」

 すると、フィリップはゆっくりと顔を上げた。
 何か言いかけて、ためらった様子で唇を噛み――
少し間を置いてから、決心したように口を開いた。

「――実は、僕には婚約者がいるのですが……。
 少し前に、その彼女が家出をしてしまって。行方が……わからないんです。
 彼女は、可愛いけれど剣が使えたりして、強い子なので……
 無事だろうとは思っているのですが」

 それでも心配で、と、フィリップは額に手をあてて、またうつむいた。
 ――一行の心に、何かが引っかかったような気がした。

「それは……大変だな。その婚約者はどんな人なんだ?」

 と、サニーが聞くと、フィリップは祈るように両手の指を組み合わせて、言った。

「このサンドリタの市長さんの、娘さんなんです。名前はフィオナといいます」
「……フィオナ?」
「市長の……娘さん?」

 ユーリとソラヤが、フィリップの言葉を繰り返す。
 ラーフラは、ちらりとシェベットの顔を見た。
五人の中で、フィオナと一番付き合いが長いのは彼だ。
しかし、そのシェベットすらも、表情にかすかに狼狽の色を浮かべている。

「はい。年の頃は、皆さんともそう変わらないくらいかと思います。
 赤毛に緑の瞳で……」

 フィリップは、その人の姿が見えているかのような遠い目をした。
 それぞれにフィリップから目を逸らしたユーリ達の心に浮かんだのも、
彼が思い浮かべているのと同じ人物かもしれない……と、五人全員が思った。

 シェベットが、うーむ、と唸って、

「人探しも俺達の仕事ではある、が……。
 市長の娘さんとなりゃ、街側でも捜索はしてるんだろ?
 心配しすぎなくても、きっと、じきに……」
「いえ、それが」

 フィリップはかぶりを振って、目を伏せた。

「彼女のお父さんが……市長さんが、あまり騒ぎにしたくないと、内々で調べさせていて。
 お互いの家の一部の者達にしか知らされていないんです」
「それって……僕達、聞いてしまってよかったんでしょうか」

 ラーフラがそう言うと、フィリップはわずかに微笑んで、

「なんだか、話して気が楽になったように思います。ありがとうございました。
 ……市長さんのご意向もあって、正式な依頼も出来ないですし、
 話はあまり広めないでいただければ、と思うのですが――勝手ですみません。
 でも、もし何かわかったら、教えていただけると嬉しいです」

 そう言った声は、確かに先程までよりも明るく、すっきりとした様子だった。
 逆に、一行はすっかり動揺してしまったのだけれど――
悟られないように、なんとか笑顔になって、フィリップに頷き返してみせた。
 フィリップは、そうだ、と手を打った。

「廊下に彼女と僕の絵があります。幼い頃に描いてもらったものなんですが……。
 よろしければ、ご覧になってみてください」

 そして、改めて本来の依頼の話をまとめると、
フィリップから山間の村へ届ける薬と手紙を預かって、五人は応接室を出た。
 すると、先程の使用人の女性がやって来た。小さな薬瓶を一行に差し出す。

「こちらをお持ちください。酔い醒ましの薬です」

 おそらく、フィリップが用意させてくれたのだろう。
『馬車に酔ってしまった仲間』のために。

「いいんですか? ……わざわざ、すみません」

 少しだけ後ろめたく思いながら、ラーフラは薬を受け取って、鞄に仕舞った。
 それから、フィリップと婚約者の娘の肖像について訊ねると、
女性は、婚約者の家出の話を知っているようで、心配そうな表情で頷いた。
「こちらです」と案内してくれる女性に続いて、しばらく廊下を歩いてゆくと、
壁にかけられた大きな絵が見えてきた。

