3.フィオナとシェベットの初めての冒険


 サンドリタを出てしばらくは、街道に沿って進む。
この辺りは、まだ獣や魔物の気配もない。
 歩いてゆくうちに、やがて陽が落ちはじめ、すると一気に空気が冷え込んできた。

 一行はよく葉を茂らせた木を見つけると、その下で野宿の準備を始めた。
ここなら、もし雨が降ってきても凌げるだろう。
 枯れ枝や枯草を集めて火を点ける。焚き火は暖かく燃え、辺りを仄明るく照らした。

 みんなで焚き火を囲んで座り、保存食で軽い食事を取りながら、
「フィオナは、」と、ユーリは口を開いた。

「どうして冒険者になろうと思ったんだ?」

 ずっと、フィオナに訊ねてみたいと思っていたことを、思いきって聞いてみた。

 フィオナはユーリの方に顔を向けると、何か眩しいものでも見たように目を細めた。
そうね、と、小さく首を揺らし、ゆっくりと辺りに視線を巡らせて、やがて言った。

「自分で――自分の力で、生きてみたいと思ったんだわ。
 自由に。色々なことを、自分で考えて、自分の足で動いて」

 仲間達も、食事の手を止めたり止めなかったりしながら、二人の方を見ている。

 フィオナは、考え考え、胸の奥から言葉を拾い集めるようにしながら、話を続けた。

「……あたし、学校には行っていなくて、
 家庭教師の先生が来て、勉強を見てくださっていたんだけどね。
 その先生が、昔、剣一本で世界を渡り歩いていた旅人だったの。
 勉強の合間に、旅の話をよく聞かせてくれて……」

 旅の中で出会った景色や人々のこと、様々な歌に物語。
冒険者と呼ばれる人々がいるということも、フィオナはその先生の話で知ったのだった。

「剣も、あたしが無理を言って、父には秘密で教えてもらっていたの。
 ――そのうち、剣の稽古をしていることを父に知られてしまって、
 それきり先生は二度といらっしゃらなかったけれど」
「……クビにされちゃったのか?」

 話を聞いて、自分もその先生に会ってみたいと考えていたユーリは、驚いて訊ねた。
 フィオナは静かに頷いた。
焚き火の明かりが、翡翠色の瞳に映って揺れている。

「あの家にいるとね、あたしの意思なんて――
 心なんていらない、って言われているように感じることが多かったの。
 ……先生の話の中の、旅人や冒険者達は、いつも自由だった。
 全てを自分の心のままに、……そんな生き方を、あたしもしてみたいと思った」

 焚き火の世話をしながら聞いていたシェベットが、顔を上げて、

「お嬢様暮らしがどんなもんなのかは、よく知らねえけど。
 フィオナには窮屈だったろうな、ってのは、なんとなく想像がつくな」
「ええ。本当に、息が詰まる場所だったわ。
 それで、そろそろ結婚……なんて言われたものだから。
 もういい加減、嫌になって、出てきちゃった」

 と、フィオナは傍に落ちていた枯れ枝を、ぱきっと折って、焚き火に放り込んだ。

「ついでに、いい機会だし、みんなに話そうか?
 フィオナと俺の、初めての冒険ってやつを」

 シェベットの言葉に、ユーリが「あっ、それ聞きたい!」と目を輝かせた。
フィオナは頷いて、それから、後ろの木の幹に背中をもたれさせた。

「そうね。でも、あたしは喋り疲れたから、シェベットが話して頂戴」

 わかったよ、と笑って、シェベットは話し始めた。


 その頃のシェベットは、盗賊ギルドの隠れ蓑である酒場、
『銀色の切り札亭』でバーテンダーとして働きながら、
時折、ギルド絡みの仕事の依頼を『妖精のとまり木亭』に届けていた。

 その日もそんな風に、ギルドからの依頼を持ち込むために、
妖精のとまり木亭の扉を開いたのだが……。

「――あたし、冒険者になりたいの。仕事をくださらない?」

 そんな声が、カウンターの方から聞こえてきた。
 真新しい革鎧を着込んだ、赤毛の少女が、宿のマスターと話をしている。

 初めて見る顔の少女だった。
ちらりと聞こえた言葉から、どうやら彼女は冒険者志望らしいが……。

 シェベットはなんだか違和感を覚えた。
 少女が、冒険者を志すような者にしては、身なりが小奇麗すぎるように思えたのだ。
髪はよく手入れされているらしく艶やかだし、肌も汚れていない。
腰に吊るした大振りの長剣が、とても不釣り合いに見える。

(『心躍る冒険活劇』みたいな本でも読んで、冒険者に妙に夢を抱いちまった、
 いいとこのお嬢さんとかかなあ。
 ……あんな剣、あの子に振り回せるのかよ?)

 というのが、そのときのシェベットの正直な感想だった。

 冒険者達は命知らずで、その日暮らしな生活を送る者も少なくなく、
悪いところでは破落戸まがいの者までいるような、そんな人々だ。
――もちろん堅実に暮らす冒険者だっているし、
この宿で仕事をしているのは、みんな気のいい人達ばかりだということを、
シェベットは知っていたけれど。
 とにかく、少女は、冒険者とはまるで違う世界の住人のように見えたのだ。

 カウンターの中で、マスターが何か考えるようにしながら、少女に声をかける。

「冒険者に『なりたい』ってことは、――ええと、お名前は?」
「フィオナよ」
「フィオナさん。今までに、冒険者として仕事をしたことは?」

 少女――フィオナは首を横に振った。

「ないけれど……こう見えても、剣が使えるわ。ちゃんと働いてみせます」
「魔物退治なんかをしたことはある、と?」
「それもないわ」

 さらりとそう答えて、しかし退く気のなさそうなフィオナと、困り果てた様子のマスター。
 シェベットは見かねてその傍に歩み寄ってゆくと、カウンターに手をついて、

「ちょっといいかい、お嬢さん」

 と、二人の間に割り込むようにして声をかけた。

「いくらあんたが強くても、初めての仕事で一人ってのは危ないぜ。
 俺と組まないか?」

 フィオナは、翡翠色の瞳でシェベットを見上げてまばたきした。

「あなたは? 冒険者なの?」
「俺はシェベット。
 冒険者じゃあないんだが、まあ、似たような仕事をやったりもしてる。
 あんたの助けになれるくらいの腕は、持ってるつもりさ」

 シェベットはそう答えて、マスターの方をふり返った。

「なあ、マスター。どうだろう?」
「そうだね。今来ている依頼は、一人で行くには危険なものも多いから……」

 マスターは、心なしかほっとしたような様子で微笑んだ。
フィオナの方に視線を移し、シェベットを手で指し示して、

「彼は、この辺りの盗賊ギルドの人なんだけどね。
 次のギルド長になるかもっていうくらい、すごい人だ。頼りになるよ」
「……盗賊、」

 フィオナは少し目を丸くして、シェベットを見た。

「ああ、盗賊っつっても、その辺の泥棒と一緒にしてもらっちゃ困るぜ。
 俺達は何も、盗むだけが仕事じゃない。
 情報集めに偵察に、迷宮の罠探しに、扉や宝箱の鍵開けに――
 冒険に連れて行って、損はしないよ」

 シェベットが手を振ってそう言うと、フィオナは頷いた。

「ええ。知っているわ。本物の盗賊は初めて見たから、少し驚いたの。
 ……じゃあ、一緒に来てくださる?」

 本物の盗賊は初めて見た、という物言いに、シェベットは苦笑気味に笑った。

(珍しい動物を見た、みたいな感じだな……)

 育ちの良さそうな少女にとっては、盗賊も珍獣のようなものかもしれないが。
 ともあれ肯って、よろしく、と握手を交わす。
マスターも笑顔で頷くと、二人に一冊の帳簿を差し出した。

「そしたら、二人とも、これに名前を。
 うちの宿帳なんだけど、冒険者名簿みたいなものも兼ねてるんだ」

 マスターから受け取った宿帳に、シェベットはさっと名前を書いて、フィオナに渡した。
フィオナは手本のように整った字を書き込んでゆく。『フィオナ・カークランド』。

 それからマスターは、フィオナに依頼書を持ってくるように頼んだ。
シェベットは、掲示板の方に歩いてゆくフィオナの後ろ姿を見やると、
マスターにこっそりと耳打ちした。

「……ああいう子は、言ったって聞かないぜ。一回、やらせてやろう。
 俺も真面目にやるけど――
 もし、危なくなるか、あの子が音を上げるかしたら、帰ってくるからさ」
「よろしく頼むよ」