 金色の額縁に飾られた絵には、椅子に座った二人の子供が描かれていた。
 一人は、先程出会ったフィリップの面影がある、微笑みを浮かべた幼い男の子。

 そして、もう一人は――どこかで見覚えがある雰囲気の、
翡翠色の目をした赤毛の女の子だった。
絵の中の女の子は、にこりともせず、じっとこちらを見つめている。

 何故、フィオナがここへ来たがらなかったのか、五人は改めて理解した。

「……かわいらしい、お嬢さんですね」

 ソラヤがやっとのことで口を開くと、女性は頷いた。

「でしょう? ご無事でいらっしゃるといいのですが……」
「き、きっと大丈夫だよ!」

 励ますように、ユーリは言った。
 ――きっと、というか、おそらくほぼ確実に、
この絵に描かれた少女が無事で大丈夫なことを、ユーリは知っているのだけれど。

 ラーフラが、遠慮がちに訊ねる。

「フィオナ……さん、でしたっけ。その方は、どうして家出をされたんでしょうか?」

 使用人の女性は、困ったように眉を下げて、

「私は、あまり詳しい事情は知らなくて……。
 ――でも、その少し前に、そろそろご結婚を、という話が出ていたそうで……だから」
「……実はあんまり、フィリップさんとは仲がよろしくなかったのかい?」

 と、シェベットが小声で口を挟むと、女性は慌てて手を振った。

「いえ、そんなことは――!
 でも、ほら、いざ結婚を前にすると、色々と悩んでしまう女性は多いそうですから……。
 ええと、あくまで私の勝手な想像なのですが、
 そのことが一因に……なっていないこともなかったのかな、と……」
「ふむ。まあ……もし、何かわかったら、きっと伝えに来よう」

 サニーのその言葉の裏に、絶対に伝えに来ると言ったわけではない、
という意味が隠れているのが、仲間達にはわかったけれど……。

「よろしくお願いいたします」

 頭を下げた女性を見て、一行はやっぱり少しだけ、心やましい気持ちになったのだった。


 ハルネス薬店を後にして、建物が見えなくなる辺りまでやって来ると、
シェベットはふーっと長い息を吐いた。

「――そうだったのか……そりゃ、会えないわけだよな」

 なんとなく息を詰めていたユーリ達も、少し肩から力を抜いた。
 ソラヤが、シェベットを見上げるようにして、

「シェベットは、さっきの話、知らなかったんですか?」
「ああ。
 家のことは、なんか、言いたくなさそうだったから……聞かなかったんだ」

 と、シェベットは頭を掻いた。

「一応、ギルドで調べはしてみたんだよ。
 初めて会ったとき、あんまりにもあからさまに、金持ちのお嬢さん風だったもんだから、
 家の人が心配してるんじゃないかと思ってさ。
 でも、家出娘を探してるって情報はなかったから、それっきり……」

 ラーフラが、かすかに眉を寄せて首をひねった。

「……僕は、以前はサンドリタに住んでいましたが……。
 煙煤通りに――とびきり治安の悪い区域にいたので、市長のことはよく知らなくて。
 娘がいるっていうのは、聞いたことがありましたが。確か、息子もいたはずです」
「あ、そういえば、兄ちゃんがいるって言ってたな」

 ユーリが頷く。フィオナは家や家族の話になると、ぽつぽつと話してはくれるものの、
なんとなく歯切れが悪かったのを思い出した。

「ともかく、早く合流しよう。
 そういう事情なら、万が一、幻術が効かない関係者がいたらまずいだろう」

 サニーがそう言って、一行は先程フィオナと別れた通りへと急いだ。


 アルーエットの姿をしたフィオナは、
がらくた屋のような店の前で、雑然と並ぶ品物を眺めていた。
 五人はフィオナに声をかけると、さりげなく周囲の人目を避けるように彼女を囲みながら
――確かにフィオナが言っていた通り、市長の家や薬店の人達は、
こういった場所には来ないのかもしれないが――更に横道へと潜り込んだ。

「どうしたの。依頼の話はどうだったの?」

 フィオナは怪訝そうに、仲間達の顔を見回した。
 五人はフィリップから聞いた仕事の詳細を一通りフィオナに話すと、
ちらりと顔を見合わせた。
「それで……ええとだな」と、シェベットが切り出す。