 ――シェベットがそこまで話すと、フィオナは眉を上げて、横目でシェベットの方を見た。

「あたしが音を上げると思っていたの?」

 シェベットは視線を斜め上に逸らして、肩をすくめた。

「かもしれない、とはな」
「……まあ、今にして思えば、かなり無理な頼み込み方をしたものね」

 フィオナは少し照れたように、髪を引っ張ったりしている。
ソラヤが、その様子をにこにこと微笑ましげに見つめながら、訊ねた。

「どんな仕事に行ったんですか?」
「魔物退治だったわね」

 フィオナが言って、シェベットは頷いた。

「そうそう。ゴブリンとコボルトがつるんで巣食ってる所があってな――」


 準備をして、二人で向かったのは、ルアードの街から少し離れた森の中。
 狩人の狩猟小屋が、魔物達に乗っ取られてしまったので、
なんとかしてほしい、という依頼だった。

 辿り着いた小屋で、様子を伺い、
魔物達を外に誘い出すのは、シェベットの仕事だったけれど――
そのあとシェベットは、宿でフィオナが言った『剣が使える』という言葉に、
少しの嘘も誇張もなかったことを思い知ることになったのだった。

 魔物達は、数は少なかったが、狩猟小屋に置いてあったものらしい弓矢を持ったものがいた。
 しかし、弓を構えたコボルトにも、フィオナは怯まず立ち向かっていった。
まっすぐに飛んできた矢を、剣の背で受けて弾いたのを見たときには、
シェベットは心臓が凍りついてしまうかと思った。

(今の……防げなきゃ、頭か首に当たってそうな軌道だったぞ)

 ひやりとする場面もありつつも、幸い、二人とも大した怪我を負うこともなく、
やがて魔物達は残らず地面に倒れ伏した。

「終わったな。お疲れさん。
 ……大丈夫か?」

 シェベットが声をかけると、フィオナは肩で息をしながら頷いた。

「ゴブリンもコボルトも、赤い血を流すのね」

 独り言のように呟いて、フィオナは長いこと、魔物達の死体を見つめていた。
 その背中を見ながら、シェベットは訊ねた。

「怖くなったかい?」
「怖い?」

 フィオナは考え込むようにして、

「……そうかもしれない。少しだけだけれど。
 やっぱり、実戦は違うわね。体力も……精神力も、消耗したような気がする」

 と、大きく息を吐き出した。
剣に付いた血を、少しぎこちない動作で振り落とし、鞘に収める。

「しかし、あんた、本当に強いぜ。正直言って、驚いたよ」

 シェベットは明るい声で言った。

 魔物達のほとんどは、フィオナの剣に倒されていったのだ。
もちろん、シェベットも援護はしたけれど。
 少々、太刀筋が整いすぎているように見える部分もあったが
――習ったか何かで覚えたままの型で、実戦は先程の言葉通り、本当に初めてだったのだろう――
冒険者としてやってゆくには、十分すぎる立ち回りだろう。

 フィオナは、やっと少しだけ笑った(このとき、シェベットは初めてこの少女の笑顔を見た)。

「ありがとう。あなたもね。
 ……これからも、一緒に仕事をしてくれるの?」

 そう言われて、シェベットはまばたきした。わずかに首を傾けて腕組みをする。

「そりゃ、俺は構わないけど……さ。お嬢さんよ、」
「フィオナよ」
「フィオナ。
 あんたみたいな可愛い子が、冒険者になるって、家の人は許してくれたのかい?」

 すると、フィオナは視線を逸らして、黙り込んでしまった。

「なんか、ワケありなのか? まあ、話せないならいいんだけどよ」

 軽い調子で言って、シェベットはすぐにこの話を終わらせた。
 冒険者の世界に飛び込むのには、人それぞれ、色々な理由があるだろう。
他人に言えることも、そうでないことも。

(でも、やっぱ、どう見ても金持ちのお嬢さんだしなあ……。
 後で一応、ギルドでちょっと調べてみるかな)

 と、シェベットはこっそりと考えた。
隠しておきたいのかもしれないことを探るのは、少し気が引けたけれど。

 しかし、盗賊ギルドにそれらしい情報はなく――
フィオナ本人の口から、家出中であることを聞くのは、またもう少し先のことだった。


 話を聞き終えると、フィオナは懐かしそうにどこか遠くを見て、それからぼそりと呟いた。

「……コボルトの矢を弾いたのは、あたしも後で怖くなったわ」
「そ……そうだろ!?」

 と、シェベットはフィオナの方を指さしながらふり返り、
その時を思い出すように苦い表情を浮かべた。「かなり危なかったと思うぞ、あれは」

 ラーフラは、保存食の堅パンと干し肉を、少しずつ食べながら聞いていたけれど、
とうとう食べ終わってしまった。
なんだか名残り惜しそうに片付けをしながら、シェベットを見て、

「なんとなく、シェベットはもっとずっと前から、冒険者をやってるんだと思ってましたよ。
 始めたのは、フィオナと一緒にだったんですね」
「ああ、実はな。まあ、盗賊ギルドの方で、あれこれ動くことはあったけどな……」

 シェベットは、ちょっと言いにくそうに呟いた。
 冒険者の宿には持ち込めない、
盗賊ギルドの内部で処理しなければならないような仕事も少なくないのだ。

 あまり綺麗な仕事ではないのだろうと察してか、
ラーフラはふむと頷いて、それ以上は探らなかった。

「その初めての仕事って、俺――と、ラーフラが来るのより、
 どれくらい前のことだったんだ?」

 ユーリが訊ねる。フィオナとシェベットは目を合わせて、

「半年……も、経ってねえかな、たぶん」
「そうね」

 二人が答えると、ユーリはへえっと声を上げた。

「そうなのか! なんか、すごい熟練なのかと思ってた」
「フィオナは貫禄あるからなあ」

 シェベットの言葉に、仲間達は納得したように頷いている。
フィオナはみんなの顔をじとりと見回した。

「それは……褒めてるの?」
「もちろんだ」

 シェベットは大きく首を縦に振った。フィオナは「……まあいいわ」と肩をすくめる。

 ――と、静かに話を聞いていたサニーが、
抱えた膝に半ば顔を埋めるようにしているのに気がついて、シェベットは彼に声をかけた。

「眠そうだな。退屈だったか?」
「いや……! 違う――」

 サニーは慌てたように首を横に振ったけれど、すぐにまた重そうに瞼が下がってきた。

「こういう話は……楽しいが……」

 そう言って、サニーは視線を空にふらふらと彷徨わせた……が、
それ以上言葉は続かず、うつらうつらし始めてしまった。

「本当……夜、駄目なんだな。そろそろ、休む準備するか」

 シェベットは苦笑した。
ユーリが、荷物の中から毛布を取り出して、サニーに巻きつけてやった。

「明日は山歩きもあるもんな! ちゃんと休んだ方がいいよな」

 一行は交代で見張りを立てることにして、眠りについた。


 見張り中、ユーリはなんだかぼんやりとした様子で、焚き火を眺めていた。

「……ユーリ、眠いんですか?」

 一緒に見張りをしていたラーフラが声をかけると、ユーリは顔を上げた。

「んっ? ううん。ちょっと、考え事してたんだ。
 フィオナとフィリップさんが、結婚かあ……って。
 ――いや、フィオナが嫌なら、しないんだろうけどな」
「ああ。驚きましたね」

 ラーフラが頷く。ユーリもうんうんと首を縦に振って、

「結婚って、大人がすることって気がしてたし。
 フィオナは、俺達より一つ年上なだけなのにさ……。
 俺達だったら、来年には結婚しろって言われるようなものだろ? 相手がいないけど」

 言いながら、とても想像できないな、とユーリは思った。
 ラーフラは、ふーむ、と顎に手をあてた。

「そうですねえ……。
 でも、一年もあったら、何が起こるかわからないんじゃないですか?
 結婚はともかく、ユーリも、好きな人を見つけたりはしているかもしれませんよ」
「『も』?」

 ユーリが首をかしげる。
 ラーフラは「えっ?」とまばたきしたあと、ぱあっと赤くなった。
ぶんぶんと手と首を振って、

「い、いえ、そういう意味ではなく……!」
「なんだ」

 ユーリは笑った。
特に追及する気のなさそうなその様子に、ラーフラは密かにほっとした。

「けど、何が起こるかわからないっていうのは、そうなのかもな……」

 独り言のように、ユーリは呟いた。
 ユーリの母は、冒険者だった父に助けられたことがあるらしく、
ひょっとすると、それが最初の出会いだったのかもしれない。

(……俺も、冒険の中で、そんな人に出会ったりすることもあるのかな?)

 そんなことを、ユーリはこっそりと考えた。

 そして、その夜は獣も魔物も現れず、時は静かに流れてゆき、
やがてゆっくりと空が白んでいった。

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