「話してくれたのが、店長の息子のフィリップさんって人だったんだが。
 なんだか、元気がなくてさ。
 話聞いてみたら、婚約者が家出しちまって、心配してるんだと」

 フィオナはかすかに眉を動かした。
 五人がそれぞれ、どこか気まずそうにしているのを見て取ると、
何か諦めたような表情を浮かべて、少し視線を外した。

「……そう。その婚約者がどういう人かは聞いた?」

 五人が頷くと、フィオナはため息をついた。

「黙っていてごめんなさい」
「その……結婚するのが、嫌だったんですか?」

 ソラヤが訊ねる。フィオナは複雑そうな表情で、ソラヤを上目で見るようにして、

「それもあるわ。
 ……別に、彼のことが嫌いというわけではないの。
 あの人は昔からの、とても良い友達よ――ずっと友達でいたいわ。
 それよりも、親が勝手に決めた婚約に従うのが、嫌だったの」

 最後の言葉に、特に力をこめて、きっぱりとそう言った。

 シェベットは、先程のフィリップの様子を思い出して、
心の中でほんの少しだけ、彼に同情した。

(フィリップさんの方は、結婚は嫌じゃなさそうだったが。
 『ずっと友達でいたい』か……なかなか厳しいお言葉だぜ)

 少し間を置いて、「――それで」と、フィオナが顔を上げる。

「まさか、家に帰れなんて言わないわよね?」
「言うもんか」

 シェベットがすぐにそう答えて、みんなもうんうんと大きく頷く。

「そうだよ。フィオナがいないと、俺……」

 ユーリが口を開くと、「いないと、何?」と、フィオナが聞き返してきた。
 ――ユーリは、何故か仲間達の視線が自分に集まるのを感じた。

「勉強も冒険のことも、まだまだ教えてほしいし、稽古だってもっと一緒にしたいし。
 戦いのときだって、助けてほしいし――
 じゃなくて、そういうことじゃなくて……いや、それもそうなんだけど」

 だんだん、自分が何を言っているのかよくわからなくなってきて、
ユーリは首をぶんぶんと振ってから、フィオナの方に向き直った。

「とにかく、フィオナがいないと寂しいよ」

 フィオナは、ぽかんとしたようにまばたきしていたけれど、やがてふと笑った。

「……そうね。そうでしょう。あたしもよ」

 それから、「まあ、もし、帰れと言われたところで、お断りだけれど」と、
思いなしか楽しそうな声で付け足した。

 ラーフラが、静かにユーリの隣にやってきて、小声でささやいた。

「何を言い出すのかと思いましたよ」
「何って……何が?」

 ユーリがきょとんとしていると、

「いえ。なんでもないです」

 と、ラーフラは肩をすくめて、ユーリの傍を離れた。
 なんなんだ、とユーリが見ていると、ラーフラは「ああ、そうだ、フィオナ」と、
すたすたとフィオナの方に歩み寄ってゆき、

「一応、これをどうぞ」

 鞄から取り出した薬瓶を、フィオナに手渡した。

「これは?」
「フィリップさんからです」

 仲間が一人この場に来られなかった言い訳に嘘をついたことを、ラーフラが話すと、
フィオナはわずかに目を細めて「そう」と頷き、薬瓶を自分の荷物袋に押し込んだ。
 そして、ぱっと顔を上げて、仕切り直すように言った。

「そろそろ、仕事の話に戻りましょうか。
 目的の村までは、結構、距離があるって言ってたわよね?」
「歩きだと、二日近くかかるって話だったな。
 途中まで同じ方角の馬車は、しばらく出ないらしいし……。
 今から行っちまうか?」

 と、シェベットがみんなの顔を見回す。
 ソラヤは、気遣わしげなまなざしをフィオナに向けた。

「フィオナ、あまりここに長居はしたくないでしょう?
 準備が出来たら、もう出発してしまいませんか?」

 日差しは少しずつ夕刻の色に変わりつつあるが、
フィオナの事情を考えると、この街で宿を取るのも躊躇われる。
 一同は頷き合い、持ち物を確かめると、大都市サンドリタを後にするのだった。

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